第一章22:誘餌の虚無
千層:(彼方さま、外に出てからもうかなり時間が経ちましたのに、まだ戻ってきません……?)
そう思った瞬間、先ほどの異常な揺れと、いまなお続く戦乱の気配を思い返し、千層の胸に不安が走る:(まさか……彼方さまが襲われたのでは!?)
真偽を確かめる暇もなく、千層は慌てて避難所の裏口へ走り、外の様子を見渡した。
千層:「あ……」
視界に広がったのは、まるで世界が崩壊したかの光景。
本来なら深い山林に囲まれているはずの避難所は、木々が一切なく、山すら丸ごと消え失せ、ただ斬り落とされた山腹だけが残っていた。
遠方では、詩钦と桃糕の戦いが生み出した幾つもの地盤断裂が、地層を引き延ばすように広がり、大自然そのものが悲鳴を上げていた。
千層:「だめ……彼方さまに何か起こってる!」
そう確信した瞬間、誰にも見られない隙をつき、千層は吸血鬼の翼を呼び出す。
まだ習得したばかりで、いきなり高度を失いかけたが、必死で姿勢を立て直し、強引に飛翔した。
すぐに目を閉じ、周囲の超音波を読み取る。
地面の破壊頻度、崩落の周期、修復の速度、空の補填振動――あらゆる揺らぎを重ね合わせ、
千層:(見つけた……! 彼方さまの周波!)
一気に身体を伏せ、爆発的な加速で彼方の方角へと射抜くように飛んだ。
そしてついに、千層は彼方を見つけた。
そこには、黒い面をした異様な男と対峙する彼方の姿。周囲には、破壊された山峰が累々と広がっていた。
千層:(彼方さま……!)
……
彼方の視点。
すでに黒面謀士の幾度もの攻撃を正面から受けていたが、彼方の身体は一歩も後退していなかった。
むしろ、静かに、ゆっくりと前へ歩み続けていた。
彼方:(さっきの窒息の苦しさのせいかな……今の痛みなんて、ほとんど大したことに感じない。)
無傷のまま歩み寄る彼方を見た黒面謀士は、狂気じみた叫びを上げた。
「あり得ない! 傷つくはずだ! なのに――なぜかすり傷すら付かない!!」
彼方は何も答えず、ただ前へと進む:「……」
避難所にいる無辜の人々へ黒面謀士が行かぬよう、彼方はただ歩みを止めなかった。
黒面謀士:「貴様……!」
荒い息を吐きながら、彼は自分を抑え込むような仕草をし――
突然、十本の指が震え、次の瞬間には自らの顔を爪で深く抉った。
黒い仮面のような皮膚が剥がれ落ち、下から現れたのは、血のような歪んだ紋が刻まれた醜悪な素顔。
瞳孔が異様に狭まり、理性が吹き飛んだ獣のような眼光になった。
彼は両腕を大きく開く。
パッ、パッ、パッ――
背後から無数の光球が生まれ、空を埋め尽くす。
そして一斉に射出。
地面へ着弾するたびに火花と瓦礫を撒き散らし、連続爆炎で大地が穴だらけになり、衝撃波が木々を根こそぎ空に放り投げ、空中で粉砕した。
『崩! 崩! 崩崩崩崩崩!!』
光雨が止み、煙の向こうから――
彼方の足音だけが響いた。
無表情。
無傷。
炎と瓦礫の間を散歩するかのように歩み続ける。
黒面謀士:「ありえ……ない……!」
彼の顔は極限まで歪む。
理性を砕き、歯を砕き、ついに命そのものを燃やし始めた。
皮膚が透け、血管が消え、光の輪郭のような姿へ変質する。
黒面謀士:「命を削り、すべての赐福を解放し……貴様に終わりを与える!!」
身体が膨張。
破裂音とともに背中が裂け、無数の光の線で組まれた巨大な後翼が展開した。
その顔は死人の仮面のように真っ白になり、感情だけが空洞の奥で燃えている。
次の瞬間、男は右手を伸ばし、地面を指した。
白面謀士:「滅。」
その一言で、大地の色が失われる。
光爆が降り注ぎ、世界が白紙化する――
色彩は消え、音は奪われ、空気すら押し潰され、静寂だけが支配する。
そして――
『崩!!!!!!!!』
世界が裂けた。
山壁が崩れ、裂痕が遠くまで伸び、大地は白光に押し流された。
『……』
ドサッ――
黒面謀士は地に落ち、身体が光片となって崩れ始めた。
最後の力で顔を上げ、あの怪物が倒れたかどうか確かめようとする。
黒面謀士:「こ……こ……大人……わ、私は……あの怪物を……討ち……」
だが、煙が晴れると――
彼方が現れた。
今回は全身が血まみれで、服は裂け、足取りは重かった。
それでも歩いていた。揺らぎない足取りで。
黒面謀士:「ごほっ……ありえ……ない……」
地面を掴み起き上がろうとするが、指先が泥に沈むだけで力が入らない。
光翼は崩れ、筋肉は崩れ落ち、身体は影のように空洞化していく。
黒面謀士:「わ、私は……まだ……!」
もはや動けない。戦意だけが残り、身体は尽き果てていた。
『タタ…タ……』
彼方の足音がついに目の前で止まる。
黒面謀士:「ま……だ……戦――」
言い終える前に、彼の身体は光となって散り、消え去った。
残されたのは、静かに見つめる彼方と、陰に身を潜め震える千層だけ。
千層:(彼方さま……さっきのあの一撃で……たった血が出ただけ……!?)
千層の視点では、あの一撃はまるで天が世界を削り落とした神罰のようだった。
山峰は影も形もなく、谷は平原へと変えられている。
震えが止まらぬまま、千層は彼方へ向かって飛んだ。
彼方:「俺を倒すために命を燃やし尽くしたのに……それで、ただ血を出させただけか……」
千層:「彼方さま、どうして……そんなに悲しそうなんです?」
彼方は自分の手を見つめる。
彼方:「わからない……こんなの、俺が夢見てた異世界生活じゃない……身体が……想像以上に強すぎる……」
千層:「強いの……悪いことですの? わたくし、まったくそう思いませんけど!」
彼方:「そうかもしれない……でも、なんか虚しくて……こんな力、俺にふさわしくない気がするんだ……」
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