ラーメンが食べたくて 異世界転生ハードモードとんこつ味

ぱちぱち

第1話 ラーメンが食べたい

 ラーメンが食べたい


 ある日の午後。1日1食の孤児院は夕飯まですきっ腹を抱えることになる。手伝いも終わりやる事もなく、2歳になったばかりの妹を抱きかかえて夢うつつの中。その言葉を思い浮かべた瞬間俺は、過去――ではなく。前世の記憶を取り戻した。それは日本という国に生まれ、東京という都市で育ち、独りぼっちで都会の片隅で死んでいった男の記憶だ。


 夢を思い浮かべて都へと出て行って、夢が破れて生活するだけの仕事を行い、そしてひっそりと死んでいく。宿命の血筋とか運命の出会いとかなーんにもない。ありふれた一人の男が俺の前世だった。


 異世界転生って奴だろうか。この町で生まれて5年。5歳児が知りうる限りではあるが、この町には前世の常識では考えられないようなものが沢山ある。俺と妹が入っている孤児院の院長は耳が長い森人って種族の神官だし、俺たちの世話を焼いてくれる年長のザンムは熊人の子供だ。熊の顔をした人間なんて日本どころか世界中を探しても居なかったはず。


 つまり俺は異世界に転生したって事だろう。前世で言うファンタジー世界って奴だな。前世の俺は恐らく30後半くらいで死んだはずだ。それ以降の記憶がないから確かだろう。残業残業で忙しい日々を送っていた記憶が、ある日ぷっつりと途絶えた。そこで何かがあって、今がある。


 そこまで考えて、はぁ、とため息が出てくる。せめて昨年。工房街を襲った火事場泥棒によって両親が殺される前に思い出せていたら、もう少しましな現状だったんじゃないかと考えたからだ。


 俺と乳飲み子の妹は父親が世話になっていた工房の親父さんに連れられてこの孤児院にきた。そしてそれから一年。ろくすっぽ飯も食えない赤貧の孤児院の壁にもたれかかり、妹に布の切れ端にしみ込ませた水を飲ませて飢えをしのぐのが今の俺の生活だ。



「にぃに」


「……どした」



 俺が物思いに耽っていると、俺に抱かれた妹がか細い声で呼びかけてくる。妹のシスティはこけた頬を動かして、俺を見上げた。



「おなかすいたね」


「……ああ。ゆうはんまで、がまんしろ」



 システィの頭を撫でて、言い聞かせるように優しく語り掛ける。孤児院では夜にふかしたイモが出る。これが毎日の、俺たちの飯だ。神父様は自分が食べる分も俺たち孤児に食べさせてくれるが、少ない寄付金と小さな畑の収穫だけでは10人近い孤児を満足に食べさせることは出来ない。


 年長の子供たちは街や林に食べ物を探しに行っているが俺やシスティのように小さな子は、それすらも出来ない。


 システィをもう一度撫でる。やせ細った、妹の頭を撫でる。


 前世なんて、なんで思い出したんだろうか。思い出さなければ、こんな思いをしなくてすんだのに。この両手に、あの器があれば。妹に腹いっぱい、食べさせてやれるのに。目を閉じ、鮮明に思い浮かべることも出来るのに、それは俺の頭の中にしか存在しないのだ。


 空を見上げる。何故だか、空に浮かぶ雲を見ていると、砂糖菓子のような甘みがあるんじゃないかと思ったのだ。ここは日本じゃないし、恐らく地球ですらない。もしかしたら甘い雲だってあるかもしれない。ぐぅぅと鳴る腹の音を聞いて思った。


 ああ、ラーメンが食べたい、と。美味いものを腹いっぱい食べたい、と。


 もう一度、ぐぅぅと腹の音がなった。そして、これが恐らく引き金になったのだろう。いや、もしかしたら前世を思い出すことがトリガーだったのかもしれない。


 俺の頭の中に、湯気が立ち上るとんこつラーメンの映像が浮かび上がった。トッピングはネギに海苔とめんま、チャーシューが一枚。シンプルでだからこそ隙のない構成。今生では一度も目にした事すらない食べ物を、俺は確かに知っていた。俺の記憶が、魂が覚えていたのだ。


 ゴトン、と土の上に何かが落ちる音がする。同時に、香ばしいとんこつの匂いが鼻を刺激する。



「……」



 この肉体では嗅いだことがない。けれど、魂が覚えているその匂い。視線を吸い寄せられるように向けて見ると、そこには湯気を立てるラーメンが置かれていた。ご丁寧に、割りばしとレンゲまで付いて。






