第5話 手錠

 こんな夢を見た。

 大病院からの帰り道、長い坂を下っていると不意に歩けなくなった。近くのドラッグストアに寄り、ベンチに腰掛ける。

 このままでは仕方ないから、スマートフォンでタクシーを呼ぼう。そう思い鞄を探すが、鞄がない。段々不安になってくる。財布も見当たらない。詰みである。

 そこへ女が通りがかった。私は女に、

「百円を貸してください。身体が動かせず、公衆電話で父と連絡が取りたいんです。財布もスマホも無くしてしまいました」

 と訴えかける。女は不審そうな顔で答えた。

「いいですけど……私がお父様と喋ります。嘘をつかれたら困るので」

 だが女は公衆電話ではなく、自分のスマートフォンで父に電話した。何故父の電話番号を知っているのか分からない。

 その上、「逃げられると嫌だから」とベンチに右手を手錠で括り付けられた。私はさらに身動きが取れなくなった。

「もしもし、娘さんから言伝を頼まれて――」

 少し離れたところで女が話している。話し方から何となく、女は福祉系に勤めている人間だと思った。三分くらいしたら戻ってきた。

「本当にお父さんが来ると思ってるの?」

「……どういうことですか」

 女は意地悪く笑った。

「電話なんて嘘に決まってんじゃん。誰でも信じるもんじゃないよ。それにアンタが本当のこと言っているかなんて分からないし」

 女が汚物を見るような目で私を見つめ、蔑んでくる。

「それじゃ、そのまま反省してなさい。人を騙そうとした罰です」

「手錠を外してください」

「嫌だね。アンタが本当にいい人なら誰か助けてくれるでしょ」

 女はそう言い残し、私を手錠で繋いだまま何処かへ行ってしまった。

 それまで外にあったベンチに括られていたのに、次のシーンではドラッグストアのエントランスのベンチに括り付けられている。五メートル四方の、硝子張りの小さな小部屋である。すぐ側には出入り口の自動ドアがある。私が身じろぐと勝手に開いたり閉まったりした。

 その間も人は行き交うが、私に一瞥もくれない。私は何故か「助けて」と言えなかった。

 閉店間際に、ちゃらついた若い男がベンチに座った。

「何してるんすか」

 初めて話しかけてくれた男だった。雰囲気は違うが、何処か昔付き合っていた男に似ている。

 私は男に事情を話した。

「中のドラッグストアで手錠を切れそうなもの買ってきましょうか? 鋸とか」

 ドラッグストアに鋸はないと思うのだが、夢の中の私は妙に納得してしまい、男に頼んだ。

「買ってきましたよ」

 男が見せてきたのは、スープを掬うためのレンゲだった。

「……どういうことですか」

「人を信じるな、って教わってこなかったんだ? 俺は惨めな人間を見ている方が楽しいんだよ」

 男はサディスティックな顔で嗤った。

 その後も男はベンチに居座り、他愛のない話をしたり、私をなじったりした。

 そのうち閉店時間になった。

「開店までに誰か通るといいっすね」

 男が嗤いながら去って行き、私はひとりぼっちになった。

 待てども待てども誰も通らない。夜が濃くなっていく。真っ暗になった。

「アンタ、まだ此処にいたの」

 私を手錠で繋いだあの女が戻ってきた。先程よりだいぶフランクな調子である。エントランスの外から、ショーケースの中の珍獣を見るような目で私を見ている。

「助けてください」

「助けて、って言われてもねえ。此処施錠されてるし、私は鍵を持ってないし。あ、そうだ。私、此処の管理人を知ってるのよ。その人と話を付けてきてあげる」

 女は何を言っているのか分からなかったが、軽やかな口ぶりで去って行った。しばらくすると、初老の男を連れて戻って来る。

「これは困ったね。今すぐ出してあげるよ」

 初老の男は親切なようであった。少し離れ、何処かから何かを持ってくる。だがそれは鍵ではなく、高枝切り鋏だった。気がつくとエントランスの天井は開いており、上からするすると男が高枝切り鋏を中に突っ込んて来る。

「それで何とかなるから。出てご覧。開店前までに出ないといけないよ」

「じゃあね」

 男と女はそのまま去って行った。私は高枝切り鋏で手錠を切り落とそうとするが、長さが難しくなかなか切れない。

 私は何でこんなことになってしまったのか考えていた。声をかける人物を間違ってしまったのか。人を頼りにしようとしたのが甘えだったのか。

 気がつくと私は、手に持った得物で硝子を割っていた。

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