第二十四話 焔哭の鬼王―護りの炎―③

 ――何かが胸の奥で軋んだ。


 サカキの炎が歪み続ける中、

 ひかりの手の中で〈常世鞘〉が震える。

 木の理ではなく、もっと深い“根の理”が呼び起こされるような感覚。


(この響き……

 私……知ってる……?)


 いや、知らない。

 こんな言葉、この世界で聞いたことはない。

 なのに――喉が、覚えている。


 ひかりは息を呑み、

 自然と唇が開いた。


「……木は地へ還り……

 地は火を抱く……

 理よ、巡れ……」


 ひかりが思い出した言葉。

 “詠唱”――

 この世界には存在しないはずの“理を動かす言葉”。

 詠唱の最初の一音がこぼれた瞬間――空気が震えた。


 ひかりの黒髪が、風もないのにふわりと浮き、糸のように金色へと染まり始める。


 一本、また一本と色が変わり、すぐに光を帯びた黄金の髪が揺らめいた。


 同時に、ひかりの瞳が――普段の 暗い蒼 から、

 光を受けたように 明るく澄んだ蒼 へと変化していく。


 その瞳は、炎の揺らぎすら吸い込むような透明さだった。


 周囲の気がざわめき、吸い寄せられるように渦を巻く。

 地面の下から、空気の奥から、炎の中から――


 あらゆる“気”がひかりの身体へ流れ込んでいった。


「な……何、この気の流れ……!」

 沙羅は思わず一歩下がる。


 ナナシも目を剥いた。


「嬢ちゃん……また呪言を……!」


 次の瞬間、〈暁葉〉が脈動した。


 木の紋が刀身で砕け、

 緑の気配が風に散るように弾け飛ぶ。


 直後――

 土の深い息吹のような震えが刀全体を走った。


「……うそ……」


 沙羅は息を飲む。

 火巫女として“理の色”が分かる。

 ひかりの刀から溢れたのは、

 いままでひかりが纏ってきた“木”ではない。


「理が……変わってる……?

 そんな……人が……理を変えるなんて……聞いたことない……!」

「嬢ちゃん、どうやったんだ……?

 理を……書き換えやがった……?」


 二人の視線の中で、

 刃は赤土色へと静かに変質していく。


 火の熱を拒まない。

 むしろ“抱くための温度”を宿した光。


 ひかりはその変化を、驚きとともに受け止めていた。


(これ……前にも……見た……

 ユグラの時……?

 いや……もっと昔……もっと遠い場所……)


 頭の奥に痛みが走る。

 だが、言葉は自然と喉からこぼれる。


 思い出せない記憶。

 けれど“身体が覚えている理”がある。


 刃が完全に形を落ち着けた。


 それは、もう〈暁葉〉ではなかった。


 大地の光を宿す刃――


「〈地暁〉」


 ひかりは、自分の刀が発する重く静かな脈動に息を呑んだ。


「……これで……

 火を……抱ける……」

「ひかり……あなた、いま……何をしたの……?」


 沙羅の声は震えていた。

 理の変質は“巫女でも不可能な現象”。

 まして人間が、呪言を使い、属性を変えるなど――常識ではありえない。


 ナナシも刀を構えたまま固まっていた。


「理を……織り直したのか……?

 嬢ちゃん……本気で、何者なんだよ……」


 ひかりは答えられない。

 自分でも分からないから。


 ただ――


『……ナ……マ……エ……返……セ……』


 炎が泣いている。


 名を奪われ、

 理を反転させられ、

 矛盾の中で苦しむサカキが、

 助けを求めるように声を震わせていた。


 ひかりは一歩踏み出した。


「大丈夫。

 燃えたい火は……燃やすよ。

 燃やしたくない火は……もう、燃えさせない!」


 地暁の刃先が淡く輝く。


 ひかりは刀を横に滑らせる――斬る構えではない。

 糸を掬うような、柔らかな“織る構え”。


 沙羅が小さく息を呑む。


(ひかりは何をしようとしているの?)


 ナナシは歯を噛みしめた。


(また……この前みてぇな……人の領分じゃねぇ力を……!)


 ひかりはふたりの驚愕を背に、

 一歩、また一歩とサカキへ近づく。


 〈地暁〉が、火の脈動に呼応して震えた。


「行くよ、サカキ――名を、返す」

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