宗教的な想い
私の書く小説は宗教的である。何かを想う気持ちというものは全てが宗教的であるのではないだろうかと思う。
それに縋り、願い、人生の指針とするものが宗教だと私は思っている。その対象がわかりやすいように、キリスト教や仏教、イスラム教等、経典が存在し教祖が存在するだけで、人間を想いやる気持ち、恋や愛も形になっていないだけで、自身の大切にしている経典のような想いがあり、信仰する対象がいるのだから、全ての想いは宗教的であるのだろう。
だから私は好意を持った人間に対して宗教的崇拝を持っている。それを書きたいと願い、自己主義的に愛の対象へそれを伝えようとしてしまう。
どこまでも自分本位なものではあるが、私の書く文章は願いなのだ。夢なのだ。僕の宗教そのものなのだ。
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