許嫁と、幼馴染。どちらが、あなたを選びますか。

ケンタ~

第1話 許嫁と、幼馴染

 小さいころから幼馴染がいた。

 名前は久東朝海くとうあさみ

 ずっと小さなころから知り合いで、かなり長い付き合いになる。

 でも考えてみたら、そんなに仲がいいわけでもない。


 まあ、幼馴染とはいっても、よくあるラノベのようにはならない。

 それに、ほら。


 俺が引っ越すってことになっても、別に誰かが挨拶に来るとかがあるわけでもない。


 俺の家は、いわゆる名家だ。

 俺もまだよくは知らないが、かなりの大昔からの歴史がある家。

 家系図もあるらしい。なんと、二〇〇年以上前からあるんだとか。


 家もまあまあ広い。

 それなりに歴史ありそうな壺や刀が飾ってあったり、何かの賞状が立てかけてあったりもする。


 でも、俺はそれがわからない。

 別に、俺は大した人間じゃない。


 普通の私立高校に通って、普通に友達がいて、普通に赤点ぎりぎりの点数を取って。

 何か家業があるわけでも、何か誇りがあるわけでも、それっぽい家訓があるわけでもない。

 ただいたずらに歴史を重ねただけの、普通の家の息子だ。


 そんな俺も、今引っ越そうとしているのだ。

 一人息子の俺がここを引き払えば、もう跡継ぎはいないだろう。母さんがもう一人こどもを作ればまた別の話だが。


 しかし、まあ、そうか。

 その引っ越しの原因だけは、俺には特別なものかもしれない。

 いたずらに歴史を重ねた家の、唯一の残り香というか、なんというか。


『親戚に嫁ぐんだ』


 そんなことを、父親に言われた。

 父親は厳格な人だ。

 まだ、この家の長い歴史に誇りを持っていて、どこかとつながりがあったらしい。


『嫁ぐ? 俺が? 何の冗談だよ』

『冗談じゃない。親戚が、この家の血を欲しがっているんだ』

『は?』


 正直、訳が分からなかった。

 今はうまく呑み込めているけども、その時は。

 どこのおとぎ話かと、耳を疑った。

 どうやら、父親によると。


『この家が、本家に当たるんだ。その分家に当たる家が、この本家の血を欲しがっている』


 と、いうことらしい。

 正直まあ、こっちの方がラノベっぽいかもしれない。

 特に俺が幸せな気持ちでもないことを除けば。


 分家は、かなりの大金持ちであるらしい。

 いくつかの企業を持ち、その分野ではかなりの名の轟く苗字だとか。


 名前は、安曇宮あづみや家。

 いかにもかっこよさそうな名前だ。


 そんなかっこいい名前が、俺の血……というか、俺たち嫡流にあたる家の血を欲しがっているらしい。

 この多様性の時代に、いかにも古いお話である。


『将来に夢もないんだろう。だったら、こういう道はどうだ。嫁げば、お前は特に何もしなくていい』

『……それは、そうだけど……極端すぎるだろ。嫁ぐとか、考えたこともねえって』

『ならば、顔でも合わせてみろ。明日土曜、うちへ向こうが来る準備ができている』


 かなり、いきなりだったけど。

 ……その時のことを、俺は今でも覚えている。


 なにか、変な緊張があった。

 まったく初対面の相手だった。

 今まで名前もちらとしか聞いたことがない家の人だった。

 それでも、何か。


『お招きいただき、どうもありがとうございます』


 玄関で聞こえた、知らない男性の声。

 それに返す、父親の声。

 そしてほんの少し聞こえた、女性の声。


 客間で正座していた俺は、いたたまれず、不思議に鼓動する心臓を感じながら、やってくるそれをただ待っていた。


 とん、とんと来る軽い足音。


 三人分の、それぞれの足音。


 その、最初に入って来た存在に。


『おじゃま、します』


 薄く淡い髪の毛がはらりと揺れたその顔に。

 はっ、と息をのみこんで。

 俺は奇妙な感情を覚えた。


安曇宮あづみや漣華れんかです』


 淡い表情、憂うような目、今にもほどけてしまいそうなくらい優しくて、ゆっくりとした所作。


 そんな彼女がちらと向けて来た目と俺が合った時に、呼吸も忘れてしまったことに気が付いた。


