第3話「録画の裏側」
第一章 復元
土曜日の朝。香織は一睡もしていなかった。
クローゼットから見つかった血痕のついたシャツは、ビニール袋に入れたまま書斎の引き出しに隠した。警察に届けるべきか。だが、それは自分が疑われることを意味する。
拓也は、どこにいるのか。
生きているのか。
それとも──
香織は頭を振った。考えるのをやめる。今は、証拠を集めることだ。
午前九時。柏木から電話があった。
「香織、少し進展があった」
「本当?」
「暗号化された映像、部分的にもう少し復元できた。今から見せに行っていい?」
「お願い」
三十分後、柏木が香織の自宅を訪れた。
リビングのテーブルにノートPCを広げ、柏木は映像ファイルを開いた。
「これが、復元できた部分」
画面には、寝室の監視カメラ映像が映し出される。
時刻は、午前三時十五分。
拓也がベッドに横たわっている。その横で、香織も眠っている。
だが──
窓の外に、人影。
第一話で見た、あの影。
柏木が映像を一時停止し、拡大する。
「これ、見て」
窓の外に立つ人物。女性だ。年齢は三十代後半から四十代前半。長い髪、細身の体型。
だが、それ以上に香織の目を引いたのは──その表情だった。
憎悪。
冷たく、執拗な憎悪。
窓越しに、寝室の中を──香織を、見つめている。
「この人……」
香織は、心臓が跳ねるのを感じた。
「知ってる……気がする」
「知ってる?」
「でも、誰だか……思い出せない」
柏木は、別の画像を開いた。
「もう一枚、復元できた映像がある」
それは、同じ女性が、寝室の窓に何かを貼り付けている場面だった。小型のデバイス。
「これ、何?」
「おそらく、盗聴器か小型カメラ。窓の外から室内を監視するためのものだと思う」
香織は立ち上がり、寝室に向かった。柏木も後を追う。
窓を開け、外側のサッシを調べる。
そこには──小さな黒い機器が、テープで貼り付けられていた。
「あった……」
香織は、それを剥がし取った。親指の爪ほどの大きさ。レンズがこちらを向いている。
「間違いない。超小型カメラだ」
柏木が、それを手に取って調べる。
「Wi-Fi接続型。リアルタイムで映像を送信できる。しかも……」
柏木は、スマホでカメラの情報を読み取った。
「このカメラ、まだ稼働してる。誰かが今も、ここを監視してる」
第二章 遺品
誰かが、自分を監視している。
その事実が、香織の中で渦を巻いた。
拓也の失踪。
血痕のついたシャツ。
そして、この監視カメラ。
すべてが繋がっている。
だが、どう繋がっているのか。
香織は、ある可能性に思い至った。
五年前の、あの夜。
妹・美咲が死んだ夜。
香織は、自宅の物置に向かった。
段ボール箱が積み重ねられている。その中に、美咲の遺品を保管している箱があるはずだ。
ようやく見つけた箱を開ける。
中には、美咲の服、アクセサリー、手帳、写真。
そして──日記。
香織は、日記を取り出した。五年前、警察が「事件性なし」と判断した後、香織は美咲の部屋を片付けた。その時に見つけた日記だが、読む勇気がなくて、そのまましまい込んでいた。
今、開く時が来た。
香織は、リビングに戻り、ソファに座って日記を開いた。
美咲の字は、丸く柔らかい。だが、ページが進むにつれ、筆跡が乱れていく。
『7月12日。また見られてる気がする。電車の中で、誰かの視線を感じた。振り返っても誰もいない。気のせい?』
『7月20日。帰り道、ずっと後ろに誰かいた気がする。コンビニに入ったら、いなくなった』
『8月3日。職場の桐谷さんが、私を見る目が怖い。何か恨まれてる?』
香織は、息を呑んだ。
桐谷。
その名前に、記憶が蘇る。
『8月15日。桐谷さんの婚約者が亡くなったらしい。医療ミスだって。でも、なんで私を睨むの? 私、関係ないのに』
『8月22日。桐谷さんに呼び出された。「あなたのせいで彼は死んだ」って言われた。意味が分からない。私は何もしてない』
『9月1日。怖い。桐谷さんが家まで来た。インターホン越しに「姉さんも許さない」って言ってた。お姉ちゃん、どうしよう』
