第7話 支配と解脱の尻叩き(プロデューサー)
1.安物の独裁者
権力は腐敗する。絶対的な権力は、絶対に腐敗する。 歴史の授業で習ったこの格言は、軽音楽部という狭い部室においても真理だった。
「いいか、お前ら。前回のライブでユウジの『手抜きドラム』がウケたのは誰のおかげだ?」
部室の真ん中で、ドン・キホーテで買ったであろう光沢のある安物のスーツに身を包み、屋内だというのにサングラスをかけた男が演説をぶっていた。 カズだ。
「僕のサボり癖です!」 ユウジが元気に答える。
「違う! 俺が『薬(ただのラムネ)』を与えて、極限状態に追い込んだからだ。つまり、俺の『計算(ロジック)』だ」
カズはホワイトボードに、マジックのキュッキュッという不快な音を立てて書き殴った。 『総合プロデューサー:松岡和也』
「今日から俺がルールだ。お前らの野生的な感性は古い。これからは俺の完璧なシナリオ通りに動いてもらう」 カズはサングラスの奥で目を光らせ(たぶん)、宣言した。 「次の目標は……『爆音甲子園』決勝大会の完全制覇だ。そのために、合宿を行う!」
「プロデューサー……?」 僕はパイプ椅子の上で足を組んだ。 「僕たちを管理しようというのか。ふん、『管理された絶望』か。……悪くない響きだ」
「わあ! カズくん、裏方さんだね!」 ナナが手を叩いた。 「地味な仕事、似合ってるよ~! じゃあ、これからのゴミ捨てと機材運びはカズくんに任せていいんだね!」
「(ピキッ)……ゴミ捨て係じゃない! 総監督だ!」 カズの額に青筋が浮かんだ。哀れな独裁者だ。
2.禅と警策(けいさく)
連れてこられたのは、蝉時雨がうるさい山奥の古寺だった。 『空即是色寺(くうそくぜしきじ)』。 マスター・ヨハンの紹介らしいが、ヨハンの交友関係はどうなっているんだ。
「ヨハンから聞いておる。煩悩まみれの愚か者どもとな」
仁王立ちで僕らを見下ろすのは、住職の厳鉄(げんてつ)。 その手には、剣道部のアレよりも平たくて硬そうな木の棒――警策(けいさく)が握られている。
「ここではスマホも楽器も禁止じゃ。あるのは『静寂』のみ」
「……無(望むところだ)」 タカシが静かに頷いた。彼は普段から喋らないので、修行僧としての適性は高そうだ。
「あの棒……僕のスティックより強そう……」 ユウジがガタガタ震えている。
「住職、俺はプロデューサー枠なので、実技は免除で……」 カズがポケットに手を突っ込んだまま言った瞬間だった。
喝ッ!!
空気を切り裂くような怒号と共に、警策がカズの肩に振り下ろされた。
パァァァン!! 乾いた、非常に抜けの良い音が境内に響き渡った。
「あだァッ!!」 カズがのけぞった。
「サングラスを外せ。ここは芸能事務所ではない」 厳鉄住職は、カズの安いサングラスを取り上げ、懐にしまった。
3.煩悩の可視化
本堂での座禅が始まった。 静寂。線香の香り。 ……そして、激痛。
(足が痛い。血流が止まっていく。壊死するんじゃないか?) 開始五分で、僕の悟りは崩壊した。 この痺れ……これこそが、現代社会に押し潰された僕の魂の叫び……。 ああ、いっそ足を切り落としてくれ……。ネネの顔が怖い……。帰りたい……。ナナに膝枕してもらいたい……。
パァーン! 僕の肩に警策が炸裂した。
「ぐあっ! ……痛み、それもまた快楽……」 「邪念が顔に出ておるぞ」
一方で、ユウジは恐怖のあまり、住職が近づくたびにビクッとして奇妙な動きをしていた。 タカシだけは微動だにせず、後光が差しているように見えた(たぶん寝ている)。
地獄のような時間が終わり、宿坊に戻った僕たちを、ナナが待っていた。 「みんな、お疲れ様~! 今日の修行をイメージして、新しいTシャツを作ったよ!」
