人生の頂

 応援が鳴り響く――俺は今、市民大会に出ている。梅宮高校からは3チーム出ており、その3チームのうちの2番目に強いチームに入って試合に出ている。1年生でこのチームに入ることはあまりないことらしい。


 チームが発表されたときに皆驚いていた。梅宮高校の野球部は約40人でまあまあ多い。


 3チームで、レギュラーは27人。そのほとんどが2,3年生。今年の先輩方は歴代でもかなり強いらしく。1年生が試合に出られること自体が凄いことのようだ。




「奏ー! がんばれよー!」




 同じチームの先輩方が応援してくれている。本当に野球部の皆は温かい――


 皆野球を本気でしているからこそ、共感できることが多々ある。それゆえに楽しさも辛さもわかってくれる気がする。




 カキーン! いい音だ。俺が打った球はそのままホームランとなった――




 高校に入学してからというもの、自分の人生を生きていると実感する。毎日がとにかく楽しい。


 以前のように落ち込んだり、考え込んだりすることはほとんど無くなった。




 試合の結果としては、総合3位だった。2位はライバル校の林城寺高校だ。1位はもちろん梅宮高校の1チーム。




 見ていて気持ちがいいほどの圧勝だった。俺もああなりたい――




 ――3か月後




 今日は保健委員会の集まりだ。運動会に向けて、救護の説明をしなければならない、と言っても説明するのは委員長で俺たちは特にやることはない。




「ねぇ奏くん……運動会は何か競技に出たりするの?」


 


 長瀬さんが話しかけてきた。最初に話してからというもの長瀬さんとはちょくちょく話している。




「んー、でないかな~。部活が忙しくてそれどころじゃないかも」




「そうだよね。3年生は引退してもう1,2年生しかいないから大変だよね」




「逆に長瀬さんは何かするの?」




「ふふーん、私はリレーだよ。しかもアンカー!」


 長瀬さんは陸上部で、大会で何度か優勝したことがあるらしい。なぜ俺の周りには優秀な人たちが多いのか――




「え、まじで! すごいじゃん……運動会のリレーは結構ガチって聞くけど」




「そうだよ。バトンの受け渡しの練習しとかないと」




「奏くん応援してよー」




 長瀬さんはいつもニコニコしながら話している。




「うん、頑張って!」




 俺は――長瀬さんに好意を抱いている。いつから好きになったのかは自分でもわからない。いつの間にか好きだった。誰にでも優しくて、いつも笑顔で――太陽のような人。俺とは住む世界が違うと、釣り合わないとはわかっている。


 俺は傍観者でいい。




「奏ー、運ぶの手伝ってー」




 優斗が重そうな机を持ちながら頼んできた。どうやら運動会の時にお偉いさんが使う机や椅子を運んでいるようだ。




「それにしてもさぁ、時間が経つのってホントに早いよねぇ」




 優斗は考え深そうな顔だ。




「だってさぁ、入学してからもう4,5か月だよ。あっという間だよ……」




 夕日に照らされた優斗の顔がやけに懐かしく思えた。俺たちはしばらく何も言わずに運んでいく。この空気が心地よく感じる。きっと優斗も同じように思っているのだろう――




 俺は昔のことを思い出した。


 父さんとキャッチボールをしたこと、友達とよくはしゃいでいたこと、悪さばかりしていたこと、純粋で楽しくて――でも、過ちを繰り返した――そんな過去を――




 昔のような純粋な心はもうない。何も考えなくても、遊んでいるだけで生きていけるような年齢ではないことはわかっている。




 たまに不安になる――このまま野球を続けていいのか?楽しんでいいのか?俺は生きていていいのか?罪悪感に押しつぶされそうになることが何度もある。




 平凡な日常になぜだか、焦りが募ることもある。高校に入学してからというもの以前のような生きづらさは減った。友達や部活、生徒会――全てにおいてうまくいっていると言ってもいい。でも、だからこそ不安なのだ――うまく行き過ぎているのではないかと――


