第25話

「……ありがとう、ヒロくん……! 一生、大事にするね……!」


泣き顔のまま、最高の笑顔でそう言う雪菜(ユキ)。 俺は、周囲に誰もいないことを確認すると、そっと彼女の肩を引き寄せた。 ……このまま、キスでもしそうな雰囲気だった。


だが、雪菜は、俺の胸に顔をうずめたまま、もごもごとした声で言った。


「……あ、あのね、ヒロくん」 「ん?」


「私からも、一つ、お願いがあるんだけど……」


「お願い?」 俺は、彼女の肩をそっと離し、涙で濡れた瞳を覗き込む。


雪菜は、少し言いにくそうに、頬を赤らめながら続けた。


「……今度のお休みの日。もう一度、ウチ(・・)に来てほしいな」 「え? ああ、勉強会なら……」


「ううん、違うの」 雪菜は、ぶんぶんと首を横に振った。


「そうじゃなくて……『恋人』として、正式に(・・)」 「お父様とお母様に、ヒロくんを、紹介したい」


「…………ごふっ!?」


俺は、変な空気を吸い込んで、激しく咳き込んだ。 「りょ、両親!? あ、あの西園寺家の!?」


「うん」 雪菜は、不安そうに俺の上着の裾を掴む。 「……ダメ、かな? やっぱり、ヒロくんに迷惑……」


「め、迷惑とかじゃなくて!」 (心の準備が……!)


頭に浮かぶのは、あの城のような屋敷と、電話一本で学園サーバーをハッキングさせた(ように見えた)雪菜の父親の存在。 西園寺コンツェルンのトップ。 日本経済界のドン。


そんな人物に、「娘さんをください」レベルの挨拶をしに行けと? ハードルが、エベレストより高い。


俺が顔面蒼白になっていると、雪菜が悲しそうに目を伏せた。 「……ごめんね。ヒロくん、困らせちゃったよね。やっぱり、まだ早かっ……」


「――行(い)くよ」


俺は、雪菜の言葉を遮った。


「え……?」


「行く。ちゃんと、挨拶させてほしい」


ここで逃げたら、俺は一生『ヒーロー』になんてなれない。 俺が、雪菜の隣に立つと決めたんだ。 その父親がどんなに凄い人物だろうと、関係ない。


俺が、震えを押し殺してそう言うと、雪菜は、一瞬きょとんとした後、 「! うんっ!」 と、今日一番の笑顔で頷いた。


そして、運命の土曜日。 俺は、前回「改造」された時に買った、一番カッチリしたジャケット(それでもカジュアルだが)を着て、再びあの巨大な門の前に立っていた。


(……心臓が、口から出そうだ)


前回はメイドさんが出迎えてくれたが、今日は違う。 黒いスーツを着た、SPにしか見えない屈強な男性(執事らしい)に案内され、重厚な扉の前に通された。


「旦那様、奥様。雪菜お嬢様がお連れ様と、お見えになりました」


「……入りたまえ」 中から、地響きのような低い声がした。


ギィィ……と、重い扉が開く。 そこに広がっていたのは、映画で見るような、だだっ広い応接室。 そして、部屋の奥の豪奢なソファに、二人の人物が座っていた。


一人は、雪菜をそのまま優しくしたような、美しい女性。雪菜の母親だろう。彼女は、俺を見て「まあ」と優しそうに微笑んでいる。


そして、もう一人。


(…………こわっ)


圧倒的な威圧感。 鷹のように鋭い目つきで、俺を値踏みするように見つめる、壮年の男性。 隙のない、高級なスーツを着こなしている。 あれが、雪菜の父親――西園寺(さいおんじ) 剛(ごう)。西園寺コンツェルンの総帥。


「お父様、お母様。彼が、私がお話ししていた、相葉 ヒロくんです」 雪菜が、俺の手をぎゅっと握り、紹介してくれる。


「は、初めまして! 相葉ヒロです! 雪菜さんとは、その、お付き合いを、させていただいて……」


俺が、必死で練習した挨拶を述べ、90度の角度で頭を下げると。 父親――剛氏は、ソファにふんぞり返ったまま、俺を睨みつけた。


「……ほう」


地を這うような低い声が、部屋に響く。


「君が、娘(・・)の、例の『ヒーロー』くんか」


(知ってる!? あの時の電話、やっぱり……!)


俺が冷や汗をダラダラ流していると、剛氏は、ゆっくりと立ち上がった。 俺より頭一つ分はデカい。威圧感がすごい。


彼は、俺の目の前まで歩いてくると、俺の肩、髪、服装を、品定めするように、ジロリと見回した。


「……ふん」


鼻で笑われた。


「娘を任せられる男か、どうか」 「この私(・・)が、じきじきに(・・・)見せてもらおう」


その目は、明らかに、俺を「試す」目をしていた。 俺は、その圧倒的なプレッシャーに、ただ生唾を飲むことしかできなかった。

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