第4章 新人戦(1)さあレースが始まる

到着

 

 古都がいつから存在しているのか、誰も知らない。

 文字による記録がある遥か以前から、すでに在った。伝承では、遥か北、山脈を越えたところから来たおうの一族が造ったと言う。最も古い記録である創記が書かれた2000年前には存在していたことになる。

 このくにで最も古い都市である古都は、最も多くの人口を抱えている。巨大なうみであるシュマリナイから流れ出た河、セタが南方を流れる盆地に造られた古都は、盆地の中央にある皇宮から真っすぐ南に延びてセタ河に至る20キロメートルにも及ぶ大街路が基軸となっている。街はこの大通りを中心に東西に発展し、諸国の様々の物品を商う店や生活に必要なものを作る工房が集積することで大いに栄えていた。

 政治の中心であることはもちろん、あらゆる文化や流行は古都から始まっていた。

 この邦を統べる皇は、代々古都の皇宮に住まい、詔書を発信することで永らく平和な治世を誇っていた。

 しかし大きな戦乱が起き、一時的に古都は荒廃してしまう。500年ほど前のことだ。


「ところが、我々鳥人族は別の場所で生まれたようなのだ。」

 古都に到着して宿所へ向かうための準備をしながら、クインツスが言った。

 もう太陽はだいぶ西に傾いていた。

「東の虚空に浮かぶ浮島から地上に降り立った人々とも言われる。伝承のみで、今のところ文書としては残っていない。」

「古都の鳥人族はいつ頃からいるのですか?」

 アヤハが翼を脱ぎながら訊いた。

「記録以前の2000年前には居たようだね。しかし我々崖街の鳥人族の方が、古いかも知れない。崖街で昇り降りするには、鳥人は便利だからね。」

「古都の鳥人族の主な仕事である伝令は、比較的新しいんだ。もともと古都に鳥人族は住んではいなかったが、空からの伝令という能力が皇に認められて、くにのお抱えとして崖街の鳥人の一部を古都に棲まわせたという言い伝えもある。」

 鳥人族はすべての街に居るわけではない。このくにでも古くから存在し、かつ重要な場所で、ある程度繁栄している街に居る。

 街々の鳥人族同士はお互いに干渉しないことが不文律になっている。このため若い鳥人の育成の方法や翼などの飛行用具は街によって違う部分があり、独自に発展してきた。

 それでも伝令の仕事などで、出先の街で鳥人同士が行き会えば、友好的な関係を築くのが通例であり、その際にその街の鳥人たちの様子が伝わってくる。翼などの用具や装束を見れば、どの街の鳥人が大抵識別することができた。

 たとえ街と街で諍いがあったとしても、鳥人同士では友好的に振る舞う。

「古都の鳥人族は、皇の直轄なので確かにエリートではある。

 でも私が知っている古都の鳥人たちは、どちらかというとおっとりしている人が多いような気がする。」

 アルシノエが付け足す。

「伝え聞いた噂によれば、今年の古都の若鳥たちは、あまり訓練に熱心ではないそうよ。」

「自分たちのホームでのレースなのにもったいないことだ。」

とクインツス。

「今年は、海街のカヴァの名前が何人かの鳥人から聞かれたわ。前評判がすごいのね。」


 古都は、四方を山に囲まれた天然の要塞で、セタ河は東山の南端から西に向かって古都盆地に流れ込み、西山に阻まれると南に流れを変えて西山と南山の間から南のセッツ平野に流れ出る。西山と南山の間はシステロンと呼ばれ、南から古都に入る関所であり、関所の外側には古都へ入る旅人たちの宿場町になっていた。

 西山と南山から、それぞれ鋭く直立した高さ500メートル級の峰が河の両岸に迫り出していて、天然の門になっている。河岸はなく、河まで下りて古都に入ろうとするものは、激しい流れの中を行くことになる。

 関所は、河の西岸に沿って整備された街路が西山にぶつかってくり抜かれた隧道の中に設けられていた。

 関所を通過すると、左手にある西山の峰は大きく湾曲し北へと延びていた。古都の鳥人族の拠点は、西山の麓、システロンの隧道をよく見通せる場所にあった。

 関所の外側にある宿場町とは別に、ここには鳥人たちが利用できる宿所が設けられていた。ここが競技会の集会場ともなる。

 宿所に入っていくと、玄関から入ってすぐのところが広間になっており、すでに多くの鳥人たちで賑わっていた。

 鳥人族はどの街でも特権階級であり、貴族に列せられている場合も多い。古都でもそうだし、古都よりさらに古い歴史を持つ崖街では神聖さを持って敬いの対象となっていた。

 新人戦に集った鳥人は、今年、鳥人として初めて空を経験した若鳥達だ。しかし彼ら彼女らを指導した者たちは、いずれも鳥人としての経験と技術に秀でているばかりでなく、品位がふさわしいものしか導者として任命されない。