 野球だってうまくいっている。今の目標は甲子園優勝だ。ありがたいことに俺には野球の才能があったらしい。人より努力をしたことなんてない。それでも段々と上手くなっているのを実感する。


 


 でも、逆に言えば、俺には野球しかない――もっと努力しなければと改めて思った。




 学校の敷地にある木々たちがざわざわと音を立てる。それとともに涼しい風が吹き抜けた――


 あたりを見渡すと、運動会に向けて準備をしている人、競技の練習をする人、ダンスの練習をしている人たちなどがいる。


 一人ひとりの顔を見ていると、皆笑顔で輝いている。




 こういうのを青春って言うのかな――




 個々の力は小さくても、それが集まり協力することで、運動会という大きなものを作ることが出来るのかと少し感動した。




「よし、これで全部運び終わったね……手伝ってくれてありがとう! 僕、部活に行ってくるよ!」




 俺も部活に行こう――




 グラウンドに行くといつもと変わらず、2年生が一生懸命に練習をしている。


 先輩方は運動会など関係なしに野球に勤しんでいる。




 俺も自然と気合が入る――




 1か月後には地区大会がある。8月に行われた大会で予選を突破したからだ。




 俺はそのチームのスタメンだ。2年生7人、1年生2人のチームでうちの高校の最強戦力であるチームだ。




 俺は誇らしい気持ちとともに、強烈なプレッシャーを感じる。2年生の枠を取ってしまっているからだ。当たり前の事だが、試合に出られない先輩も大勢いる。裏で陰口を言われることもわる。その気持ちは良くわかる。本気でやっているからこそ悔しいのだ。




 それでも俺は、先に進まなければならない。野球が唯一の生きがいであり、人生そのものだからだ。




 まずはストレッチからだ。10分ほどした後に、素振りを80本する。これが俺のルーティンだ。


 強い人とそうでない人を見ると共通した違いがあることがわかる。




 それは、基礎を大事にすること、そして、目標を持って練習していることだ。


 上手い人を見ていると良くわかる。ストレッチ、トレーニング、素振りなど基礎中の基礎をしっかりとやっている。そして、練習中に意識することを決めて、反省点をノートなどにメモしている。




 ダラダラしているところなんて見たことがない。尋常ではないほどの努力をしている。


 でも、そんな人たちは皆口をそろえて言うんだ。もっとできるはずだ、努力が足りない――と。




 どうしてそこまでできるのだろうか――俺は楽しいからやっているだけだ。もちろん辛いと思うことも良くあるが、それでも楽しいが勝つ。だから、あんなに自分を追い込んでまで野球ができない。本当に尊敬できるし、その差に無力感を感じることもある。




 よし――今は練習に集中しよう。素振りを辞めて、先輩方が守備練習をしているところに参加した。


 先輩方はいつもよりもテンションが高かった。きっと運動会が近いからだろう。あんなにストイックな人たちでもやっぱり楽しみなのか。




 俺は少し親近感を持った――




 運動会当日――




 緊張で早く起きてしまった。俺がやることは、男は全員参加の棒体操と企画のパネルだけだ。




 でも――楽しみだ――


 俺はまだ、日が昇りきっていないうちに外に出た。




 涼しい――朝の冷たい空気がまとわりつく。まだ虫が鳴いている。




 すぅー、はぁー。俺は深呼吸をした。今日の運動会、うまくいくといいな――皆の頑張ってるとこも見たいし。色んな一面が見れるだろうな――




 家に戻って、準備をしよう。




 歯を磨いて、ご飯を食べて、顔を洗って、体操服を着る。




 午前7時30分――少し早いが家を出ることにする。




「行ってきまーす!」




「いってらっしゃい」




 俺は元気よく母さんに行ってきますを言った。


 


 今日は楽しみ10割だ――




 学校の正門前についた。すると――長瀬さんがいた――




 「おはよー!」




 俺に気づいて元気よく挨拶してくれた。




「おはよう……運動会楽しみだね……」




 緊張してうまく話せない。




「うん! 頑張ろうね!!」


 教室まで一緒に行くことにした。




「奏くん……私が走ってるとこ絶対に見てね!」


 長瀬さんは口をタコのようにしていた。




「うん、絶対に見るよ。応援してる。保健委員会の仕事も一緒に頑張ろ!」




「うん! あ……もう教室だね。じゃあまた後で!」




 よし――今日は不安なこと全部忘れて全力で楽しもう。




 教室に入ると、いつもとは違う雰囲気だった。


 皆話しているのになぜか静かだと感じた。不思議な感じだ――心の奥底でワクワクと緊張を感じているのだろうと思った。




「優斗、おはよう」




「あ、おはよー」




 優斗はひどく緊張しているように見えた。




「なんか緊張してる?」




「いやー、棒体操がうまくいくか心配だよ。体を動かすのは苦手だからさ……」




 優斗は極度の運動音痴だ。棒体操でも何度もミスをしていた。本人はいたって真面目だ。でも、体がついていかないらしい。優斗の性格上、他の人に迷惑はかけたくないのだろう。




「俺だって少しは怖いよ。でもさ、せっかくの運動会なんだから楽しもうぜ! 失敗しようがしまいが全力を尽くしたことは間違いないだろ? 優斗一人のせいで全部失敗に終わることなんてないんだからさ……」




 俺は優斗を元気づけた。自分はそんな立場ではないとしても友達のためにできることはしたい。


 


「たしかに……間違いないね。僕頑張るよ! ありがとう奏」




 優斗は純粋だ。いつも誰かが言った言葉を真に受けてしまう。いや、何も考えていないようで、きっと色々と優斗なりに考えているのだろう。




 俺も頑張らないとな――人に言うだけ言って自分は何もしないのは良くないよな。


 よし、まだ時間はあるな。




「一緒に棒体操の振り付けの確認しよう。そっちの方が安心だろ?」




「確かに! やろうやろう!」




 俺たちは中庭に出た。俺たち以外にも練習している人たちがたくさんいた。よく頑張るな、と俺は感心した。




「よし、完璧だな」




 優斗と2人で一通り通した。完璧だ――優斗もだいぶ自信が付いたようだ。


 もう時間だ。俺たちは運動場へと向かった。




「早く並んでくださーい!」




 運動会のグル長やその他の長たちが生徒を並ばせていた。


 物事が始まる前の静けさは心地よいとともに緊張も運んでくる。野球の試合の前も同じだ。なにか大きなことの前には必ず静けさがある、




「キーン――ただいまから、入場式を始めます。」




 生徒会長からのアナウンスだ――運動会が始まる――




 吹奏楽部による校歌の演奏が始まった。


 まずは黄グループから入場、次に赤、青の順番だ。俺は青グループだから一番最後の入場となる。




 黄グループは龍馬と健氏、赤グループは長瀬さん、青グループは優斗がいる。




 黄グループの入場が終わり、赤グループの入場だ――俺はすぐに気づいてしまった。


 長瀬さんがいた――長瀬さんだけが輝いて見えた。不思議な力が働いているのかのようにピンポイントで長瀬さんの方に目がいった。




 長瀬さんとまた話したいな――そう俺は思った。




 青グループの入場だ――行こう――


 入場している途中で並んでいる生徒たちを見た。この学校にはこんなにも人がいたのかと驚かされた。       


 俺は視野が狭くて周りが見えてなかったんだと思い知らされた。こんなにも輝いてる人たちがいたのに、俺は見ていなかった。


 


