第2話 妻の顔を見ずに済むのならば転移先の世界は天国だ
空が明るさを取り戻した。
目の前の景色はガラッとかわっていた。
俺、さっきまで公園にいたはずだよな?
だが……ここはどこだ!
見渡せば、見知らぬ町並みが広がっている。
建物も道も、まるで遠い昔の外国。
行き交う人々の服装も、かなり変わっている。
――あの不思議な少女は?
辺りを見回すが姿はない。無事だろうか。
おやっ。足元に人形が落ちていた。
間違いない――。あの少女が抱えていたものだ。
拾いあげ、土の汚れを払う。
ふと、周囲の視線に気づいた。
町の人たちが、物珍しそうにこちらを見ている。
一人の男が指を差し、声をあげた。
「イセーカイジーン!」
えっ、なんだ? イセカイジン?
かなり訛っていたが『異世界人』と言ったのか。
彼の一言をきっかけに、多くの人が声をかけてきた。
「コニーチワ」
「ゴキゲン イカーガ」
「アヤシー モーノ デワ アリーマセン」
「ミナ トモダチー」
ひぃっ、来るな! 寄るな!
気味が悪いぞ。
俺は反射的に走り出した。
彼らはしつこく追ってくる。
大通りを抜け、細い路地に飛び込んだ。
壁に背を預けて息を整える。
そういえば、これ……。
あの不思議な少女の人形だったな。
今度会ったら返さないと。
でもまた会えるのか?
彼女、どこに消えたのだろう。
そもそも、ここはどこなんだ?
俺、どうすりゃいいんだ……。
小さな人形の鼻先を、指でちょこんと弾く。
――直後、眩しい光が弾けた。
「うわっ」
思わず人形を落としそうになった。
驚くのはまだ早かった。
光に包まれながら、人形が変化していく。
次第に大きく、そして姿はリアルな人間に。
いま、信じられない光景を
この少女は!?
どこかに消えたと思ったが、早くもまた会えてしまった。
「さっき拾った人形の正体、キミだったんだな?」
でもどうなっている。
俺にはさっぱりだ。
「逆よ。わたしの正体が、さっき拾われた人形」
ワケのわからないことを言いやがった。
余計に頭の中が混乱してきた。
ただ、彼女はどう見ても人間だ。
しかもガキの頃、池畔でよく遊んだ少女とそっくり。
「キミが人形……?」
小さな首肯が返ってきた。
「ええ、そう。だけど、いまはあなたと同じ人間」
「あ~駄目だ。理解が追いつかない」
少女は長い黒髪を掻き払った。
「きちんと理解できていないのは、わたしも同じこと。ただ事実として、自分の意思でどちらにもなれる……人形にも人間にも。あなたは昔、人間になったわたしと、よく遊んだのよね」
話を聞けば聞くほど、頭の中がグチャグチャになる。
そのとき――。
どこからか騒がしい声が聞こえてきた。
「イセカーイジン トモダチ」
「イセカイジーン ヨーコソ」
まだ俺を探し続けてたのかよ。
「アイツら、俺をどうするつもりなんだ」
すると少女が言う。
「逃げ切るのは無理ね。だいたい、逃げられたとしても、住む場所も食べ物もないのでしょ? 捕まってみてはどう? 彼らに悪意は感じられないわ」
「かもな。逃げたって無駄に疲れるだけだ」
「なら決まり。危険になったら、わたしが守るわ」
「守る? まだ子供のキミが?」
なんの冗談だ。こんなときに。
少女が怪しげに笑う。
「見た目の問題? だったら、これでどうかしら」
華奢な体が光を発する。
その体はみるみる成長し、十代後半ほどの姿に。
「嘘だろ!?」
しかし彼女はふらりとよろけてしまった。
「不慣れな力を一気に使ったせいね……。いったん人形に戻るわ。またあとで」
「お、おい?」
少女はふたたび小さな人形に。
俺は呆然と立ち尽くした。
なんだか一人、取り残された気分だ。
冷静になろうと深呼吸した。
少女の言葉どおり、捕まってみよう。
細い路地から出た。
すぐに人々が俺を見つける。
「イセカイジーン!!」
たちまち取り囲まれた。
その中から進み出たのは、一人の若い女――。
キリッとした眉に、引き締まった口元。いかにも生真面目そうな感じだ。鎧のようなもので身を包み、腰には剣をぶらさげている。女兵士といったところか。
その立派な装備を見て、小さな不安がよぎった。
もしや……俺を斬り殺しにきた、なんてことはないよな?
しかしどうやら杞憂のようだ。
彼女は硬かった表情を緩ませた。
「お兄さん、安心してください」
決して流暢ではないが、きちんと日本語になっていた。
だが……お兄さんだと? そうか。コイツは客引きか!!
強引に馬車に乗せられた。
客引きにも思える女兵士が、ぴったり隣に座る。
おい、ちょっと。近すぎるって。
どこに連れていくつもりなんだ。
やはり……。いかがわしい店か。
カネならば持ってないぞ?
「これをどうぞ」
輪っかを差し出してきた。
「それをどうしろと?」
「腕輪です。はめてください」
はめたらどうなる? まさか取り返しのつかないことに?
輪っかには、不吉な感じが漂っていた。
そのデザインが俺の結婚指輪に似ていたのだ。
そういえば、俺の左手薬指から結婚指輪が消えている。
指輪だけじゃない。この服だって、俺が着ていたものとは違う。
きょうも普段どおりスーツで通勤していたはずなのだ。
けれどこの服には見覚えがある。
そうだ。若い頃こんな感じのを着てたっけ。
差し出された謎の腕輪について――。
受け取る前に確認しておく。
「それ、なんのためのものだ?」
女兵士は自分の左腕を見せた。
同じ腕輪がはめられていた。
ペアリング……いや、ペア腕輪ってことか。それを俺と?
コイツ、よくある『思わせぶり商売』の女だったのか。
「魔道具です。知らない言語でも会話できます。この世界の言葉で話すとこうなります。%#-?!/@~ +&$-#?……」
彼女は奇妙な言葉を話し始めた。初めて耳にするような言語だった。もちろん言葉の意味は理解できない。
だとしても嘘くさい。
まあ、実際に試してみるしかないか。
腕輪を受け取り、腕にはめてみる。
途端に彼女の話す言葉の内容が、すらすらと頭に入ってきた。
すげぇーや!
この腕輪、翻訳機じゃん。
驚きの感想を彼女に伝えたいと思った。するとどうだろう。彼女の言語と思われる文章や発音が、頭に浮かんでくるではないか。それを辿々しいながらも声に出していく。
彼女が微笑んだ。
意味が通じたらしい。
「未知の世界から来たお兄さんと話ができて嬉しいです」
またお兄さんと言った。
俺、四十七のオッサンだぞ。
やはりこの女、怪しいことに変わりはない。
「お兄さんなどと呼ぶな。不快過ぎる」
「すみません」
女兵士はシュンとなった。
ところが……。
腕輪に俺の顔が映る。
ハッとした。嘘だろ?
腕輪に映った自分を見ながら、てのひらで顔に触れてみた。
「ええと……鏡が必要ですか? でしたらこれをどうぞ」
女兵士から鏡を渡され、あらためて衝撃を受けた。
これ、いったいどうして??
鏡に映った俺の顔が若返っていた。
おおよそ高校生くらいにまで。
彼女が『お兄さん』と呼んだことも理解できた。
「さっきは突然怒って悪かった」
「いいえ、馴れ馴れしくお兄さんと呼んでしまったコチラが悪いのです」
別に馴れ馴れしかったから怒ったわけではない。
だが、そういうことにしておいた。
馴れ馴れしいといえば……。
町の人々がまさしくそれだった。
彼らは『コニーチワ』などと下手な日本語で呼びかけてきた。
彼女の話によれば、最近、俺以外にも日本人が現れるようになったらしい。日本語の簡単なフレーズを面白がり、いくつか覚えた人も少なくないのだとか。
この町の住人は気さくで親切な人が多く、見なれない服装の日本人を見つけたら、手を差し伸べたがるのだという。
ちなみにここでは日本人を【異世界人】と呼び、自分たちを【大地人】と呼んでいるそうだ。
立派な城壁が見えてきた。
城壁の門が開く。馬車はそのまま門を潜っていった。
広大な庭が遠くまで広がっている。
「こんなところに連れてきて、俺をどうするつもりなんだ」
「毎日おいしい食事が与えられます。快適な寝床も提供されます」
彼女の言葉、そのまま信じていいのだろうか。
「ここが異世界人収容所なんてことは?」
「ありえません。むしろ天国のようなところだと思います」
天国のような? まあ、
城壁内の広大な庭を馬車が進む。
人々の姿が見えてきた。
「本日さまよっていたところを救助されてきた異世界人の皆さんです」
日本人っぽい容姿の者たちがたくさんいた。
皆、日本人だろうか? もしそうなら仲間ができたようで心強い。
そうであってくれ……。
**************
(悪妻は後で再登場します)
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