噓吐き
夏宵 澪
プロローグ
「水瀬さんって、ほんと完璧だよね」
放課後の演劇部の部室。
桐谷の声には、褒める気配なんて一片もなかった。
冷たくて、刺さるような声だった。
「え……? あ、ありがとう」
反射で笑う。
頬の筋肉が、まるで機械仕掛けのように動く。
中学二年になってから、この笑顔を作るのに、一秒もかからない。
「いや、褒めてないから。気持ち悪いって言ってるの、わかんない?」
桐谷の言葉に、部員たちがクスクス笑った。
――笑え、笑えって言われているみたいだった。
私の笑顔はそのまま固まる。
剥がすことを、もう忘れてしまったみたいに。
「あはは、ごめんね。そう聞こえちゃったかな」
違う。本当は悲しい。
泣きたい。
でも、見せたら――
もっと酷いことになる。
だから、笑うしかない。
昔、誰かが言った。
「君の役はこうだ」って。
その言葉が、今も私を縛っている。
演劇部に入ったのは、演じたいからじゃない。
母が言った。「演劇部なら、人前で話す練習になるでしょ?」
父が言った。「お前は何をやっても中途半端だ。
ひとつくらいは続けろ」
だから私は入った。
期待通りの“良い子”を演じるために。
――部室を出ると、廊下で美月が手を振っていた。
「瑠璃ちゃん、遅かったね! 一緒に帰ろ!」
「うん、ごめんね。片付けが長引いちゃって」
美月は、私の親友。
少なくとも、彼女はそう思っている。
私は――そう演じている。
悩みなんてない明るい瑠璃。
困ったことがあっても、笑って解決する頼れる瑠璃。
その“役”を、私は完璧にこなしている。
「瑠璃ちゃんって、ほんといつも笑ってるよね。
何があっても平気そうで、すごいなって思う」
――平気なわけない。
全部つらい。
全部、苦しい。
でも、言葉は喉の奥で止まった。
言ったら、離れていく。
みんな、弱い私なんて求めていない。
帰り道、夕焼けが刺さるようにまぶしかった。
――いつから、笑うときにまで周りを気にするようになったんだろう。
答えは、もう思い出せない。
ただ、小学校の頃に見た路地裏のゴミ置き場の光景だけは覚えている。
あの時、感じた“空っぽ”。
まるで、自分が捨てられたみたいだった。
でも、ふと目を上げると、校庭の向こうで小さな花が光を浴びて揺れていた。
――こんな小さな光でも、まだ世界は少しだけ優しいのかもしれない。
家に着くと、玄関の前で足が止まる。
ドアの向こうから、父の怒鳴り声。
「また瑠璃の通知表か!
なんでこんな点数なんだ!」
「あなた、そんなに怒らなくても……」
「黙れ!
お前が甘やかすからだ!」
――ああ、また。
深呼吸して、笑顔を作る。
ドアを開けた。
「ただいま」
明るい声で。
何もなかったように。
いつも通りの“完璧な水瀬瑠璃”として。
でも、心の片隅で、小さな花のことを思い出す。
私にはあの光すら許されない、
これが、私の――役割だから。
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