香織の手が震えた。
そして、最後のページ。
『9月14日。もう限界。明日、警察に相談する。お姉ちゃんにも話す。桐谷さんは、私を殺そうとしてる』
その翌日。
美咲は、死んだ。
第三章 桐谷由美
香織は、すぐに美咲が勤めていた病院に電話をかけた。
「もしもし、五年前にそちらで看護師をしていた川村美咲の姉ですが……当時、桐谷由美という方も勤務されていたと思うのですが」
電話口の事務員は、少し間を置いてから答えた。
「桐谷さんは、五年前に退職されています」
「そうですか……連絡先とか、分かりますでしょうか」
「個人情報ですので、お教えできません」
「では、桐谷さんの婚約者が亡くなった件について、何かご存知ですか?」
事務員の声が、わずかに硬くなった。
「……それについては、こちらからお話しできることはありません」
電話は切られた。
香織は、別の手段を取ることにした。
柏木に連絡する。
「柏木、お願いがあるんだけど」
「何?」
「桐谷由美って人の情報、調べられる?」
「……香織、それって違法だぞ」
「分かってる。でも、お願い」
柏木は、ため息をついた。
「……一応、調べてみる。ただし、何も保証しないからな」
二時間後、柏木から連絡があった。
「見つけた。桐谷由美、現在四十二歳。五年前まで看護師として都内の総合病院に勤務。その後、退職。現在の住所は……」
柏木が住所を読み上げる。
香織は、それをメモした。
「ありがとう」
「香織、一人で行くなよ。危ないかもしれない」
「大丈夫」
「大丈夫じゃないだろ。その人が本当に美咲さんを殺してたら──」
「だからこそ、確かめなきゃいけないの」
香織は電話を切った。
第四章 対面
日曜日の午後、香織は桐谷由美の住むアパートを訪れた。
都内の、古い木造アパート。二階建ての、角部屋。
香織は、インターホンを押した。
しばらくして、ドアが開いた。
そこに立っていたのは──監視カメラに映っていた、あの女性だった。
桐谷由美。
細身で、長い髪。顔立ちは整っているが、どこか疲れたような影がある。
「……どちら様ですか?」
由美の声は、静かだった。
「川村香織です。川村美咲の姉です」
由美の表情が、わずかに動いた。
「……美咲さんの」
「お話があって、伺いました」
由美は、数秒間香織を見つめていた。やがて、小さく頷いた。
「どうぞ」
部屋の中は、質素だった。
家具も最低限。だが、清潔に保たれている。
壁には、一枚の写真が飾られていた。由美と、若い男性が笑顔で写っている。
「婚約者の方ですか?」
香織が尋ねると、由美は頷いた。
「はい。藤原といいます」
「美咲の日記を読みました」
香織は、単刀直入に切り出した。
「あなたが美咲を恨んでいたこと。ストーカー行為をしていたこと。すべて書いてありました」
由美は、表情を変えなかった。
「そうですか」
「あなたが、美咲を殺したんですか?」
由美は、ゆっくりとソファに座った。
「……私は、美咲さんを殺していません」
「嘘を──」
「でも、殺したかったのは本当です」
由美の声は、静かだが、その奥に深い悲しみがあった。
「藤原は、医療ミスで死にました。担当看護師が、処方箋を間違えたんです。本来とは違う薬を投与されて、藤原はアナフィラキシーショックを起こした」
「でも、それは美咲じゃない。日記には──」
「そうです。美咲さんは無実でした」
由美は、写真を見つめた。
「でも、私はそれを知らなかった。病院は真相を隠蔽しようとして、美咲さんに責任を押し付けた。私は、美咲さんを恨みました。ストーカーもしました。許されないことです」
「それで、美咲を──」
「殺していません」
由美は、香織の目をまっすぐ見た。
「美咲さんが亡くなった後、真相を知りました。本当の犯人は、別の医師の処方ミスだったと。私は……」
由美の声が、震えた。
「私は、何をしていたんでしょう。無実の人を追い詰めて」
第五章 罪悪感