 そのため、ヒワはそれまで自分では気づいていなかったが、自分たちや他の街の若鳥たちも品位ある立ち居振る舞いが自然と身についているように見受けられた。

 自分たちと同じような年代の若鳥たちが集う様は壮観だった。これから始まるレースへの期待と緊張の活気がみなぎっている中にも、自信があふれ優雅な雰囲気があった。いくつもの談笑の輪の中に導者たちがちらほら見受けられた。

 ヒワは無意識に広間を見回してある顔を探していた。

 そしてその人はいた。

 ヒワがその横顔を見つけたと同時に、相手もこちらの方を向いた。そして笑顔になった。

 しかし目線が合った次の瞬間、なぜかヒワは視線を逸らせてしまった。

「海街の人たち!」

 アヤハが叫ぶと、駆け寄っていった。

 海街の若鳥達も気づいたようだ。お互いに歩み寄っていった。

「やあ、久しぶり!」

「あの時はお世話になりました。」

「カヴァ。」

 ヒワはその名前を言うのがやっとだった。

「ヒワ」

 カヴァが微笑みかける。寄り添うように、イータも一緒だ。

若鳥たちはお互いの名前を呼びあい、再び打ち解けた。

 胸の高まりを感じたのは、ヒワだけだったのだろうか。


 やがて夕食の合図の鈴が鳴り、広間の一行はぞろぞろと隣接する食堂へと移動した。長テーブルが三列あり。座席は自由だった。自然と崖街と海街の鳥人たちは隣り合わせに座ることになった。

 全員が着席した頃、ヒワたちが知らない、いかにも高貴そうな数名が入室してきた。

「古都の鳥人族の総裁クレンよ。」

 アルシノエが小声で教えてくれた。

 先頭を行くのは厳かな雰囲気の壮年の女性で、付き従うのは各街から若鳥たちを引率してきた導者と同じ世代の男女だ。それぞれ鳥人族であることを示す羽毛が付いた槐色のガウンを羽織っている。一行はテーブルを見通せるステージのようなところまでくると、総裁のクレンが真ん中に立ち食堂を見渡して言った。

「若鳥たちよ、ようこそ古都へ。」

 やさしげに微笑みながら続ける。

「皆さんをここにお迎えできたことをうれしく思います。

 今年の新人戦に最初に到着したひとたちですね。古都の代表として歓迎します。この後、遠くの街からも到着が続くでしょう。

 今日はゆっくりと体を休めてください。明日からは、練習日が始まります。1週間後の決勝戦に向けて、しっかり調整をしてください。

精霊のご加護があらんことを。」

 それを合図に食事が始まった。

 古都らしく美しく盛り付けられた料理が運ばれて来た。食卓に一皿ずつ置かれ、それを銘々で取り分けて食するのだ。他の街ではあまり見られない食べ方だ。

 崖街の若鳥たちは、周りの食卓の様子を見よう見まねで、自分の皿に料理を取り食べ始めた。クインツスたちは慣れたものだ。あたかも古都の人のように優雅に食事をしている。

「この肉は何?」

 アトリが訊いた。

「うまい。はじめて食べた味。」

「これはイノという動物だよ。

 崖街でも食べるけど、料理方法が違うね。」

「なんか上品な感じ。」

「そう、古都は宮廷料理を頂点として、このくにの料理の粋を集めているとの評判だね。農産物や動物、魚から時間をかけて作ったスープを基本として、とても手の込んだ調理をしているね。」

「まあ、私としては素朴で粗削りな崖街の料理の方が好みだがね。」

 クインツスがこんなに自ら意見を言うのは珍しい。

―食にこだわりがあるのか。

 ヒワはそう思いながら、かすかに焦げ色が付いた薄くスライスされたイノという動物の肉にとろりとしたソースを浸け口に入れた。歯ごたえのある肉はしっかりとした旨味とコクがあり、それでいてさっぱりとした後味だった。

 鳥人の中でも鳥と意思疎通ができるヒワのような鳥使いは、鳥の肉は食べない。しかしワシやタカのような猛禽類を使い鳥としている鳥使いは鳥の肉を食べる者もいる。使い鳥で猟を生業とする鳥人もいる。そうした者のために、鳥の肉も用意されており、食卓に持ってきた際に、鳥の肉であることを確かめてから置いてくれる。皿には肉とともに色とりどりの木の実やドライフルーツが載っていて、肉と一緒に食するようだ。ヒワはいくつかの木の実とドライフルーツを食べてみた。木の実の香ばしさとフルーツの甘酸っぱい味が、肉の旨味と調和してより食欲が刺激されるのを感じた。

―おいしい!

