第8話

放課後。 俺は、今日も当たり前のように隣を歩く雪菜に、ずっと疑問だったことを尋ねた。


「なあ、ユキ」


「ん? なあに、ヒロくん」


雪菜は、昨日買った服(もちろん雪菜セレクトだ)を着ている俺を、嬉しそうに見上げている。 周囲の生徒たちの視線は、もはや日常風景となりつつあった。


「……なんでユキは、俺なんかに、そこまでしてくれるんだ?」


素朴な疑問だった。 昨日振られたばかりの地味な男。 確かに昔は幼馴染だったが、今の雪菜は学園最強の美少女だ。 釣り合うはずがない。


俺なんかのために、毎日豪華な弁当を作り、高級な服を買い与え、学園中の女子を敵に回すような「溺愛」を注ぐ。 その理由が、どうしても分からなかった。


俺の言葉に、雪菜はきょとん、と目を丸くした。 そして、次の瞬間、心底嬉しそうに、くすくすと笑い出した。


「……もう、ヒロくんは忘れちゃったの?」


「え?」


「私が、なんでヒロくんを好きになったか」


雪菜は立ち止まると、まっすぐに俺の目を見つめた。 その瞳は、少しだけ昔を懐かしむように潤んでいる。


「私ね、小学校の頃、すごく泣き虫だったでしょ?」


「あ……。ああ、そうだったな。いつもメソメソしてた」


「そう。だから、よく意地悪な男の子たちに、からかわれてたの」


雪菜は、ゆっくりと当時のことを語り始めた。


(回想:小学校低学年)


公園の砂場。 俺(ヒロ)は、隅っこで一人、山を作っていた。目立つのが嫌いなのは、昔からだ。


そこで、数人のガキ大将たちが、一人の女の子を囲んでいるのが目に入った。 ユキだ。


「なんだよ、お前のその髪飾り! ヘンなのー!」 「うわっ、カバンも変な柄!」


当時のユキは、まだ「西園寺家」の令嬢というオーラはなく、ただただ気弱で、持ち物が少しだけ上品な女の子だった。 それが、ガキ大将たちの格好の的になっていた。


「う……うぅ……」 ユキは泣きそうになるのを必死でこらえ、うつむいている。


他の子供たちは、見て見ぬふりだ。 俺も、面倒ごとに関わりたくなくて、目をそらそうとした。


だが。 ユキがポロリ、と一粒の涙をこぼしたのを見て、俺は……気づいたら走り出していた。


「――やめろよ!」


俺は、自分より体の大きなガキ大将たちの前に、割り込んで立っていた。


「なんだよ、ヒロ! お前には関係ねーだろ!」 「そうだそうだ、地味なヒロは引っ込んでろ!」


「……やめろって言ってんだろ」 俺は、震える足に力を込めて、ユキを背中にかばう。


「女の子一人を大勢で囲んで……かっこ悪いぞ!」


「んだと!?」 ガキ大将の一人が、俺の胸をドン、と突き飛ばした。 俺は尻餅をつく。


「うわ、よえー!」 「やーい!」


笑い声が響く。 痛かったし、怖かった。 でも、背後でユキが小さく嗚咽しているのが聞こえた。


俺は、もう一度立ち上がる。 そして、ユキの前に、再び両手を広げて立ちはだかった。 それ以上は、何もできなかったけれど。


(回想終了)


「……結局、先生が来るまで、ヒロくんは私を守ってくれた」


雪菜は、愛おしそうに目を細める。


「あの時、ヒロくんはすごく震えてた。怖かったはずなのに、私をかばってくれた」 「周りのみんなが見て見ぬふりしてたのに、ヒロくんだけが助けてくれた」


「……そんな、大したことじゃ……」


「ううん。大したことだよ」 雪菜は俺の言葉を遮る。


「ヒロくんは、あの日からずっと、私だけの『ヒーロー』なの」 「だから、私、引っ越してからずっと、ヒロくんのことだけを思ってた。勉強も運動も、全部頑張ったの。いつかヒロくんに再会した時、『すごい』って思ってもらえるように」


「……やっと、再会できたんだよ」


雪菜の純粋すぎる、十年来の一途な好意。


俺は、胸の奥が、じわりと熱くなるのを感じた。


「地味」だと、自分でも思っていた。 「普通」だと、諦めていた。


だが、この学園最強の美少女は、そんな俺を、ずっと「ヒーロー」だと信じて待っていてくれた。


「……そっか」


俺は、目の前の「最強の美少女」が、あの頃の「泣き虫なユキ」と、ようやく重なった気がした。


「……ユキ」


俺は、今、確かに、この子のことが――。


「あ!」 雪菜が不意に声を上げ、俺の言葉を遮った。 「そうだ、ヒロくん! 明後日、日曜日だよね?」


「え? ああ、そうだけど」


「あのね! お試しじゃなくて……その、ちゃんと、デート、しない?」


雪菜は、イメチェンした俺の姿を照れくさそうに見上げながら、頬を染めてそう言った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る