香織は、由美の言葉を信じていいのか分からなかった。
「あなたが美咲を殺していないなら、誰が殺したんですか?」
「分かりません。でも、事故だったのかもしれません」
「事故じゃない」
香織は、強く言った。
「美咲は、誰かに追い詰められて死んだ。あなたのせいで」
由美は、うなだれた。
「その通りです。私の罪です」
香織は、次の言葉を探した。だが、何も言えなかった。
由美が嘘をついている可能性もある。だが、その表情には──偽りのない後悔があった。
「ところで」
由美が、顔を上げた。
「なぜ、今になって私を訪ねてきたんですか?」
「……最近、おかしなことが続いていて」
香織は、拓也の失踪と、監視カメラのことを話した。ただし、自分が夫を監視していたことは伏せた。
由美は、静かに聞いていた。
「それは……私ではありません」
「でも、監視カメラに映っていた女性は──」
「私じゃありません」
由美は、きっぱりと言った。
「私は、もう誰も恨んでいません。ただ、罪を背負って生きているだけです」
第六章 クラウド同期
香織が由美のアパートを後にしたとき、柏木から電話があった。
「香織、大発見だ」
「何?」
「あの監視カメラの映像、クラウドに同期されてる。それで、アカウント情報を調べたんだけど……」
柏木は、興奮した様子で続けた。
「映像を保存してるアカウント、拓也さんのものだ」
「拓也の?」
「ああ。でも、それだけじゃない」
「何?」
「そのアカウントから、複数のデバイスに映像が自動送信されてる。拓也さんのPC、スマホ……そして」
柏木が、息を呑む。
「香織さんのスマホにも、映像が自動保存されてる」
「私の……?」
「設定を見ると、拓也さんが意図的に設定したみたいだ。香織さんにも映像を見せたかったんじゃないか」
香織は、立ち止まった。
拓也が、カメラを設置していた。
そして、映像を自分にも送っていた。
なぜ?
「もう一つ、おかしなことがある」
柏木が続ける。
「クラウドに保存されてる映像、時系列がバラバラなんだ。一部の映像が削除されてるし、タイムスタンプも改ざんされてる」
「タイムスタンプ?」
「ああ。映像に記録されてる時刻と、実際にファイルが作成された時刻が、ズレてる」
「どれくらい?」
「約二分」
第七章 新しい映像
その夜、香織は自宅で柏木の言葉を反芻していた。
拓也が設置したカメラ。
改ざんされたタイムスタンプ。
二分のズレ。
それが意味することは──
香織のスマートフォンが、振動した。
通知。クラウドに新しい映像がアップロードされた。
香織は、映像を開いた。
それは──拓也が映っている映像だった。
だが、場所は寝室ではない。暗い部屋。コンクリートの壁。
拓也は、椅子に縛られている。
口には、テープが貼られている。
そして、画面の端に──誰かの影。
女性の影。
拓也に近づき、何かを囁いている。
映像には音声がない。だが、拓也の表情が、すべてを語っていた。
恐怖。
そして──諦め。
映像の時刻表示を見ると──午前三時十九分。
だが、ファイルのメタデータを確認すると──
作成時刻は、午前三時十七分。
二分のズレ。
エピローグ
香織は、震える手でスマートフォンを握りしめた。
拓也は、拉致されている。
そして、その映像が──なぜ、私のもとに送られてくるのか。
犯人は、私に見せたがっている。
なぜ?
香織は、映像をもう一度見た。
拓也を拉致した人物。
その影。
顔は映っていない。だが──
その輪郭。
体型。
香織は、既視感を覚えた。
誰かに、似ている。
桐谷由美?
いや、違う。
それとも──
香織は、鏡を見た。
そこに映る自分の姿。
その影が──映像の中の人物と、重なって見えた。
まさか。
私?
スマートフォンに、新しいメッセージが届いた。
差出人不明。
『もうすぐ、すべてが明らかになる。あなたが何をしたのか。あなたが何を忘れたのか』
第3話 了
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