覇王雷心 ―信長異聞―
奈良まさや
第1話
🔳第一章 鉄工所の夜
夜十時すぎ。
奈良の町はすっかり寝静まっていた。
だが、郊外の鉄工所「ミナミ鉄鋼」だけは、まだ灯りが消えていない。
バチン。
火花が闇に散る。
作業台の上で、19歳の大和一郎は汗を拭いながら、赤熱した鉄の棒をプレス機に差し込んでいた。
「……これ、あと二本だな」
ぼそりと呟く声に、隣の作業台から返事が飛ぶ。
「おい、ヤマト。もう帰ろうぜ。こんな時間までやるとか、ブラック超えてるぞ」
声の主は金子隼也(かねこ・しゅんや)。
20歳、同じ寮。口は悪いが、この鉄工所に誘ってくれた先輩だが、歳は同級生だ。
「納期が明日なんだ。俺がやらなきゃ間に合わない」
「お前がやるから、みんなサボるんだよ。社長も“ヤマトがやるから大丈夫”って顔してるし」
「そういうの、やめろよ」
「ははっ、図星か?」
隼也が笑いながら溶接面を外す。
油で汚れた頬に、少年の面影が残る。
「お前さ、大学行けたんだろ?会社員もしてたのに、なんで鉄工所なんかで……」
「ってか、俺がこの鉄工所に勧誘したんだけどな」
と隼也は笑っている。
「俺、こういうのが好きなんだよ。形ができてく瞬間がさ」
「変わってるな。俺はもうちょいマシな職場で女と飲んでたいわ」
大和は苦笑して、火を止めた。
だがその手は、鉄の棒を握ったまま動かなかった。
「……隼也に、言ってなかったけど」
「ん?」
「俺、ここ最近、鉄の中が見えるんだ」
隼也が首をかしげる。
「は? 何それ、職業病?」
「違う。もっと細かい。“分子”ってわかるか?」
「理科で聞いたことある。ちっちゃい粒だろ?」
「そう。その粒が、組み替えられる。頭ん中でイメージすると、鉄が形を変えるんだ」
「お前、寝てないだろ」
「本当だって」
言うやいなや、大和は溶鉱炉の脇のくず鉄を手に取った。
手のひらに置き、目を閉じる。
……カチリ。
音もなく、鉄が動いた。
砂粒のように細かく震え、あっという間に小さなナイフの形に変わる。
刃先は光を帯び、空気を切り裂くほど鋭い。
「な……! なにこれ!」
「鉄と炭素の配列をちょっと変えただけ」
「ちょっとって……分子操作? お前、漫画かよ!」
隼也は呆然としながら、ナイフを触る。
冷たい。けれど、どこか“生きている”ような感触。
「誰にも言うなよ」
「言うわけねぇだろ! 頭おかしいと思われるわ」
二人は顔を見合わせて、ふっと笑った。
けれど次の瞬間——
工場の奥で、轟音が鳴り響いた。
ガコンッ! ギギギィィィ——!
「おい! プレス機、止まってねぇぞ!」
「非常ボタン押せ!」
隼也が駆け寄るが、レバーは戻らない。
鉄板が暴れ、火花が四方に散る。
油の匂いが焦げ、床が震えた。
「ヤマト、逃げろ!」
だが大和は、機械に手を伸ばしていた。
その内部で、異様な光が渦を巻いている。
赤でも青でもない、見たことのない色。
「……これ、違う。鉄じゃない、反応してる!」
「反応って、何が!?」
光が一気に膨張した。
空気が歪み、金属が音を立てて溶けていく。
「うわっ——!」
二人の身体は、風圧に吹き飛ばされた。
視界が白くなり、耳が裂けるような音。
次に見えたのは、空——
青く、どこまでも澄んだ空。
そして、太鼓と陣太鼓の音。
「……な、なんだここ……?」
「おいヤマト。あれ、見ろ……!」
丘の向こうに、無数の旗が立っていた。
「織田」「松永久秀」——
その文字が、風に翻っている。
焼ける草の匂い。飛ぶ矢。
どこか遠くで、誰かが叫んでいた。
「……うそだろ。ここ、戦場じゃねえか」
大和は、手の中のナイフを見つめた。
さっき作ったばかりの、分子鋼の刃。
それが夕陽を受けて、赤く光っていた。
🔳第二章 神の鍛冶
朝靄の中、鳥の声が響いていた。
丘の下には焼けた村。鉄の匂い、血の匂い、湿った土の匂い。
