第17話 勇者逃亡 ⑫
すべてを諦めた訳じゃないけど、空から襲ってくるワイバーンの爪や嘴など見たくないから、ギュッと目を強く瞑ってお婆さんの上に覆いかぶさった、
兄たちが私の名前を呼ぶ悲鳴も聞こえるけど、いまの私にはこんなことしかできないよっ。アホ神とか文句言っていた罰が当たったのだろうか……だったらごめんなさい。
バサバサッとワイバーンの羽の音と「キィエエーッ」という甲高い鳴き声に、私は体が裂かれる痛みを想像して失神直前。とにかく、震えるお婆さんの体を強く抱きしめた。
「菊華ちゃーん!」
ダダダッと走る足音と呼ばれた名前に反射的に振り向けば……げげっ小次郎がこちらへ全力疾走で向かってくる。しかも両手には神さまからもらった剣を握って。
いやいや、子どもが剣を振り回して倒せる相手じゃないでしょーっと叫びたいが、小次郎はキリリと顔を引き締めて私たちを襲おうとするワイバーンに狙いを定めている。
咄嗟に、本当に無意識に私は走り出していた。今度は小次郎の元へと。お婆さんは私がいなくなったのも気づかないほど恐慌状態で、両腕で頭を抱え地小さく縮こまっていた。
「小次郎!」
「菊華ちゃん、逃げて!」
バカバカッ! 小次郎を置いて逃げられるわけないでしょ! しかも、標的が動いたことでワイバーンもこちらに狙いを定め直したみたいだ。まっすぐこちらへと飛んできやがる。
私は小次郎の震える手を上からしっかりと握る。もう……もうこうなったらやけくそだ! 小次郎を後ろから抱きかかえる体勢で剣の柄を一緒に握り……うわわわわっ、正面から見るワイバーンが怖くて気持ち悪いーっ。
「小次郎ーっ」
「やああああああああっ!」
びゅんと剣を振り切る。感触はほぼない。何かが剣身に当たった気がしたけど……軽いような? 私と小次郎の横をぶわっと何かが通り過ぎていった。その反動で二人でコテンと尻もちをつく。そして意味不明の眩しい光、光の洪水が私と小次郎を包んで圧倒していく。
ザシュッ!
何かか切り裂かれる音と、ぶしゅゅゅゅぅっと何かが噴き出す音が聞こえる。体は痛くないけど、怖いから目は開けたくない。そして二か所でドスンと重たい何かが落ちた音が聞こえる。そう……落ちた音。ええ? どうなってんの?
怖くて瞑ってしまった目を片目だけそおっと開けてみる。ワイバーンはいない。怯えて縮こまったお婆さんの姿は見える。よかった、お婆さんは無事みたい。
「菊華! 小次郎!」
ガシッと強い力で肩を掴まれる。ノロノロと顔を上げると兄の険しい顔が見えた。
「お兄ちゃん……?」
「よかった……、バカ菊華、心配したんだぞ」
兄に十何年ぶりに強く抱きしめられて、キョロキョロと目だけを動かす私。視界の端にへたりこんでいる姉の姿が映った。姉の泣き笑いの表情に釣られて、私もグスグスと鼻を鳴らしてしまう。小次郎はきょとんと剣を手にしたまま放心状態だ。私は無意識に小次郎の手から剣を取り上げた。
足を挫いたお婆さんは、恐る恐る空を見上げポカンとした顔をしている。
「そうだ! お兄ちゃん、ワイバーンは?」
兄は私の質問にスーッと指一本で答えた。そう、お前たちの横を見てみろと。
「ひっ!」
ドスンと何かが落ちた音は、ワイバーンが落ちた音だったのだ! 私と小次郎の真横には真っ黒で蝙蝠みたいな羽が広がっていて、こんもりと盛り上がった体はピクリとも動かない。頭があっただろう場所からはプシュップシュッと血が噴き出しているようだった。……なんか生臭い。
ワイバーンの頭は私たちの後方にゴロリと転がっていて、気のせいか恨めしい顔をしているように見えた。
「菊華と小次郎、怪我はないか?」
尻もちをついたまま動かない小次郎の体を兄があちこち触って確認するが、二人とも怪我はしてない。むしろ、ショックが強すぎて何も考えられない。ワイバーンのむせ返る血の匂いが気持ち悪いぐらいだ。
「菊華ちゃん、小次郎ちゃん」
姉が転びそうになりながら駆け寄ってきて、私の体に飛びついた。もちろん受け止めきれずにゴロンと二人して地面に転がる。あ~あ、背中が泥だらけだよ。森の中に隠れていたモーリッツさん一家もロッツを抱っこしてこちらへ走ってくるし、護衛の冒険者たちは念のためとワイバーンに止めを刺そうと剣を構えて近寄っていくのが目の端に映る。
ブヒンブヒンと興奮して暴れている馬車の馬を御者さんが必死に宥めているのを見て、ふふふと小さく笑いが漏れた。
生きている! あー、生きているって素晴らしい! アホ神って言ってすんませんでしたーっ! って改心したのに……嘘でしょ?
バササッと羽ばたきの音? うん? ワイバーンの羽よりも重そうな音のような? そして、安堵している私たち一行の上をワイバーンよりも大きな影が通り過ぎ……そして戻ってくる。嘘でしょーっ! 一難去ってまた一難ってこのこと?
「……またワイバーンか?」
エンリケさんたちが再び空を睨みつけて戦闘態勢に入り、乗客たちはクルリ森へと向きを変える。
「菊華、小次郎。動けるか?」
「……あ、あのお婆さん、足を挫いてるの」
そうだよ、あのお婆さんが動けないからこうなってんの。兄は私の言葉に無言で動き出す。お婆さんが反応するより早く背中に背負いこちらへ戻ってきた。
「ほら、逃げるぞ」
「う……うん」
いや……私、さっきのワイバーン騒ぎで腰が抜けてんだけど……。ガクガク震える足で立ち上がる私の頭上に影が被る。マジかーっ。
「びゅい」
ん? なんか、かわいい声が聞こえましたけど?
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