 そんな、忘れられないような出会いだった。

 心臓が高鳴るわけでもなかった。

 顔が熱くなるわけでもなかった。


 ただ、腹の奥底がきゅっとなって、思わず唾液を飲んでしまうような、そんな、どうとも言い表せないような感覚。


「荷物はまとめ終わった?」


 母親のそんな声に、俺は現実に引き戻される。


「母さん、うん、だいたいは」


 俺の部屋は、もうまっさらだった。

 あと残るのは、少しの段ボールと、キャリーケースだけ。


「まさか、うちの息子が本当に嫁いじゃうだなんてねぇ。お母さんもびっくりだわ」

「そんなん俺だってそうだよ……。自分の家が、こんなに名家だったなんて」

「歴史だけだけどね。ま、もうすぐ業者さん来るから。それまでせいぜい家を懐かしんでなさい」


 少し冗談めかしてそう言う母さん。

 俺は、思わず笑ってしまった。


「引っ越すって言っても、隣町だろ。そんな懐かしがることもないよ」

「それもそうね。まあ、ご近所にあいさつ回りでも行ったら? 一時間くらいあるし」

「一時間って……別にそんなないだろ」

「慣れた町を見とくのも大事よ。じゃあね」


 そう言って、母さんは部屋を出て行った。


 ……そうか。まあ、いつ帰ってこれるともわからないし。

 少しだけ、外を見てくか。




×




「……」


 こうしてみると、生まれ育った町は少し変わって見える。

 小さいころから、ずっと見てきた。

 だから、小さい物でも、不思議と大きく感じる。


 例えば、そこにある石の塀。


 俺の肩くらいの高さしかない。でも、なぜか越えられない壁のように感じてしまう。

 それはきっと、ずっと頭上にあるものと長い間認識していたせいなのだろう。


「あ、すみません」

「あ、どうも」


 塀の先の曲がり角で、人とぶつかりそうになってしまった。

 会釈をして、そのまま通り過ぎる。


「あれ、タツ?」

「え?」


 聞きなれた声をかけられたので、振り返ると。


「あ、朝海」


 見慣れた顔が、そこにあった。

 幼馴染……というか、今はもうただの友達の、久東朝海。

 そんな顔が見えたことに、すこし驚いた。


「なんでこんなとこに?」

「それはこっちのセリフだよ。引っ越すって言ってたでしょ? だから、挨拶の品とか渡そうと思って」


 そう言えば朝海は、腕の中に一抱えある包みを持っていた。


「あ、そうか。じゃあ、まあ……戻るか」

「あ、ごめん、何か邪魔しちゃった?」

「いや、ただ適当に町中見て回ろうとしただけだよ。隣町だけど、次いつ来るかもわからんし。まあ、行こうぜ」


 そう言って、さっき来た道をそのまま戻っていく。

 この戻るルートも、見慣れたものだ。学校に行って帰る道をそのままトレースしただけなのだから。


「……ねえ、タツ」

「なんだよ」

「そういえば、なんで引っ越すんだったっけ」

「あ、言ってなかったっけ」

「うん」

「なんか……説明難しいんだけど、嫁ぐらしい」

「え? 嫁ぐ……?」


 朝海が、目を見開いて聞いてくる。


「ああ。俺もよくわからん。でもまあ、なんかうちが名家らしくてさ」

「え、それって、タツが?」

「うん。家の縁で、そういうことになったらしい。まあまだ十八じゃないから、結婚は先らしいけど」

「けっ、こん……」

「まあ、わけわからんよな」

「そう、だね……」


 と、歩いているともう家に着いた。まあ、ほとんど離れていないからこんなものだろう。


「……確かに、タツの家って立派だよね。こんな門みたいなのあるし」

「周りも似たようなんばっかだぞ。珍しくないだろ」

「それはそうだけど……わたし向こうのマンション住みだし」

「マンションの方がすごいじゃん。でかいし」

「そうかなぁ……?」


 そんなふうに家に入って、靴を脱いで玄関に上がる。


「……久しぶり? だね。家に入るの」

「ああ……なんか昔はみんな遊びに来てたけど。最近はな」

「高校入ると、もうそんな感じになっちゃうよね……」


 ぎ、ぎ、と木の床が、二人分の体重を反発して小さな音を立てる。


 そう言えば、いつも軋むこの床とももうお別れなのか。

 あんまり実感がないが、そう考えると少し感慨深い感じもするような。


 そのまま二階に上がって、俺たちは部屋へと向かって歩いて行く。

 二回にも部屋は多い。人はいないのにやけに広いから、掃除も毎回大変だ。


「……変わんないね。なんかこの妙に高そうな壺とか」

「鑑定したらびっくりしたぞ。なんか数十万するらしい」

「ええっ……」


 俺の部屋は、この廊下の一番奥だ。

 がちゃり、と扉を開けて入る。


「ん?」


 すると、朝海は入らずに後ろで立ち尽くしていた。


「……ここは、変わったね」

「まあ、何にもないからな」

「……棚とかは残ってるんだ」


 そう言って、朝海は部屋の端に備え付けてある棚に近づいた。


「ここに、たくさん漫画あったよね。ずっと読んでたなぁ」

「ああ……なんだっけ、ワンピの一から七巻を永遠に読んでたよな」

「あははっ、懐かしいねぇ……」


 そう言えば、朝海が笑ったの久しぶりに見たな。

 すると、朝海はこっちを振り返って訪ねてきた。


「ねえ、何時に出発しちゃうの?」

「え? まあ……夕方には。この後業者さんが来るし、それで荷物持って行って、それからだな」

「……そっか。じゃあ、まずこれ」

「ん」


 抱えていた小包を、朝海は俺に渡してくる。


「開けていい?」

「あ、まだだめ」

「え? なんで」

「だって……ちょっと、恥ずかしいから」

「……そうか。ありがとうな」

「え……」


 俺のとこに挨拶に来たのは、今のところ朝海だけだ。

 もう、それだけで嬉しい。

 それに、小さいころから遊んでいた中だ。それなりに、沢山いい思い出もある。

 もう中学からは、ぜんぜん話さなくなったけど。


「……」

「あ、そうだ。お菓子食べるか。ブラックサンダー買いだめしたんだよ。引っ越すのにさ、忘れてて」

「っ、あっはは、なにしてんの」

「ちょっと下から取ってくるわ。待ってて。あ、そうだ、飲み物何がいい? コーラ……好きだったよな」

「……」


 すると、ふ、と朝海は微笑んだ。


 その微笑みに、俺は一瞬固まってしまった。

 正直なんで笑ったのか全然わからなかったからだけど。

 しかしすぐあとに、朝海は笑って、


「うん。まあ小学生の頃のだけどね」


 と言ってきた。


「なんだよ、それ」


 はは、とまた笑って、いたずらっぽく笑ってくる凜花。


「いつのこと言ってるんだって話。まあでも普通に好きだよ、今でも」

「そうなのかよ……ははっ」


 そう返して、俺は自分の部屋を出た。


 ……悪い気分はしないな。


 廊下を歩きながら、俺はそう思った。


 久しぶりで話せるか心配だったけど、朝海が訪ねてくれてよかった。

 結構、仲よかったんだな、俺たち。


「はは……」


 よかった、来たのが朝海で。

 緊張が、少し取れたような気がする。


「――――」


 階段を降りるときに、何か後ろから聞こえた。


「ん……?」


 朝海の声が聞こえたような気がしたけど。

 よくわからなかった。


 それから一回に降りて、冷蔵庫からコーラと、戸棚からコップとブラックサンダーをひっつかむ。

 そして俺は、二階に向かった。


「朝海、戻――――」


 そして、扉を開けて。


「へ?」


 俺は、呆けた声を出して。

 体を、硬まらせてしまった。


 反動で、コップとブラックサンダーが落ちる。

 コロコロ、どささっ。


「――ねえ、タツ」


 そこには。


 俺の、床の上で。


 つけていた長い靴下を脱いで、そこに脱ぎ散らかして。

 上着をはだけさせて、床に女の子座りをして。

 ごくり、と喉を動かして。

 震えるような目で、俺の方を見て。


「わたしじゃ、ダメ?」


 そんなことを口走る、幼馴染がいた。


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