父と子
平蔵
父と子
木造アパートの六畳間。外では雪が降っている。
どてらを羽織って炬燵にあたっている父親は、傍らでミニカーを転がして遊んでいる六歳の男の子を眺めて、ふとため息をもらす。
「ぶう、ぶう。ぶーん」
子供はジャガーのミニカーを炬燵板の縁に沿わせて、なかなかご機嫌のようだ。テレビが大雪のニュースを伝えた後、クリスマス・ソングを流し始めた。と、子供の手が止まった。テレビに目を向けながら「ジングルベール、ジングルベール、ぶーん、ぶーん、ぶーん」と歌う。画面の中の電飾と笑顔の子供たちの姿を見て、父親に向き直った。
「とうちゃん、今日はクリスマスだって」
「そうか」
「みんな幸せそうだね」
「そうか」
「ぼくも幸せだよ。だって、とうちゃんと一緒だもん」
「そう、か」
父親は丸くなって肩まで炬燵にもぐり込む。
「ぶーん、ぶーん、ぶーん」子供は再びミニカーを走らせた。「ぶーん、ぶーん。きゅー、きゅ、きゅ、きゅ、どかーん」
ミニカーは事故を起こしたようだ。子供は片手だけで器用に緑色の自動車をごろごろと回転させる。
「ピーポーピーポーピーポー」
子供はミニカーを一台しか持っていない。だから救急車はやってこない。
「ジングルベール、ジングルベール、ピーポーピーポー。救急車はやって来ませんねえ。早くしないとこの人は死んでしまいます。ピーポーピーポー。救急車は来ません。この人は死にました」
「清、餅でも食うか?」
子供が笑顔ではしゃぐなか、父親は立ち上がって台所にカセットコンロを取りにいった。父親が真空パックの切り餅とコンロと網を持って戻ってくる間に、子供は画用紙で作った小さな車庫に緑色のジャガーをバックで入れた。
「清、袋」
身体を傾けて、脇に挟んだ袋を子供に取らせた。コンロを炬燵板の上に載せ、網を置き、腰を下ろした。子供は袋の中からパックを取り出し、中から餅を出そうと奮闘する。父親はそんな子供の姿に目をやりながら、カセットコンロに火をつけ、空気調節レバーを左右に動かしてきれいな青い色の炎にした。
「どれ、貸してみろ」
子供から真空パックを受け取った父親はぐいと一気にパックを剥がし、ぴかぴかの切り餅を子供に渡した。
「気を付けて置けよ」
「うん」
餅が三つ、網の上に並んだ。頃合いを見計らってひっくり返すと餅の表面はわずかに煤けていた。
「そうだ、砂糖と醤油を持ってこなくちゃな。どれ」
「とうちゃん、いいよ。ぼく、行って来る」
「ひとりじゃ無理だろ」
「いいよ、ぼく出来るよ」
子供は炬燵から勢いよく飛び出すと台所まで駆けていった。父親はあとからゆっくりと台所に向かった。皿を片手に一枚ずつ二枚持っただけの子供は父親を見上げながらちょこちょこと父親の前を歩いた。二人が炬燵に戻ったころには餅はちょうどいい具合に焼けていた。コンロの火を止めて、二人はふうふういって餅を食べた。父親はあっという間に餅を二つ平らげた。
「とうちゃんは食いしん坊だな」
「もう一つ焼くか?」
「いいよ、ぼく、もうお腹いっぱい」
「そうか」
「なあ、とうちゃん」
「なんだ」
子供は父親の顔色を窺いながらおそるおそる口を開く。
「どうしてぼくんちはクリスマスにお餅を食べるの?」
「それはな」
「どうしてケーキじゃないの?」
父親は一瞬どうしたものかと眉間にしわを寄せた。が、もういいだろう、というように話を始めた。
「とうちゃんは甘いものが嫌いなんだ。それとクリスマスも嫌いだ。うちはクリスチャンじゃないし」
「クリスチャンって?」
「キリスト教徒のことだよ」
「キリスト教徒って?」
「それはだな」
父親は黙ったまま目で子供の問いかけを制した。
「お母さんに会えなくなったからだよ」
「ぼく知ってるよ。救急車が間に合わなかったんだよね」
父親は目を伏せた。
「だからとうちゃんはクリスマスが嫌いだし、ケーキも食べない。シャンパンも飲まない。バカ騒ぎもしない。それにとうちゃんは仏教徒だから四月に甘茶を飲む」
「ふーん」
「わかったか?」
「うん。わかったけど、けど甘茶って? 生茶とかまろ茶じゃだめなの?」
「そうだなあ」
腕を組んで、父親は首をかしげながら口許を弛めた。
「どうだろうな。生茶だったらいいかも知れないな。でも、ほんとは飲むんじゃなくてお釈迦様にかけるんだけどな」
「かけるのかあ。よくわからないけど、ぼく甘茶だったら飲んでもいいよ。甘いの好きだし」
「そうか」
「うん。お汁粉も好きだしね」
「お母さんも好きだったね」
父親はゆっくりと仏壇に目をやった。
「じゃ、ぼく、また車の運転に戻るから」
子供は小さな車庫からミニカーを引っぱり出して部屋の中を歌いながら走りまわった。
「ジングルベール、ジングルベール、すずがーなるー」
「ジングルベール、ジングルベール」
外では救急車のサイレンが響いていた。
まるで子供の歌に合わせるかのように。
しんしんと雪が降り積もっていた。
(了)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます