第十三話 火の国の巫女「沙羅」
森を抜けて数日。
西の山を越えると、熱い風が頬を撫でた。
火の国――西峰国。
夕方、街の門をくぐった途端、ひかりは思わず足を止めた。
赤、赤、赤――。
布飾り、灯籠、帯、旗。
どれもが火を模して揺れ、太鼓が腹に響く。
「……すごい。お祭り?」
「ああ、“赤火祭”。
火の理を宥める日だ」
ナナシは枯れ草を噛み、肩をすくめる。
「火は便利だが、機嫌を損ねると全部焼く。
だから“怒るなよ”ってこうして踊って祀るわけだ」
「火、怒るんだ……」
「怒らねぇ理なんか無ぇよ」
ひかりは少し黙った。
ユグラの“揺れ”を思い出して。
その時、太鼓が高く鳴った。
ドンッ、ドンッ、ドン――。
大通りの中央。
人の輪の真ん中で、ひとりの少女が舞っていた。
炎を纏っている――わけではない。
だが、舞うたび火の気が形を変える。
まるで炎そのものが踊っているみたいだった。
「……きれい」
「火巫女だ。
火の声を聞ける奴だな」
ナナシの横顔は、珍しく真面目だった。
舞が終わり、ひかりは気づいたら前に出ていた。
火巫女の少女――沙羅はひかりを見て、静かに微笑んだ。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
夜が更けるほどに、祭は高ぶっていく。
だが、ひかりの胸には熱が宿らなかった。 灯籠の赤は揺れるのに、炎は震えを飲み込んだままだ。
「早く宿を取るぞ。祭りの日は油断すると路上で寝ることになるからな」
「うん」
屋台の香ばしい匂いが流れる。
焼いた肉、香草、辛い酒。
楽しい夜のはずなのに、胸の奥に鈍い重さがある。
宿に向かおうとした時――背後から、静かな声が追ってきた。
「待って」
振り向くと、沙羅が灯籠の光に照らされて立っていた。
さっきの舞の衣装ではなく、薄手の帯と羽織。
それでも炎の気を纏っているように見えた。
「話したいことがある」
沙羅の声は囁くよりも小さかった。
「……場所を変えよう」
向かったのは、街外れの小高い丘。
赤い光の波が、街を揺らしているのが見えた。
夜の風は熱を帯びているのに、どこか冷たかった。
街の赤い灯りが、丘の下で波のように揺れている。
しばらく、三人は言葉もなく立っていた。
だが――ひかりが小さく息を吸う。
「あの……まだ、ちゃんと言ってなかった」
沙羅がこちらを見る。
「自己紹介、だね」
「うん」
ひかりは胸に手を当て、まっすぐ顔を上げた。
「ひかり。
河南国の……結城家の、長女」
沙羅の表情に、かすかに驚きが走る。
「結城……“理武一統”の……!」
「知ってるの?」
「火の国でも、名は届いてるよ。
五行を全てを扱う家は、そう多くない」
ひかりは少し照れたように目を泳がせた。
ナナシが口の端を上げる。
「俺はナナシ。名も家もねぇ流れ者だ。
風ん中で生きて、風ん中で死ぬ。そんなタチだ」
沙羅はくすっと笑った。
「でも、悪い風じゃないね」
「そりゃどうも」
沙羅は改めて、二人に向き合った。
「私は沙羅。
火の国――西峰国の“火巫女”。
火の声を聞き、火の理を見守る役目」
ひかりはその言葉に、ほんの少しだけ息を呑んだ。
「……あの舞、すごかった。火そのものみたいだった」
「ううん。あれは“火に合わせてただけ”。
本当は、火に踊らされてたのかもしれない」
沙羅の瞳が、揺れる灯籠のようにかすかに震えた。
「ここ数日、火が怯えてる。
燃えたいのに、燃えない。
力があるのに、動けない。
まるで――誰かに押さえつけられてるみたい」
ひかりの胸がざわついた。
「……ユグラの時と、似てる。理そのものが“歪ませられてる”」
沙羅はひかりの手を取る。
「火の心に、触れてほしい。」
ナナシが割って入る。
「嬢ちゃんに頼るのが早ぇだろ。
まずは“原因”だ。心当たりは?」
沙羅は一拍置いて答える。
「……火山だよ」
ひかりとナナシの視線が交差する。
「火の国の中心、“焔ノ峰”。
火の心臓。
そこが――震えてる」
ひかりは〈常世鞘〉にそっと触れる。
「火が、誰かに押さえつけられてるって言ってたよね」
「うん。火は本来……燃えたいときは、まっすぐ燃える。
でも今は逆。
燃えるのを、どこかに“塞がれてる”みたい」
ナナシが枯れ草を噛み直す。
「で、塞いでやがる奴は、焔ノ峰にいると」
「……そう思ってる」
沙羅は迷いなく答えた。
ひかりは目を閉じた。
森で見た“歪み”。
押し潰される理。
揺らぎ続ける命の鼓動。
あの感覚が、胸に蘇る。
静かに、沙羅が口を開く。
「火山が震え始めたのは、三日前。
最初は小さな揺れだった。でも……日に日に、火の“心”が乱れていくの」
ひかりは黙って耳を傾けた。
「火はね、燃やしたいものを燃やすんじゃない。
“燃えるなら燃える”。
それだけの理なの。 それなのに……あれは、燃えたいのに燃えられない。
息が詰まって、苦しんでる」
ひかりはそっと胸に手を当てる。
ナナシが小さく舌打ちした。
「また“理”そのものを押し潰す奴かよ」
沙羅は、ひかりの方をまっすぐに見る。
「だから――確かめに行きたい。
でも、火巫女は火の心に触れられるけど…… 力の源に近づくほど、身を焼かれる」
その声は、強く揺れていなかった。 覚悟の声だった。
「だから、お願いしたい」
小さく、でも確かに。
「ひかり。あなたに、“火の心”の道を開いてほしい」
ひかりの肩がわずかに震える。
自分が選ばれる理由なんて、わからない。 けれど――あの森で、ひかりは見た。
理は、放っておけば壊れる。
誰かが“戻す”必要がある。
ひかりは〈暁葉〉の柄に触れ、息を吸った。
「……うん。行くよ」
ひかりは目を開けた。
「焔ノ峰へ。
火が、苦しんでるなら……放っとけない」
沙羅の瞳が、大きく揺れる。
「……ありがとう」
ナナシは、肩をすくめて笑う。
「言うと思ったぜ、嬢ちゃん」
「ナナシさんも来て」
「当たり前だ」
風が吹いた。
火の国の夜風は、どこまでも熱かった。
「夜明けと共に出よう。
火は朝が、一番素直になる」
沙羅がそう言った時――
遠く、山の上空がかすかに赤く脈打った。
まるで、巨大な“心臓”が息を詰まらせているみたいに。
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