6

 時間が経つにつれて、雛姫の事は意識から薄れていった。それと共に気分は清々しくなっていた。

 あんな人間の言葉を見ずに済むようになった事、そしてあんな人間との接点が消えた事。

 本当に良かったと思う。もし、もし何かが間違ってNeneや喜助さんとのように会っていたりしていたらこんな程度じゃすまなかっただろう。そう考えると心底ゾッとした。


『ちょっとギターを買おうと思うんだけど、付き合ってくれないかな? この前のヒナキの話も出来れば聞きたいし』


 喜助さんからの誘いは唐突だった。


『いいですよ』


 まさか二人っきりじゃないよな? と、返信してから思った。

 まあ、それでもいいか。今まで二人で会った事はないとはいえ、Neneを通して何度も会っている仲だ。問題はない。特に私自身、彼を異性として必要以上に意識した事もないし、喜助さんだって同じのはずだ。私たちは日取りを決め、週末に会う事になった。


 その日私は普段より長く鏡の前で髪を整えていた。

 当日になって本当に二人で会うんだと思うと、途端に緊張した。思えば、男性と二人で会うなんていつぶりだろうか。そんな事を考えれば考える程ダメだった。

 情けない。こんな程度の事で感情が揺らぐなんて。自分はもっと、落ち着いた人間だと思っていた。とんでもない。だったらこんな事で緊張なんてしない。落ち着け。そう言い聞かせ深呼吸した。


『ここの喫茶店にいるから、そこで待ってるよ』


 どうやら喜助さんは先に別の用事を済ませる為に、私より先に外に出ていたようだ。分かりましたと返信をして、私は喫茶店へと向かった。


 約束の喫茶店は思いのほか広い店内だった。バーのようなほんのりとした夜の灯りに照らされた店内は一階と二階に分かれていた。人気なのか結構な人数が入っていた。一階を見渡してみたが、そこに喜助さんはいなかった。二階へと上がると、すぐに彼の姿を見つけた。


 ――あれ?


 目に移った光景に意表をつかれた。四人掛けのスペースに喜助さんは座っていた。が、その隣に女性が座っていた。わざわざ四人掛けの席で真隣に座っているその光景に私は動揺した。


 一体どういう事だろう。事前に彼からもう一人連れが来るなんて一言も聞いていなかった。しかも女性で位置関係から二人の距離が普通以上に近いものだ。

 裏切られたような気分だった。普通人を誘うのであれば事前に確認するべき事だろう。彼がそういった気を回せないタイプだと思っていなかったので、私は心底がっかりしていた。


 その時ふと思った。横にいる彼女は、私が来ることを事前に知っている。私が来る事を知っているからこそ、彼女は今喜助さんの隣にいるのだ。その不公平さがまた私を苛立たせた。


 ――何なの。


 とてもじゃないが平然としたふりで会える気がしない。だからと言ってここで帰るなんて逃げたみたいでみっともない。


 決めた。私はあえて思いっきり不機嫌を顔に張り付けたまま歩き出した。手前に座る喜助さんが横にいる彼女と談笑している。喜助さんの顔は彼女の方に向いているので後頭部しか見えない。しかし彼女の顔はずっと視界に入った。


 可愛かった。すごく。それがなんだかまた悔しくて、悔しいと思っている自分がまた不愉快で、私はなんとも言えない気持ちのまま彼らに近付いた。

 先に女が私に気付いた。今まで楽しそうに話していた笑顔が一瞬でかき消えた。恐ろしいほど冷たい視線だった。


 ――何だ、この女。


 私は不機嫌な顔を崩さなかった。


「あー、KEYちゃん」


 そこでようやく喜助さんも私に気がつき振り向いた。

 喜助さんの顔も、笑っていなかった。

 その瞬間、機嫌の悪さは底知れぬ不安へと切り替わった。


 おかしい。何かが。 

 鼓動が早まった。

 今すぐ帰れ。帰れ帰れ帰れ。


 心の中で私が私に叫び始めた。

 でももう遅い。

 私は彼らの向かいの席に腰掛けた。


「来てくれてありがとう」


 言いながら喜助さんは、片手に握っていたスマホをテーブルの上に置いた。

 ありがとう。喜助さんのその言葉に、何の感謝も含まれていないように感じた。


「ギターの件はもういいんだ。本題はこっちだから」


 そう言ってちらっと喜助さんは横にいる女に視線を向けた。

 なんだ。なんなんだ、これ。


「まだあの話が出来てなかったからさ。紹介するよ。僕の彼女だ」


 女はそこで初めて私に向かって笑顔を見せた。気持ちの悪いぐらい不愉快な笑顔を私に向けながら、女は口を開いた。


「初めまして、じゃないですよ。きぃーちゃ」


 ああ、嫌な予感というものは、どうして当たるのだろう。


「どうも、ヒナキです」

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