その中で、大和は黙々と刀を研いでいた。
「……あんた、何者だ?」
声をかけたのは、腕に包帯を巻いた侍だった。
傷口から血が滲んでいるのに、目は異様に輝いている。
「ただの鍛冶屋ですよ」
「ただの鍛冶屋が、壊れた刀を一晩で直せるか?」
侍は信じられないというように刀を振る。
切っ先が風を裂く。音が違う。鋼の芯が唸るように鳴いた。
「この刃……玉鋼でもない。まるで“神の鉄”だ」
「たぶん、鉄と炭素の“並び”を変えたんです」
「ならび?」
「説明してもわかりませんよ。見えないほど小さい、粒の組み合わせです」
「ふむ。見えぬものを操るか。まさに陰陽師よの」
侍は笑って去っていった。
その夜、噂は広まった。
“戦の死者の刀を蘇らせる、神の鍛冶がいる”
三日後、村に黒装束の兵が現れた。
彼らは誰も名乗らず、大和を囲んだ。
「おい、何の用だ!」
隼也が叫ぶと、兵の一人が低く告げた。
「上様がお呼びだ。織田信長公である」
息を呑む。
大和と隼也は、縄で縛られ、馬に乗せられた。
岐阜城。
山の頂にそびえる天主から、天下人の視線が落ちる。
夜、蝋燭の明かりが金の屏風に揺れていた。
「そなたが、鉄を神の如く操ると聞いた。名は?」
「大和一郎と申します」
「ヤマト、か。……良い名よ。国の名を背負うか」
信長は立ち上がり、刀を抜いた。
刃に、かすかな“青い光”が映る。
「我が敵は、神仏そのもの。ならば神の鉄が要る」
信長の目が、炎のように光る。
大和は息をのんだ。人間ではない。意志そのものが、戦そのものだ。
「お前の鉄で、天下を焼け」
その一言で、すべてが決まった。
大和は命じられるまま、工房を与えられた。
信長の城下、夜。
炉の中で鉄が溶ける。
隼也が、火箸で炭を動かしながらぼやく。
「なぁ、これ、やばくねぇか。歴史変わるぞ」
「もう変わってる。俺らがここにいる時点で」
「それ、軽く言うなよ……!」
大和は黙って、鉄を見つめる。
溶けた鉄の中に、“何かが混ざっている”感覚。
人の骨? 血? それとも——意志。
「ヤマト、顔怖ぇぞ。大丈夫か?」
「……わからない。鉄の中からん声が聞こえる」
隼也がごくりと唾を飲む。
「声?」
「『まだ足りぬ、もっと強くせよ』って……」
「やめろって、そういうの!」
だが大和は止めなかった。
手のひらをかざし、分子を再構築する。
鉄の中に微細な磁性体が生まれ、ゆっくりと脈動し始めた。
その刃は、夜の光を吸い込み、わずかに赤く明滅する。
まるで心臓の鼓動のように。
「できた……」
「これが、神の鉄か」
振るうと、空気が裂けた。
その瞬間、周囲の金属がわずかに引き寄せられる。
磁力。
だが普通の磁石ではない。
原子単位で方向が統一された異常磁性体——
「……これ、使い方を間違えたら」
「国ひとつ、吹っ飛ぶな」
二人は顔を見合わせ、笑いも出なかった。
その夜、大和は夢を見た。
炎の中、黒い鎧を着た男が立っている。
目の奥が白く光り、声が響いた。
『鍛冶の子よ。次に作るは、“雷を撃つ鉄”だ』
目を覚ますと、枕元に一本の金属片が置かれていた。
見たこともない、銀灰色の結晶。
手に取ると、ズシリと重く、微かに震えていた。
「……ネオジム?」
大和はつぶやいた。
そして、恐ろしい予感が背中を走る。
これはただの金属ではない。
——呪いの元素。
世界を焼く“磁の心臓”だった。
🔳第三章 雷の槍
数日後。
城下の工房では、鉄と火花の匂いが混じっていた。
炉の奥には、銀灰色に輝く金属——ネオジム。
大和はその結晶を、慎重に叩いていた。
「……おいヤマト、その石、光ってねぇか?」
隼也が眉をひそめる。
金属片の表面が、脈打つように淡く光っている。
「生きてるみたいだな。……いや、たぶん磁場の影響だ」
「じば?」
「磁石の“力線”が動いてる。普通じゃありえないくらい強い」
