出雲へ行きながら神道について考えた
くるくるパスタ
第1話 コノハナサクヤヒメ
休みが取れたので、出雲へ行く。
新横浜からのぞみに乗った。
ほぼ満員だ。
涼しくなったから、旅行にはいい季節だ。
静岡を過ぎると、富士山が見える。圧倒的な存在感だ。富士山本宮浅間大社がある。祭神はコノハナサクヤヒメ。
古事記によれば、ニニギノミコトが彼女に一目惚れして結婚を申し込んだ。その時、父親のオオヤマツミは姉のイワナガヒメも一緒にと差し出したが、ニニギは醜い姉を拒絶して、美しい妹だけを娶った。
怒った父は言った。「イワナガヒメを娶れば、命は岩のように永遠だった。しかしコノハナサクヤヒメだけを選んだから、命は花のように儚くなるだろう」
だから人間の寿命は短い、という神話だ。
神道の神様は、人間臭い。一神教の全知全能の神とは違う。
日本には人間臭い神様がいる。これはどういうことなのか。
人間とはどういう生物なのか。
歴史家のユヴァル・ノア・ハラリが『サピエンス全史』で指摘している。人間はフィクション、つまり概念を核にして集団を作る生き物だと。血縁関係がなくても、同じ物語を信じる者同士で組織を作れる。この「集団化」が、言葉を獲得した人類の最大の武器だった。
ただし、人間が安定的な関係を維持できるのは、せいぜい150人程度だという。ダンバー数という、認知の限界だ。脳の容量的に、それ以上の人間と深い関係を築くのは難しい。だから人間は必然的に小集団に分かれる。
そして別の概念を核に持つ集団は、敵になる。
つまり人間とは、概念を核に集団を作り、他の集団を敵視する、そういう種類のサルなんだな。宗教が戦争を生むのは、当たり前だろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます