時間屋クロノと七つの時計
ゆうとけい
第1章 止まった秒針
第1話 止まった時計
①導入 ― 時計町と日常 ―
その町は、いつも静かに時を刻んでいた。
朝になれば鐘の音が鳴り、昼には影が真っ直ぐ伸び、夜には屋根の上で星が光を落とす。
「時計町」と呼ばれるその小さな町には、ひとつの古い店があった。
木の扉の上には、金色の針がゆっくり回る看板――時間屋クロノ。
店の中では、大小さまざまな時計が眠るように並んでいた。
振り子の音、歯車の回る音、針が進む音。
それらが重なって、まるで小さなオーケストラのように響いていた。
店の奥で、黒い帽子をかぶった青年が静かに仕事をしていた。
名をクロノという。
古い時計を直す職人であり、「止まった時間を動かす人」とも呼ばれている。
クロノの横では、灰色の猫が机の上に丸まっていた。
その名はトク。
いつも半分眠りながら、針の音に耳をすましている。
「トク、ネジを。」
クロノが小さな声で言うと、猫は前足で机の上のネジを転がした。
まるで理解しているかのようだった。
店の窓の外では、風がやわらかく通り抜けていく。
光がガラスを透かし、店の中の埃が金色に光っていた。
そのとき、扉の鈴が鳴った。
「カラン――」
ゆっくりと入ってきたのは、一人の少女だった。
②違和感 ― 止まった時計の来訪 ―
少女は10歳ほど。
白いワンピースに、少し古びたリボンをつけていた。
彼女の名はミナ。
胸の前に、両手で包むようにして一つの懐中時計を抱えていた。
銀色の丸い時計。けれど、針は12のところで止まっている。
「これ……動かなくなっちゃったの。」
ミナの声は、風に溶けるように小さかった。
クロノはゆっくりと頷くと、彼女の差し出した時計を受け取った。
冷たく、まるで時が抜け落ちたような重さだった。
「大切な時計かい?」
「うん。おばあちゃんの時計。ずっと、私が預かってたの。」
クロノはその言葉に小さく息をのんだ。
店の奥の光が一瞬、翳ったように見えた。
時計の裏には、擦れた刻印があった。
《To Emma》
その名前を見た瞬間、クロノは微かに手を止めた。
トクが「にゃあ」と鳴いた。
そして、どこか遠くの時計が一つ、カチリと止まった音がした。
③接触 ― 時間が止まる ―
それは、ほんの一瞬の出来事だった。
ミナが息を吸い、クロノが懐中時計の蓋を開けたその瞬間――
店の中の音がすべて消えた。
振り子が止まり、風の流れも止まり、埃の光さえ空中で凍ったように動かない。
トクの瞳だけが、金色に光を宿していた。
「また……だ。」
クロノの声が静寂の中に溶けた。
ミナは驚いて周りを見回す。
外の木々も、通りの人も、止まった影のように動かない。
「こ、これ……なに?」
「時間が、止まっている。」
クロノは懐中時計を見つめた。
その針は、まるで眠っているように動かない。
しかし、奥の奥で、何かが呼んでいる気配があった。
「この時計の中に、誰かの時間が閉じこめられている。」
ミナは言葉を失った。
そして、その瞬間――
時計のガラスの奥から、柔らかな光が漏れ出した。
④崩れ ― 過去への邂逅 ―
視界がゆらぎ、光が反転する。
クロノとミナは、まるで夢の中に吸い込まれるようにして姿を消した。
気がつくと、そこは夕焼け色の丘だった。
風が穏やかに吹き、花が一面に揺れている。
遠くで小さな家が見える。
その家の前で、一人の女性が微笑んでいた。
淡い金髪に、白いエプロン。
優しい目をしたその人は、ミナが見覚えのある顔だった。
「おばあちゃん……?」
ミナの声が震えた。
女性――エマは、振り向いて微笑んだ。
「ミナ……来てくれたのね。」
クロノは静かに後ろで見守っていた。
彼の足元ではトクが尻尾を揺らし、時の粒が光のように漂っている。
エマは庭のベンチに座り、手のひらの上で同じ懐中時計を撫でていた。
「この時計はね、ミナ。
おじいちゃんとの思い出が入ってるの。
でもね、時間が止まってしまったの。もう一度動かしたいと思ってたのよ。」
ミナは泣きそうな顔でうなずいた。
クロノは時計を見つめながら、小さく呟いた。
「止まった時間は、想いのかたまりだ。
想いがほどけたとき、時計はまた動き出す。」
エマはミナの頭をなでた。
「ありがとう、ミナ。あなたが来てくれたから、もう大丈夫。」
その瞬間、空の光が金色に輝き、花びらが風に舞った。
時計の針が、ゆっくりと一秒、動いた。
⑤結び ― 時計が再び動く ―
目を開けると、ふたりは再び店の中にいた。
光が窓から差し込み、時計たちが一斉に音を取り戻している。
「チク、タク、チク、タク――」
懐中時計の針が静かに進んでいた。
12を越え、1分、また1分。
ミナは涙をこらえながら微笑んだ。
「動いた……!」
クロノはうなずき、優しくその時計を閉じた。
「君のおばあさんは、ちゃんと時間を渡してくれたよ。」
ミナは胸の前で時計を抱きしめた。
光が彼女の髪に反射して、柔らかく揺れた。
トクが机の上で「にゃあ」と鳴く。
外では、町の鐘がゆっくりと夕暮れを告げていた。
クロノは窓の外を見つめながら、小さく呟いた。
「止まった時間は、誰かの想い出。
でも、その想いがある限り、時間はいつでも動き出す。」
風が、店の中を通り抜けた。
埃が光の粒となって舞い上がり、無数の時計が穏やかに鳴りはじめる。
その音は、まるで新しい時の歌のようだった。
やがて、ミナは店を出る。
空には、小さな星が一つ、灯っていた。
止まっていた時間が、静かに、再び歩きはじめたのだ。
扉の鈴が「カラン」と鳴る。
クロノは振り返らず、次の時計を手に取った。
その針は、まだ動いていなかった。
けれど彼の瞳には、もう確かな光があった。
第一話 止まった時計 ― 終 ―
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