詐欺師転生

泥船しずむ

第1話 詐欺師の末路

俺は自分が特別に悪い人間だと思ったことはない。


もちろん善人じゃないが、人を殺めたことも、殴って言うことを聞かせたこともない。

子供のころは人より少し口が回って、人の顔色がよく見えて、つい背伸びしてしまう見栄っ張りだった。

それだけのはずだった。


そんな俺に、二十八で“前科”がついた。特殊詐欺の容疑。

世の中には、人を騙して金を巻き上げる連中がいる。俺はその連中を逆に騙してやることで、妙な正義感を満たしていた。


「嘘を嘘で制す」。口にすれば格好はつくが、実際は自分を誤魔化すための呪文だ。

ターゲットが悪徳政治家でも、遺産を独り占めして笑う成金おばさんでも、俺の中では“悪”に分類された。

だから俺の“嘘”は正義。……そう思い込めば、心は痛まなかった。


初めて“それ”をやったのは二十歳のころだ。長く続けたフリーター生活に鬱屈がたまっていた時期、ニュースで役所を騙るかたる還付金詐欺が巷を騒がせていると知った。涙ながらに語る老人の姿をテレビで見て、俺の中で何かが決壊した。

――いま振り返れば、ただ鬱憤が満ちたところに偶然その涙が落ちただけだ。


行動は早かった。いや、動かないと溺れる気がした。

当時は“闇バイト”なんて言い方はなかったが、俺は詐欺組織に潜り込んだ。

信頼を得るために、自分の手も汚した。そこで得た大金に罪悪感はわかなかった。

最終的に正義の鉄槌を下すつもりだったからだ。

一年かけて内情を洗い、匿名の正義による通報で組織は瓦解した。あの瞬間、言いようのない快感があった。警察ができないことを俺はやった――そんな傲慢を、胸の内でこっそり撫でた。

そして次の“悪”を探した。


正義と悪の境界がぐちゃぐちゃになってきたころ、俺はあっさり逮捕された。


逮捕の瞬間も、どこか他人事だった。

警察に腕をつかまれたとき、最初に浮かんだのは「俺は悪くない」ではなく、「このスーツ、返してもらえるかな」だった。

――笑える話だ。いや、笑えないけど。


裁判はあっけなかった。

弁護士は「反省の態度を見せましょう」と言い、俺は反省している“フリ”をした。

でも反省なんて、当時の俺には高級すぎた。


判決、懲役二年。執行猶予なし。

鉄格子の向こうで、時計の針がやけに大きく聞こえた。

消毒液の匂い、朝礼の号令、薄い毛布。

誰も俺を殴らない代わりに、誰も俺の話を聞かない。

嘘の通用しない場所というのは、こんなにも無音なのかと思い知った。


三十を目前に社会へ戻る。

前科持ちを雇う会社は少ない。けれど幸い、俺は“詐欺師”だ。

名前を変え、履歴を整え、面接で笑ってみせる。――方法は語らない。武勇伝じゃないし、真似されたらたぶん誰かが不幸になる。

ともかく俺は、サラリーマンとして第二の人生を始めた。


サラリーマン“のフリ”は何度もやったが、実際になるのは初めてだった。

仕事終わりのビール。

しょうもない噂話で笑う同僚。

上司の愚痴を聞きながら相槌の角度を調整する飲み会。

そんな日常が、意外と悪くなかった。


……でも、人間は、そう簡単には変われない。


ある日、同僚が言った。

「うちの部長、横領してるらしいぜ?」


胸の奥で、砂利が擦れるような音がした。抑えきれない“悪意せいぎ”が、また芽を出す。

俺は動いた。カマをかけてミスを拾い、会議室の天井に安いカメラを仕込み、社内チャットのログをさらい、人事に“匿名の善意”を送った。

噂好きの同僚にだけ流す文面は少し甘く、監査部に送る文面は少し辛く。

言葉の温度を変えれば、人は勝手に歩きだす。


正義の味方のつもりだった。――そのときまでは。


結果、部長は全てを失い、命を絶った。

会社は沈黙した。

俺だけが笑っていた。

けれど、笑えたのは一瞬だった。


部長には妻と、小さな子どもがいた。

葬式の三日後、その妻が俺のアパートを訪れた。

訪問販売のふりで、控えめにインターホンを鳴らす声。

ドアを開けた瞬間、包丁の冷たい光が視界に跳ねた。


刺された。

熱が腹に咲き、床が遠のく。

痛みより先に、「ま、こうなるわな」と思った。

血の輪郭が広がり、天井が波打つ。

やがて彼女がうつむいたまま呆然と呟いた。


「……ごめんなさい」


――なんで謝るんだよ。謝るのは、俺の方なのに。


そこで、俺の人生は終わった。

……はずだった。

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