第六話 鉄は理を映さず
火の粉が夜空に舞っていた。
鍛冶の村に日が暮れても、炉の音は止まらない。
鉄を打つ音が山々にこだまし、夜風の中で鳴り続けていた。
その音のひとつに、少女の息が混じる。
ひかりは額の汗を拭いながら、槌を握っていた。
「……っ、また歪んだ!」
火花が散り、鉄片が弾け飛ぶ。
炉の光が一瞬だけ明滅し、赤かった鉄が鈍い灰色に沈んだ。
ひかりが鍛えた刃は、すぐにひび割れ、形を崩す。
火の理が強すぎるのか、気が通いすぎるのか――
理が、形を拒(こば)む。
炉の火がぱちぱちと爆(は)ぜる。
その音が、まるで嗤(わら)っているように聞こえた。
「焦るな」
背後から鍛冶の翁の声。
白髪に煤(すす)が降り積もり、歳月そのもののような姿。
彼は静かに火箸(ひばし)を取り、鉄を炉へ戻した。
「気が荒れすぎてる。
理が通らなきゃ、鉄は動かねぇ」
「……はい!」
ひかりは唇を噛みしめた。
けれど諦めるという言葉は、彼女の辞書に存在しない。
夜が明け、また夜が来る。
一振り、二振り、十振り――。
叩いても、折れても、また打ち直す。
手のひらは火傷で赤黒く爛(ただ)れ、指の節は固く腫れ上がる。
掌の皮が破れ、血が滲んでも、彼女は槌を握り続けた。
それでも、槌を振るたびに感じる。
――理の声が、少しずつ近づいてくる。
(鉄が拒むのは、私が理を理解していないから……。
“力”で打っても、“形”は理を写さない)
その夜、翁が火を見つめたまま口を開いた。
「嬢ちゃん。刀を打つ時、何を思ってる?」
「理を映すことです」
「違ぇな」
「……違う?」
「“映そう”なんて思ってるうちは、理は逃げる。
理は力じゃねぇ。
お前が呼吸して、気が流れ、その流れが火を通って鉄に触れる。
それが“理を織る”ってことだ」
翁の声は低く、けれど温かかった。
ひかりは黙って頷き、火の前に座る。
火は生き物のようにゆらめき、息をしていた。
ひかりは深く息を吸い込んだ。
胸の奥に気を集める。
風の理で学んだ“流れ”を思い出す。
そして、火の息に自らの呼吸を重ねた。
ごうっ――。
火が一瞬、彼女の息と同調した。
理の波が通う。
心臓の鼓動と火の音が、完全に重なった。
鉄の表面に、光が滲む。
ひかりは槌を握り直した。
叩く――音が響く。
再び叩く――火花が咲く。
音が音でなくなり、理そのものに変わっていく。
夜が深まり、森の虫の声すら遠のいた。
鍛冶場にあるのは、火と鉄とひかりの気だけ。
全てが一つの循環を描く。
……それでも、形はまだ崩れる。
理は定着せず、火の勢いに呑まれて鉄が割れる。
十夜、二十夜。
村の者たちは、少女の努力に感嘆することすらやめていた。
だが翁だけは黙って見守っていた。
「諦めるな。理は逃げても、流れは残る」
その言葉を胸に、ひかりは槌を振り下ろした。
ただ打つ。考えず、狙わず、感じるままに。
ひかりの気が、火を通じて鉄に溶け込んでいく。
呼吸、鼓動、火の爆ぜる音――全てが一つの理となる。
その瞬間、火が応えた。
ぱあん――!
火花がひときわ高く弾け、炉の中に光の奔流が走った。
刃が一瞬、息をしたように光る。
金でも火でもない、淡い蒼の光。
すぐに消えたが、確かに“何か”が通った。
「……今、流れた」
ひかりの声は震えていた。
翁は微かに頷く。
「それでいい。理は、形に宿るんじゃねぇ。
“お前の中を通る”んだ」
ひかりは炉を見つめた。
火の奥に、微かに揺らめく蒼光。
それは、彼女の理そのものだった。
(まだ打てない。けど――確かに見えた)
翁は静かに火箸を置いた。
「お前の理は“結(むすび)”だな」
「結……?」
「木も火も……土も金も水も、全部を結びつける“糸”だ。
お前は理を創るんじゃねぇ、理と理を結んでる。
それが“理を織る”ということだ」
ひかりは言葉を失った。
胸の奥が熱く、そしてやさしく満たされていく。
外では夜明けの鳥が鳴き始めていた。
鍛冶場の天井の隙間から、淡い光が差し込む。
それは火よりもやわらかく、けれど確かに温かい光だった。
ひかりは炉の火に手をかざした。
そこにもう、拒む気配はない。
火が彼女の息に合わせて、静かに揺れていた。
――理は形を拒む。だからこそ、気がそれを求め続ける。
その果てに、生まれるものこそ、“理を映す刃”。
ひかりはゆっくりと槌を置いた。
その瞳には、夜を越えた光が宿っていた。
鍛冶場に、朝の光が差し込む。
それは失敗の終わりではなく、
ひかりにとって初めての“理の夜明け”だった。
火は静かに燃え続ける。
その中で、ひかりの理が確かに流れ始めていた。
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