大和は鉄板を溶接し、円筒状に組み上げていく。
その中心にネオジムを埋め込み、螺旋状の銅線を巻き付けた。
「何作ってんだ、それ」
「……レールガン。いや、雷を撃つ鉄だ」
「れーる……? 鉄砲か?」
「見た目はな。でも弾を押し出すんじゃない。
磁力で、分子ごと撃ち出す。音速の数倍だ」
「お前、天才かバカかどっちかだな」
隼也は呆れながらも、興味津々で覗き込んだ。
筒の先端からは、わずかに青い放電が走っている。
触れたら一瞬で骨まで焼けそうな光。
「これ、もし信長が使ったら……」
「天下どころか、時代ごと終わる」
二人は黙り込む。
だが翌朝、工房の扉が乱暴に開け放たれた。
「大和一郎、出来上がったか」
低く響く声。
信長だった。黒い南蛮鎧を身にまとい、背後には家臣が数十人。
その目だけが異様に光っていた。
「……試し撃ちは済ませました」
「ならば見せよ」
大和は息を呑み、装置を持ち上げた。
見た目は南蛮銃に似ているが、銃口は滑らかな金属の管。
信長は興味深そうに手を伸ばす。
「これが“雷の槍”か」
「使うときは気をつけてください。
これは“雷の槍”じゃなく、“呪いの元素”です。扱いを誤れば——」
「よい、試す」
信長は引き金に触れた。
その瞬間、雷鳴が轟いた。
轟音ではない、空間が裂ける音だった。
数十メートル先の石垣が、一瞬で蒸発した。
煙も残らない。熱で空気が震え、地面が焦げた。
「……ほう。槍というより、
神の雷だ」
信長の口元が、ゆっくりと歪む。
家臣たちは誰も声を出せない。
その光景は、もはや戦ではなく“天罰”だった。
「これを十、いや百作れ」
「無理です! 材料が——」
「余が命じた」
冷たい声。
その瞳には、もはや人間の理性はなかった。
光を浴びた信長の頬には、かすかに黒い斑点が浮かんでいる。
それは、放射線火傷の初期症状だった。
夜。
工房に戻った大和と隼也は、無言のまま座り込んだ。
火の揺らぎが壁に影を落とす。
「……なぁ、これ、やっぱヤバいだろ」
「あぁ。人が持つべきもんじゃない」
「けど、止めたら殺される。どうすりゃいいんだよ」
大和は黙ったまま、レールガンの残骸を見つめた。
ネオジムの結晶が、まだ微かに光っている。
「呪いの元素——だな。
もともと安定だったネオジムの核が、強磁場と思念で歪んだ。
結果、ウランに似た不安定な核に変わった」
隼也の顔色が変わる。
「は? 混ざってたんじゃなくて、変質したのかよ!」
「うん。混入じゃない。核の位相ずれ。
だから、触り方を間違えると——人を喰う鉄になる」
「この金属……吸ってるんだ。人の“思念”を」
信長が握れば握るほど、こいつは“死神”になる」
隼也は震えた声で言う。
「これが、未来を救うロストテクノロジーか」
大和は、確かに現代にはない分子構造だと感じた。
翌日。
信長は神の雷を携え、敵陣へ出陣した。
その後、戦はわずか一刻で終わる。
千の兵が、一瞬で灰になったと記録されている。
だがその夜、城に戻った信長の身体は震えていた。
唇が黒ずみ、目の下に血の滲むような影。
彼の体内で、“呪いの元素”が進行していた。
「……神鉄の熱が……冷めぬ……」
信長は胸を押さえ、血を吐く。
吐いた血が床を焦がした。
「おのれ……神をも超えるのか……ヤマト……」
その声を、大和は遠くの工房で聞いた気がした。
雷鳴が轟く。
そのたびに、炉の中のネオジムが脈打っていた。
「……もうすぐだ」
「何がだよ、ヤマト!」
「信長が壊れる。あいつを止めるのは、俺しかいない」
大和の目には、炎の光が宿っていた。
その手の中で、もう一丁のネオジム純度99.99%を使った放射線も出ない“神の雷”が形を取る。
彼自身が、神を超える鍛冶神となっていた。
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