第9話




 目を覚ますと……白い朝の光の中にいた。




 ミルグレンは猫のように丸まって眠っている。


 メリクの姿が無い。


 エドアルトは立ち上がった。

 少しだけ樹間を歩けば、メリクの背が見えた。

 湖の水面をじっと石の上に腰掛けて眺めている。

 こんな側に湖があったのも分からなかった。

 この森を包み込んでいた不気味な影と霧が晴れている。


 枝を踏む音に振り返った。


「……メリク」


 昨日はあんなにざわめいていた心が完全に鎮まっている。


「メリクが見たっていう、荒野の先には……」


 言葉を自分で断ち切った。

 聞くまでもなかった。



(きっとメリクは光を見た。

 だから辛いことがあってもこの人は立ち止まらずに歩み続けれるんだ)



 エドアルトはそう心に思った。


(俺も、そうなりたい)


 メリクの隣に立って、湖を見つめる。

 同じ景色を。


「……俺、昨日から何となくもう朝が来ない気がしてた」

「まさか」

 メリクが明るく笑う。

「やっぱり夜は終わるんですね」

「そうだよ。世界を真っ暗にし続けるっていうのも、大変だからね」

 うん、と頷く。




「メリク様ーーーーーーーー!」




 ミルグレンが駆けて来てメリクに飛びついて来た。


「メリクさま! びっくりした! 起きたらいなくて、でも、もう平気なんですか⁉」

「うん。驚かせてごめんねレイン。でも眠ったらもう良くなったよ」

「よかったです~~~~~~~~~~~っ」

 うええええんと泣いている。

「お前昨日から泣いてばっかだなー」

 エドアルトが呆れて言うと「うっさいバカ! うわあああああん!」と声が返った。

 エドアルトとメリクは顔を見合わせて思わず笑ってしまう。


 彼女の背中を撫でながらメリクはところでね、と小首を傾げた。

「ベスラ教団……って言ってたよね。あのこと話してくれるかい?」


「えっと、なんかガルドウームの新興宗教の一派みたいです。

 騎士団とか、聖教会とは敵対してるみたいなこと言ってた」


「そうか……ガルドウームで新しく生まれ始めてた流れは彼らのことだったのかな」

「メリクは気付いていたんですか?」

「いや。でもガルドウームの国内の勢力はどれもとりあえず腐敗を極めた感じだった。

 底辺まで腐ればそれに失望した人間達の中に、新しい秩序を求めて動き始める人間が必ず生まれるんだ」


「……【光の術師】……?」


 メリクが笑って頷く。

「君も段々分かって来たね」

「そうだったんだ……。あのリュシアンとかいう男は、ある人を殺されて、その人を生き返らせる為に教団で不死者を作る実験をしてるとか言ってました」

「ある一定の条件下で使える、死者を蘇らせる禁呪があるけど……誰だろう?」

「名前は分かんないですけど」

「……教団の創設者かな」


「メリク、昨日聞きそびれましたけど……不死者って……人の手で作れるものなんですか?」


「……。人の身体に施せる魔法があるだろ?」

「回復魔法や、補助魔法ですね」

「うん。あれは、人の持つ魔力に手を加えているんだ。だから受ける相手の魔力が強ければそれだけ効果は顕著になる」

「つまり……俺とメリクなら同じ魔法を掛けても、メリクの方が全然効き目は強いってことですか?」


「うん。そういうこと。

 人が死んだ瞬間、冷たくなるわけじゃないように、魔力も人の死の瞬間に失われるわけじゃない。

 もっと厳密に言うと、必ずしも死んだ人の身体から魔力が失われるとも限らないんだ。

 ――あの棺の部屋を見ただろう?」


「はい」


「あそこに生きている人間はいなかったけど、俺はあの棺からはかなり強い魔力を感じた。

 魔力がそこにあるなら外部からまだ何らかの影響を与えられるんだ。

 魔術師の世界は魔力という一本の糸で繋がっている。

 つまりそれが存在する限り、

 ――『何か』は出来るんだ。多分……死んだ身体にもね」


 エドアルトは寒気を感じた。

 この世には魔術師はたくさんいる。

 そいつらは皆、やろうと思えばそういうことが出来るのか。

 そう考えるとゾッとする。


「魔術師が『狂う』と……手が付けられなくなる」


 メリクは頷く。


「確かに。そう言えるかもしれないね。

 ただ魔術師の世界にも掟があるし、更にそれよりも、もっと深くに精霊法という精霊達を動かす掟もある。

 因果をねじ曲げて行なわれる魔術の多くは禁呪の類いだ。禁呪に身を染めた術師にはもちろん、それなりの因果が返る」


 エドアルトはメリクを見た。

 彼は微かに笑んでいる。


「あそこにいる人間達はいずれ必ず、己の術で身を滅ぼすということだよ」

「絶対に?」

「そう、絶対に。不死者を作るという業は死に値する。

 だからそうした時点で彼らの未来は決まってた」


(メリクはそれが分かってたから)