嫌な予感がした。
タカシには『空』
ネネには『修羅』
ユウジには『ビビリ』
カズには『権力』
そして僕に手渡されたTシャツには、丸文字でポップにこう書かれていた。
『煩悩まみれ』
「……ナナ。なんだこれは」 「だってケンくん、座禅中ずっと『足痛い、帰りたい、ネネちゃん怖い、ナナちゃん好き』って顔に書いてあったもん! 人間らしくて最高!」
僕は畳に突っ伏した。 心の声(ポエム)がダダ漏れだったのか。 僕は詩人失格だ。ただのむっつりスケベじゃないか。
4.プロデューサーの誤算
翌朝。 修行の総仕上げとして、本堂での演奏が許可された。 新曲『Gedatsu Rock』のリハーサルだ。
お経のリズムを取り入れた、サイケデリックなナンバー。
だが、ユウジのドラムが噛み合わない。
原因はカズだ。彼はユウジに「このタイミングでミスをして笑いを取れ」という台本を強要していた。
「違う! そこでスティックを落とせ! 角度は四十五度だ!」 カズが演奏中に怒鳴り込んでくる。
「無理ですカズ先輩! わざと間違えるなんて高度なことできません!」 「俺の言う通りにしろ! 俺はプロデューサーだぞ! 俺が全てを支配するんだ!」
カズがユウジの耳元で叫んだ時、ユウジの中で何かが切れた。 あるいは、繋がった。
ユウジの視界に、カズの安物のスーツの張りのあるお尻が入った。
そして、手元にはドラムスティックの代わりに、なぜか昨日の住職の「警策」が置かれていた。
(支配……? 違う。僕が求めているのは……あの音だ! 煩悩を打ち砕く、あの音だ!)
ユウジは無意識に警策を掴んだ。
「喝ッ!!」
フルスイング。 ユウジの警策が、カズの右尻を捉えた。
パァァァァーン!!!
「あだァッ!!」
その悲鳴と打撃音が、タカシのリフの裏拍(バックビート)に、奇跡的にハマった。
タカシが目を見開く。
「……覚醒(それだ)」
タカシがリズムに合わせてギターを刻む。
ユウジがゾーンに入った。彼はもうドラムを叩いていない。カズを叩いている。
パァーン!(ズン) パァーン!(タン) あだッ! 痛ッ!
「……美しい」
僕は『煩悩まみれ』Tシャツを着ながら、ベースを弾いた。 「権力者が尻を叩かれて泣き叫ぶ。これぞ下剋上のグルーヴ!」
「やめろ! 俺だぞ! プロデューサーだぞ! ……痛いけど……リズムキープしなきゃ……!」
カズの悲しき習性。彼は悲鳴を上げながらも、無意識にリズムに合わせて声を調整していた。 彼はプロデューサーではなかった。人間メトロノームだったのだ。
5.打楽器としての再出発
合宿が終わり、僕たちは下山した。 カズは、お尻に湿布を貼って、生まれたての子鹿のようにヨロヨロと歩いていた。
「……俺は認めない。あんなの音楽じゃない。ただの傷害事件だ」 「カズ先輩、最高でした!」
ユウジが満面の笑みで言った。
「先輩のお尻、スネアドラムよりいい鳴りしてました! ヤマハ超えです!」
「カズくん、プロデューサーって凄いね! 自分の体を楽器にするなんて、誰も思いつかないよ!」 ナナが感心している。いや、感心するところが違う。
タカシがカズの肩に手を置いた。
「……友(メンバーだ)」
カズが涙目になった。
プロデューサーという虚構の権力を失い、「人間ドラム」という、バンド内で最も原始的かつ過酷なポジションを手に入れた瞬間だった。
僕はノートを開いた。
『権力は脆い。 尻の痛みと共に、彼は地に落ちた。 ……ようこそ、底辺へ』
僕たちのバンドに、新しい楽器(カズ)が加わった。 決勝大会への準備は、別の意味で整ったようだ。
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