 心の中で呟いた。

 この邦には街によってさまざまな特徴をもった料理がある。

 海に近いところでは海産料理、森や牧畜の盛んなところでは肉料理など、その中でも地域によって採れる農産物や海産物が異なるし、得られる動物や鳥類の種類も違ってくる。

 鳥人の中には仕事で街を訪れる時、その街ならではの料理を食べるのが楽しみだという人がいる。クインツスもその一人なのだろう。自分も将来そうなるかも知れない。

 

 気が付くと、食堂内は食卓同士で話が盛り上がり賑やかになっていた。

 自然と隣の食卓の海街の面々が話しかけてきた。

「やあヒワ。いよいよだね。緊張してる?」

とイータ。

「してないと言えばうそになるわ。そっちはどうなの?」

「してないと言えばうそになるわ。」

 顔を見合わせて笑った。

 二人はすぐに海街での夏の時に戻って打ち解けた。

「カヴァは相変わらず?色んなところで噂を聞くけど。」

「絶好調、って言いたいところだけど、本当はどうかな。

 本人にしかわからない。」

「プレッシャーはあるんでしょうね。」

「本人に聞いてみたら?」

「いえ、遠慮しとくわ。」

 その時、カヴァと目が合った。

 一瞬、心臓が止まったかのような感覚。

 カヴァが微笑む。

―何か言わなきゃ。

「ヒワ。」

「その節はどうも。」

 少し間の抜けた挨拶。

 まじまじとカヴァの顔を観る。

 特に目を引くような目立つ顔立ちではない。どちらかと言えば普通の少年だ。しかし、どことなく泰然とした雰囲気が大人びて見せるのだろうか。

「明日から練習だね。」

 廻りの若鳥たちを入れて、フライトの話が始まった。

 レースのコースのこと、天気の素養のこと、夏の遠征でのフライトのこと。お互いの情報個交換だ。

 でも勝負を左右する戦略のことは言わない。


 それは導者陣でも同様だった。

 この新人戦への気合の入れ方は、街によって温度差があった。

 プライドをかけている街や、年1回の行事として楽しめばよいと考えている街など、それぞれ引率してきた導者によってチームの雰囲気にも違いが表れていた。

 実は、崖街は毎年海街と優勝を争っていて、ここ10年間は崖街が連勝していた。

 クインツスは新人戦を率いるようになって3年ほどだが、あまりがつがつしている様子は見られない。いつも通り冷静に見受けられる。

 一方で、海街の導者ビエルスコは、優勝を奪取すべく相当張り切っていると聞く。20年に一度の逸材と噂されているカヴァを手に入れたのだ、無理もない。

 導者たちの間では、選手である若鳥たちよりも露骨に作戦の探り合いがおこなわれていた。

 どういう天気になったら、どの経路を飛ばせるのか。相手はどのくらいコースの詳細を把握しているのか。各街の鳥人族には過去飛んだ経験の蓄積がある。山の高さやどこにどのような地形があるか、どこにサーマルリフトのトリガーとなる場所があるか、どのようなときにどの方向に風が吹くか、それらの情報は、地図に細かく記載されていて、競技会の勝敗を左右する。それぞれの最大の秘密である。いずれにしてもその地図は、他の街の鳥人族に見せることは決してない。

 

 カヴァ本人はどうか。

 ヒワはカヴァの表情を探ってみる。

 特に不安な様子はないような気がする。緊張をしているのか否かは、普段のカヴァの様子を知っているわけではないヒワにはわからない。

 カヴァはヒワたちとの夏の後、どんなフライトをしたのか、楽しそうに話している。大抵アジサシのハッカとイータと一緒に飛んだようだ。

―この人は本当に飛ぶのが好きなんだ。

 ヒワはつくづくそう思う。

 鳥人の中でも「鳥使い」たちは、自分の使い鳥と行動することが多いが、カヴァやヒワのように、鳥人になりたての者はいつも同伴しているわけではない。ましてや、このような競技会に連れてきている者はいないだろう。