 だからこの人は人間の悪心が怖くないんだ。

 エドアルトはようやく理解した。

 魔術師は人より多くの情報を感じ取る。

 いつか言ってもらったメリクの言葉をふーんなんて聞いてたけど。

 そういうことだったのだ。


 歳にそぐわないメリクの落ち着き、諦め、……あれは全てそこに理由があった。

 メリクの言葉には魔術を熟知した故の真実がある。

 だから彼の言葉は何気ない一つさえ自分の心に響くのだろう。


「メリク……」


「うん?」

「おれ、よく分かんないけど、でも今……少しだけ、何となくだけど分かった気がする」

 興味深そうに翡翠の瞳が輝いた。


「俺は今まで、苦しんでいる人はその場で手を差し伸べないと救えないと思ってたし、悪い奴はその場でどうかしなきゃずっと悪い行いを繰り返して行くと思ってた」


 エドアルトの黒い瞳には光がある。

 昨日は打ちひしがれていたが今は強い輝きがあった。

 その光はメリクを微笑ませた。

 ミルグレンはメリクにしがみついたまま、彼の言葉を聞いている。


「でも、そうとは限らない……そういうことなんですね」


「……。君が、目の前の苦しんでいる人にすぐ手を差し伸べたいと思う気持ちは、いいことだよ。エド。悪い奴らをその場で懲らしめることもね。

 ただその遣り方は魔術を知らない人間同士の解決の仕方だ」


 エドアルトは頷く。

「自分の手でやらずとも、いずれ救われることが定められている……それが分かる人間というのがたまにいる。君もどちらかというとその印象が強い。だから俺は、よく君を置いてっただろ」

「あっ!」

 そういうことだったのか、と思った。


「君にそれなりに無茶をさせても、俺はさほど心配なんかしてないんだ。

 でもそういう俺の行いを君が恨んで遠ざかって行くかは、俺には決められない。

 この世界には魔術の因果と、魔術とは関係ない因果も存在する。

 どちらも含んだものこそが運命なんだ。

 君は自分が出来ないことがあると打ちひしがれているけど、


 ――こうは考えられないかな。


 君が去ったその次に訪れる人が、君が出来なかったことを出来るかもしれない。

 そうすることが、彼に与えられた運命なのかもしれない。君ではなくね……。

 そうだったら君がいくらその場で意固地を張っても無意味なんだ。

 その一つが出来なくても君にしか出来無いことは山ほどあるよ。

 一つの苦しみに固執することは、時に十の幸せを投げ捨てることに繋がることもある」


「メリク……俺、ちょっとだけ分かりました。俺は一つの出来ないことにこだわりすぎてるんですね。……そうなんだ……ようやく分かった」


「?」


「メリクとサンアゼールの【水神祭】で会った時、貴方が言ってくれた言葉――『大きな不幸に巻き込まれる人々は、何か大きな意味がある』って。

 それって、そういうことだったんですね。

 その大きな不幸をどうにかするのも、その人を救い出せるのも、全て自分の手でやろうとしても無意味なんだって。

 俺は、諦めることは、その人を見捨てることと同じだって単純に思ってた。

 でも……本当に頑張っても出来ないことには、出来ないだけの意味がちゃんとあるんだ」


 メリクはゆっくりと立ち上がりぽんぽん、とエドアルトの頭に軽く触れる。


 今、エドアルトはメリクを見上げている。

 でも今は身長以上にエドアルトにはメリクが大きく見えた。


 自分はすごい人に出会った。

 すごい魔術師に。

 旅立つ時、人生の師に出会いなさいと母は言ったけど、エドアルトには確信があった。


(出会ったよ、母さん)


 この人だ。

 間違いなくそれはこの人なのだ。



「出来る限りのことはするといい。君とは逆に怠慢な魔術師は運命ばかり追って、自分が力を尽くせばその時救えるはずの人を救わなかったりする。

 ――俺のようにね。

 君のその、人に対する優しさは人間として尊い。

 ……君には魔術師としての素質はあるけど。

 人の方がきっと向いてるね」



 メリクが微笑ってくれた。




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