永遠の馬鹿 外伝
火浦マリ
番外編 愚楽、宇宙闇鍋クラブへ行く
愚楽は目を覚ますと、視界一面がスープ色だった。
天も地も区別がない。香りだけがある。しかも――出汁の匂いだ。
「……おい、ここどこだ」
返事の代わりに、どこか遠くから声が響く。
「ようこそ、《宇宙闇鍋クラブ》へ!」
光がねじれて一人の人物が現れた。銀河の柄をまとい、頭にはお玉の冠。
「私はグルゥ博士。あなたをお招きしたのは、宇宙一の味覚を完成させるためです」
「いや、俺、料理できねぇぞ」
「存じております。あなたは“永遠の馬鹿”。ゆえに、宇宙に必要なのです」
博士は両手を広げた。背後の空間が裂け、巨大な黒の渦が開いた。
「これが鍋――すなわちブラックホールです。あらゆる味を吸い込み、無に還す」
「で、あっちは?」
「ホワイトホール。全ての味を再構成し、吐き出す“胃袋”の出口です」
「……要するに、宇宙の胃腸炎ってことか」
「表現が的確すぎて困りますね」
博士は銀のボウルを取り出した。中には星屑、暗黒物質の粉、そして謎の生命体の卵。
「これが今日の具材です」
「お前、それ食えるのか?」
「さあ? 食えるかどうかは、鍋に訊くのです」
博士は具材を次々に放り込み、愚楽に向き直る。
「さて、問題は最後の隠し味。宇宙をまろやかにする成分がまだ足りません」
「塩でも入れとけ」
「いえ、それでは“秩序の味”です。足りないのは“混沌”。あなたにしか出せない」
愚楽は頭をかいた。
「混沌なら、俺の人生で十分だぞ」
そう言うと、愚楽はそのまま飛び込んだ。
鍋に、だ。
博士が叫ぶ。
「馬鹿な! 本当に入るやつがあるか!」
「あるさ。俺は“永遠の馬鹿”だからな!」
愚楽の体は光となり、ブラックホールへ吸い込まれていった。
潮汐力が全てを引き裂き、過去も未来も味付けに変わる。
次の瞬間、ホワイトホールの出口から――湯気が立ちのぼった。
現れたのは、一杯のスープ。
香りは、懐かしい。幼い日の畑の土、旅先で嗅いだ海の潮、失った友の笑い声。
博士はスプーンを震わせながら口に運んだ。
「……あ、ああ……」
涙が流れた。
それは甘く、馬鹿みたいに温かかった。
「この味は……何だ?」
通信の向こうからホワイティ爺が答える。
「それは“生きて笑った味”じゃよ」
博士は嗅覚を震わせ、うなずいた。
「なるほど。賢さが宇宙を作った。だが、馬鹿さが宇宙を救うのか……」
スープの底から、気泡のような声が上がった。
「おい、博士。塩、ちょっと足りねぇぞ」
――湯気の中で、愚楽はまだ笑っていた。
そしてその笑い声が、銀河中に広がり、重力波となって宇宙をやさしく包んだ。
その日以来、星々の輝きがわずかに揺らめくのは、“馬鹿の笑い声”が宇宙を煮立てているせいだと言われている。
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