「ヒワの使い鳥はなんて言ったっけ、元気?」

「アステア。でもあの子はまだ私の使い鳥といえるほど、心を開いてくれてはいないわ。」

 ヒワはアステアだけではなく、小鳥やタカなどさまざまな鳥と会話することができる。実は一羽の使い鳥と行動する者が多い鳥使いの中では異色の存在だった。


打ちブリーフィングわせ


 その夜、崖街の鳥人たちはクインツスの部屋に集まって、明日からの練習フライトの打ち合わせをした。

 まず、システロンの天気読みの予報がすでに出ていて、日程の確認と天気の予想をアルシノエが話した。鳥人族はその職務上、気圧の変化や風に敏感でなくてはならず、若鳥たちの指導者になる者は特に鋭い感覚を持っている。クインツスとアルシノエも優れた予報能力を持っており、それらの情報を総合すると、これからの練習日は若干崩れる日もあるかも知れないが、おおむね安定した条件が続くと予想されるそうだ。ただ、1週間後の本戦日まで持つかどうかはわからない。

 そして、うやうやしく広げられたのが、崖街に伝わる秘密の地図だ。

「百年以上前から、わが街の鳥人族が受け継いできたものだ。」

 1メートル四方の地図は、古都を中心に描かれており、西はイバラから東はシュマリナイ湖まで入っている。巨大な湖であるシュマリナイの上空には浮島があるはずだが、そこは空白となっている。

 シュマリナイから南に流れ出たヤス河が大きく西へと進路を変え、古都の南方を西向きに流れた後、西山にぶつかると今度は南へ向かい、システロンから南西へと流れ出る。

 地図上には驚くほど細かい文字で余白がないほど様々情報が書き込まれていた。

「書き込む場所がなくなったら、新しく地図を更新するというわけだ。

 それでもこれは30年以上たっている。」

 苦笑しながらクインツスが呟く。

「出発点はここだ。」

 今、ヒワたちがいる宿所から少し離れたところに印を示しながらクインツスが言った。

「旅鳥は宿舎前の広場から飛び立つことが普通だが、新人戦ではどちらの風向きでも楽に離陸できる丘の上の発着場を使う。

 今回は安全上、参加者が一度に飛び立たず、街ごとの順番で離陸することになっている。本戦では、競技者が全員飛び立ったら地上から出発の合図ののろしが上がるので、それまで上空で待機となる。練習日はのろしは無い。」

 地図の右側のセタと書かれた場所を指しながら続ける。

「ここが目的地ゴールのセタ。湖から河が流れ出るところにむらがあるが、そこから少し登ったところに発着場があるので、そこに降りればよい。」

「問題は経路だ。本戦では主催者から課題タスクが指示される。旋回点が読み上げられ、その旋回点を順番通りに通過してゴールまでたどり着かなければならない。上空を通過すれば良い旋回点もあれば、一度着陸して記帳しなければならない旋回点もある。」

「地図に年号と数字が記された場所があるだろう。例えば、この旋回点は5年前の新人戦で第三旋回点として指定されたところだ。着陸しなくてもよいところだが、その代わり地上に審判員がいて、その真上と前の旋回点の方向と次旋回点の方向とを結んだ角の外側を通過しなければならないことになっている。」

「どのようなタスクが出ても、上昇流を拾えるように、地形は習熟しておく必要がある。いくつか模擬演習シミュレーションしてみようか。」

 クインツスはアルシノエを見て言った。

「アルシノエ。タスクを出してみて。」

「最も簡単なタスクね。

 北西風1メートル毎秒、第一旋回点はガプ、第ニ旋回点はブリヤール。」

 ヒワたちは、地図上で位置を確認する。ガプはシステロンを10キロメートル北上したところにあった。西山を辿っていけば良いので難しくなさそうだ。途中のサーマルリフトのトリガーになりそうな印も確認していく。ブリヤールは見つけにくかったが古都を渡って東山の麓にある丘だった。

「皇宮の上空は飛行禁止になっているから迂回しなきゃいけない。」

 アルシノエが指摘した。

「どう飛ぶ?」

 三人は考え込んだ。

「皇宮の南を飛べば最短距離じゃない?」

 アヤハが言った。

「ずっと街の上なので、リフトも発生しやすい?」

「日射によるわね。」

 ヒワが返す。

「日射が強ければ建物の屋根や広場で熱が発生するけれど、そうでなければあまり期待できない。」

「それじゃ北の山の方を迂回する?」

 アトリが言った。

「南向きの斜面だから、街よりは早く温まる可能性があるね。地図のトリガーの印も街中より多いし。」


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