第13話
昼休みの「害虫駆除」事件は、あっという間にクラス中に広まった。
『西園寺さん、相葉(ヒロ)の元カノのLINE、目の前でブロックさせたらしいぞ』 『ガチじゃん……怖すぎ……』 『でも、そこまでするってことは、本気ってことだろ』
俺への視線は、もはや「驚き」や「嫉妬」を超えて、「畏敬」のようなものに変わりつつあった。 (地味男、いつの間に最強美少女の手綱を握ったんだ……?) 違う、俺は握られている側だ。
雪菜(ユキ)は、そんな噂などどこ吹く風で、俺の隣で楽しそうに教科書を広げている。 その笑顔を見ていると、さっきユイのアカウントを絶対零度の表情でブロックした姿が、まるで幻だったかのように思える。
(……それにしても)
俺は、ふと疑問に思う。 雪菜は、いつから学園で『最強』と呼ばれるようになったんだろうか。
俺が知る「ユキ」は、泣き虫で、俺の後ろに隠れているような女の子だった。 もちろん、今の雪菜は美しい。息を呑むほどに。 だが、この学園には、他にも綺麗な女子や人気のある女子はいる。
それでも、誰もが「西園寺 雪菜は別格だ」と口を揃える。
その答えは、午後の授業で嫌というほど分かった。
五時間目。数学II。 教師が、頭を抱えながら超難問を黒板に書きなぐった。 「……えー、これが解ける者は、いるか? 期末で加点するぞ」
教室は沈黙する。 クラスの秀才たちも、唸りながら首を横に振っている。 俺なんかは、もはや問題文に使われている記号の意味すら分からない。
その静寂の中、すっ、と細い腕が上がった。
「西園……」 「はい、西園寺さん」
雪菜は、優雅に立ち上がると、黒板の前に立つ。 そして、一切の迷いなく、サラサラと数式を書き連ねていった。 俺には呪文にしか見えないそれが、まるで美しい詩のように紡がれていく。
十分後。 教師が、呆然とした顔でその完璧な回答を眺めていた。 「……完璧だ。相変わらず、非の打ち所がない」
「「「(かっけぇ……)」」」 クラス全員の心の声が一致した。
六時間目。体育。女子はテニス。
「きゃー! 雪菜様ー!」 女子生徒たちの黄色い声援が飛ぶ。
コートでは、雪菜が県大会ベスト4のテニス部キャプテンを相手に、ラリーを続けていた。 いや、ラリーになっていない。
スパン!と空気を切り裂くようなサーブ。 テニス部キャプテンが必死で返したボールを、雪菜はネット際で、まるで踊るように軽やかにボレーで叩き落とす。
汗一つかいていない涼しい顔。 その姿は、もはや「生徒」のレベルを超えていた。
授業が終わり、俺はぐったりと机に突っ伏した。
分かった。 雪菜が『最強』と呼ばれる理由。
圧倒的な美貌。 学年トップの頭脳。 プロレベルの運動神経。
そして、俺は思い出す。 俺を「改造」した、あの会員制ブティック。 当たり前のように乗り付けた、黒塗りの高級車。
「……西園寺」
その苗字。 まさかとは思うが……あの、日本経済を牛耳る『西園寺コンツェルン』の……?
(……だとしたら)
俺は、自分の姿を見た。 確かに、服は高級品だ。髪も整えられている。 だが、それは全部、雪菜に「与えられた」ものだ。
中身は、成績も運動も平均以下の、ただの「相葉 ヒロ」のまま。
昨日まで、イメチェンした自分に、少しだけ自信を持ち始めていた。 だが、雪菜の「完璧」さを改めて目の当たりにすると、急速にその自信がしぼんでいく。
(……俺なんかで、本当に釣り合うのか?)
俺は、雪菜に「ヒーロー」だと言われた。 だが、現実はどうだ。 元カノのLINEをブロックしてもらい、守られてばかりじゃないか。
俺が、そんな無力感に包まれていると、 カバンを持った雪菜が、俺の席の前に立った。
「ヒロくん、帰ろ?」
「あ……うん」
俺は、曖昧な返事をして立ち上がる。 雪菜は、俺の表情に、何かを感じ取ったようだった。
「……ヒロくん?」 彼女が、心配そうに俺の顔を覗き込む。
「私が好きなのは、『地味』でも頑張り屋だった、昔のヒロくんだよ」 「……今のヒロくんも、もちろん大好きだけど」
「…………」
「……あ」 雪菜は、何かを思いついたように、ポンと手を打った。
「ねえ、ヒロくん! 来週、中間テストだよね?」 「え? ああ、そうだけど……」
「あのね、今度の土曜日、ウチ(・・)で一緒に勉強会しない?」
雪菜は、いたずらっぽく、小首を傾げて微笑んだ。
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