 まだ運動会が始まったばかりなのに、今日で終わってしまうのかとさみしくなる。まあ、2,3年になってもあるわけだし、これが最後ってわけではないからな。




 その後、入場が終わった。校長先生の話や来客紹介など、長々とあった。




「皆さん、ついに運動会当日ですね」




 生徒会長の話だ――


 会長は一切の緊張を見せずに、台本も見ずに話している。




「私が話したいことは1つだけです……それは……」




 空気が静まり返る。独特の緊張感が辺りを覆った――




「この運動会を、この瞬間を楽しんで欲しいということです」




 なんのひねりもない、ありふれた言葉に俺は少し驚いた。でも――そんなシンプルな言葉に会長の情熱を感じることができた。




「皆楽しんで欲しい。ここにいる生徒、先生、外部の方々……すべての人が楽しめる。良かったなと言えるような運動会を作りたい」




 心の底からの声だ――




「それには皆の力が必要です。一人ひとりが全力でやらないと絶対に達成できません。」




「ということで、今から声出しをして気合を入れていきましょう!!」




 場が盛り上がってきた――




「僕が、3年生いいかー! というので3年生は、おー! と言ってください。他の学年も同じようにしてください」




「では、行きます……」




 生徒全員の鼓動の高鳴りを感じる。




「3年生いいかー!」




「おー!!」




 すごい声量だ――地面が揺れるほどの迫力でこちらも俄然やる気が出る。




「2年生いいかー!」




「おー!!」  




「1年生いいかー!」




「おー!!」




 今までに出したことのないような声を出した。こんなに叫んだのはいつぶりだろうか――




 そうして運動会が始まった。俺の出番は午後からだ。午前中はしっかりと応援をしよう。それから生徒会の仕事もあるから忘れずにやろう。


 そのあとは力自慢や棒引きなど色々な競技があった。そして、午前中の後半――女子のダンスが始まる。


 それぞれのグループの女子のほとんどが参加する。運動会で勝つために必要なポイントの割合が多いので皆気合が入っている。




 今までの競技で一番の盛り上がりを見せていた。だが、残念なことに保健委員会の仕事があるので、序盤しか見ることが出来なかった。ダンスには長瀬さんも出るのに残念だ。




 保健室に行くと優斗がいた。




「おつかれー」




「あ、奏。おつかれさま」




「この後、昼飯一緒に食べようや」




「うん、いいよ! というか、もう午前中の部が終わるんだね。」




 優斗はさみしそうな顔をしていた。俺もその顔を見て胸がキュッとなった。


 運動会が終われば、また普通の日常が戻ってくる。そう考えると、寂しい思いが心臓からこみあげてくる。




「3年生が一番寂しいだろうな……前にも言ったけどさ、まだ1年生なんだから学校行事なんていくらでもあるよ」




 なぜこんなにも優斗が寂しがり、また運動会を楽しんでいるのか心当たりがある。確かに運動会は楽しいものだ。それは皆共通している。だが、1年生でここまで運動会に思いをはせる人がいるだろうか――




 優斗は中学の頃、不登校だったようだ。詳しくは聞いていないが、いじめにあっていたという。恐らく、優斗は気弱なところがあるためそれが原因ではないかと思った。


 俺と少し似たような境遇を持つ優斗とは、どこか気が合う。お互い高校では楽しくやれていて良かったなと思う。


 


 人は――心の奥底に何かしらの闇を抱えているのではないかと思う。表面上は何も考えてなさそうな人でも、悩みや辛い過去を抱えているのではないかと――




「ま、とりあえず委員会の仕事に集中しようや」




「うん、そうだね」




 保健室は体調不良で休んでいる人が数人だけいた。運動場とは違いとても静かだ。まるで別世界のようだと思った。世界の表と裏、そんなことを考えながら、体調不良者の状態の記録や救護などを行った。




 昼ご飯を食べ、午後になった。午後の最初のプログラムは棒体操だ。男たちはそわそわしていた。


 棒体操は1つのミスが命取りになる場合が多い。例えば、誰か1人でも棒を話してしまえば失格となる。それに、5人一組でやるのだが、1人が覚えていないとぐちゃぐちゃになる。だからこそ緊張する。


 青グループは一番最初だ。俺は急いでグラウンドへと向かう。




 もう、並び始めていた。俺と優斗は走って向かい、所定の時間ギリギリで並ぶことができた。


 すると、青の棒長が俺たち棒員に向けて話し始めた。




「聞いて聞いてー! みんな緊張してるだろうけど大丈夫! 毎日のように練習したことを思い出して気合い入れてやっていこう」




 声が震えていた。




「いやお前が一番緊張しとるやないかー」




 周りの3年生がすかさずつっこんだ。皆クスクスと笑っている。俺もつい笑ってしまった。それと同時に、体の緊張がほぐれたことがわかった。




 最高のパフォーマンスができそうだ――




「青グループお願いします」




 開始のアナウンスだ。




「青グループ、行くぞー!!」




「おー!!」




 そこから先は必死過ぎて思い出せ無かった。というよりも棒体操をしている間も頭が真っ白でそもそも記憶に残っていない。




 ただ、一つわかることとしては、青グループの棒体操は成功に終わったということだ。


 最高のパフォーマンスができた。それだけは覚えている――




 その後、黄グループと赤グループの棒体操も凄かった。鳥肌が立つぐらいの演技に圧倒された――でも、俺たちも負けてない。自信があった。理由なんて無い、無責任な自信。どこからは無限に沸いてくる自信。無理に作った自信。例えるならそんな感じだろうか。




 結果は最後しかわからない。ただ今は、この何とも言えない余韻を楽しみたい。




 さて、運動会もあと少しで終わりだ。あとは、リレーと企画だけだ。




 リレーの準備が行われる。リレーは生徒たちの最後の見せ場だ。周りの人たちは疲れている様子を見せない。普段の何気ないことなら疲れるだろうに、こういった行事になると疲れないのはなぜだろうか――




 不思議に思いつつも、自分自身も疲れが来ていないことに気づき、そういうものかと自分を説得した。




「プログラム17番、リレー」




 準備が整ったようだ。生徒、先生、保護者などこの場にいるすべての人たちが最初の走者に目をやっているのがよくわかった。


 独特の空気感だ。盛り上がっているようで、どこか静かで、寂しいのか楽しいのかも良く分からなかった。




「位置について……よーい、パン!!」


 


 ピストルの音が響き渡る――




 最初の走者は全力で走ってゆく。リレーでは身体能力の差が顕著にでる。




 黄グループの走者が圧倒的に速い。でも、リレーは協力戦だ。1人だけが速くても意味はない。


 次の走者へとバトンが渡される。どのグループも差はほとんどない。最後の走者によって勝敗がわかれそうだ。


 


 バトンはどんどん渡され、走者も次々と走っていった――




 いよいよ、アンカーへとバトンが渡される。現在1位は黄グループ、2位は青グループ、3位は赤グループだ。




 そして、赤グループのアンカーは長瀬さんだ。ただ、距離は結構空いている。追いつけるだろうか――




 黄グループ、青グループの順にアンカーが走り出した。2秒ほど遅れて長瀬さんの手にバトンがわたる。


 アンカーは他の走者は1周のところを1周半走る。長瀬さんと黄グループとの差は30メートルほどだろうか。ものすごい応援が運動場全体に響いていた。




 長瀬さんはとてつもない速さで走り出した。足が長いのもあるが1歩1歩の大きさが全然違う。


 姿勢もよく、力強い。大会で優勝するのも納得の速さだ。




 長瀬さんは前の走者とどんどん距離を詰めていく。1周しないうちに青グループを追い抜いた。


 応援はさらに激しくなった。




 皆の視線が長瀬さんへと集まっていくのがわかる。




 もうちょっと――もうちょっとで追いつく――


 間に合ってくれ!!




 そして、走者たちがゴールした。




「リレーの結果は、1位黄グループ、2位赤グループ、3位青グループです。皆さんお疲れさまでした」




 長瀬さんはあとちょっとのところで追いつけなかった。差は50センチほどだった。


 でも、長瀬さんは笑顔だった。それはもう楽しそうだった。




 俺もそれが見れて良かった。




 さあ、いよいよ運動会も終わりに近づいた。最後は企画の応援合戦だ。パネルを使いながら声を出す。多くの人が1つのことをやる。それがいかに難しくて、すごいことかなのか――




 俺は精一杯声を出した。パネルも間違えないように集中した。もう自分自身も疲れているはずなのに、なぜか元気が出てくる。




 そうして、すべてのプログラムが終了した。あとは結果発表のみだ。




「結果発表をします。女子ダンスの部……」




 結果から言えば、青グループは3位だった。赤グループが1位で、黄グループは2位だ。




 本気でやっただけに残念ではあった。でも、それでもいい。楽しければそれで――




 この後はすぐに後片付けがある。でも、それに構わず、運動会の余韻に浸る人が多かった。友達と話したり、1人でボーッとしたり、色んな人がいた。




 先生たちの指示で仕方なく片付けしだす。




 皆ほっとしたような、寂しいような、楽しいような、何とも言えない表情をしていた。




 この時間が俺は好きだ。俺は優斗と一緒に片付けをした。




 1時間後、片付けがだいたい終わり、俺たちは教室に戻ろうとした。




「あ、俺水筒忘れたわ……ちょっと取りに行ってくる」




 優斗にそう言って、俺はグラウンドへと向かう。




「あった」


 俺は水筒を手に取った。




「奏くん……」


 突然誰かに話しかけられた。振り返ると長瀬さんがいた。




「ちゃんと私が走ってるとこ見てくれた?」




「うん、ちゃんと見たよ。最後は惜しかったね。もうちょっとだったのに……」




 長瀬さんの雰囲気がいつもと少し違う気がした。




「そうだよ、結構頑張ったんだけどな――」




「でも、最後めっちゃ盛り上がってたよ。皆、長瀬さんの方を見てたし」




 そんな他愛ない話をしながら、俺たちは教室へと歩いていく。




「ちょっとお手洗いに行ってくるから、待っててくれない? ごめんね」




「うん、ゆっくりでいいよ」




 俺は待つことにした――数分で長瀬さんは戻ってきた。




「奏くん……ちょっと」




 長瀬さんは手招きした。珍しく真剣な表情だ。


 長瀬さんについていくと、グラウンド横のテニスコートについた。辺りには誰もいない。俺と長瀬さんだけ――


 今日は最高の天気だ。雲1つない青空に風もない。聞こえるのは虫の音と遠くから聞こえる生徒たちの声だけだ。




 長瀬さんは何も言わない――




「奏くん……本当に急なんだけどね……」




 心臓の鼓動が高まる――ドクン――ドクン――。なぜか緊張してきた。長瀬さんが何を言うか、おおよその想像がつく、でも――なんで――




「私、奏くんのことが好きなの!」




 長瀬さんは震えていた。




「だから、私と付き合って欲しい……」




 俺はどう答えればいいのかわからない。確かに俺は長瀬さんが好きだ――でも、俺はふさわしくないのではないか?


 嬉しさと同時に迷いが生じた。わからない――頭が真っ白だ――




「ごめん……急でびっくりしたよね。答えはゆっくりでいいから……」




 しまった。気を遣わせてしまった。長瀬さんはそのまま背を向けて行ってしまう。




「待って!!」


 


 俺は咄嗟に呼び止めた。


 長瀬さんが振り返ると、目には涙が出ていた。どうしてそんなに俺を想ってくれているのか、僕にはわからなかった。




「俺も好きだ! 付き合って欲しい!!」




 何も考えずに言ってしまった――


 体が熱い――本当に良かったのか――




「え……ホントに! ホントにいいの!!」


 


 長瀬さんはこれまでに見たことがないほどの笑顔になった。


 その顔を見ると、これで良かったのだと思うことが出来た。




 その後、俺たちは無言で教室に戻った。さっきのことを思い出すと恥ずかしくて相手の顔を見れない。




 長瀬さんと別れ、教室に戻って、さっきのことを考えても良く思い出せなくなった。現実味がない。




 ただ、心臓の鼓動だけはずっと聞こえていた――

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