 ズル。ズルズル。


 ほとんど無意識に割りばしを開き、麺を挟んで口に運ぶ。魂に刻まれた行動は、異世界の地でも違和感なく体を突き動かした。立ち上る湯気に鼻をくすぐられながら、口の中に広がったスープのうま味と麺の歯ごたえを噛みしめる。


 これ、カタだ。とんこつを食べるうえでスタンダードとも言える硬さの麺の歯ごたえを楽しみながらよぉく噛んで、咀嚼し、そして胃袋に流し込む。


 ああ。


 ああ……


 つぅっと頬を水が落ちる。飢えて乾いた体の中にとんこつが染み渡っていくのを感じる。



「美味い」



 ただ一言。そう呟いてもう一口食べようとして、ぎゅっと自分の服を掴む小さな手に気付いた。ラーメンに支配されていた頭が急にクリアになり、世界が色を取り戻す。


 レンゲにスープを掬い、フーフーと冷ます。温度の下がったスープを、妹の口元まで持っていく。ぐぅ、と腹の鳴る音がした。



「にぃに」


「だいじょうぶ。おいしいよ」


「うん」



 妹の口に寄せたレンゲを妹が口に含む。少しずつ、傾けるようにスープを飲ませる。透き通るようなとんこつスープを飲み干した妹は、目を輝かせて俺を見上げて言った。



「おいしい!」


「うん。おいしいね」



 次は麺を食べさせてやろうと思ったが、2歳の妹ではカタメの麺を咀嚼できるのかが少し疑問だ。本来ならやるべきではないが、麺がしっかりと水を吸うまで妹には少しずつスープを飲ませてやろうと思い立つ。


 レンゲで掬ったスープをフーフーと息を吹きかけて冷まし、妹の口元へ持っていく。その都度麺を数本、ちゅるちゅると啜ってふやけ具合を確かめる。食べ過ぎたら妹の分が無くなってしまう。口元の寂しさを紛らわせるために、俺は妹に話をしようと思いついた。



「いいかシスティ。これはラーメンって言うたべものだ。すっごくおいしい」


「らーめん? らーめん、おいしいね」



 聞いた事のない単語だからだろう。妹は小首をかしげてラーメンと呟いた後、にっこりと笑って俺にそう答えた。


 妹がこんなに屈託のない笑顔を見せるのは、両親が居た頃以来だろう。嬉しくなった俺は、レンゲで掬ったスープをフーフーと冷ましながら妹に語り掛ける。



「これはとんこつラーメンだ。おれがいちばん好きなラーメンだ」


「いちばん? にぃにのいちばん」


「ああ。ほかにもな、しょうゆラーメンとか、しおラーメンとかみそラーメンとか。ラーメンはたくさんのおいしいがあるんだぞ」


「シスもたべたい」


「たべたいな。いつかシスティにもたべさせるからな」



 語りながら、数回。妹にスープを飲ませていたが、そろそろ麺がいい具合にふやけてきたようだ。レンゲの中に数本の麺を、更に念のため食べやすいよう箸で小さく潰して、妹に食べさせる。



「あむあむ。おいひぃ」


「こら、システィ。たべながらしゃべるのはぎょうぎがよくない。神父さまにおこられるぞ?」



 熱心に口の中に入った麺を咀嚼する妹にそう言って、俺は妹の頭を撫でる。


 いつか妹に他のラーメンも食べさせてやりたい。本心だ。


 まず最初は醤油ラーメンだろう。初心者向けだからな。香ばしい醤油の香りとさっぱりとした口当たりが非常に好ましいラーメンだ。何度食べても飽きない味とはまさに醤油ラーメンにこそふさわしい称号だろう。


 次は塩ラーメン。シンプルにして王道。塩というもっとも単純にして汎用性のあるそれは一定以上の美味しさにするには難易度が高く、だからこそ上手く扱えるラーメン屋は名店といって差支えの無い店舗ばかりだった。


 ほかにも味噌ラーメンは外せない。濃厚でコクのある味わいはガッツリと食べたい時にこそ輝き、大きな仕事を終えた時の締めにはコレと言えるものだった。


 そして、なによりも大好きだったとんこつラーメン。初めて本格的なとんこつラーメンを食べた時、あのチャーハンセット750円の一杯を食べた時の感動は忘れられない。人生初の替え玉5杯を達成し、更にぱらっとしたチャーハンをさっぱりとしたとんこつスープで流し込んだあの帰り道は、俺にとって人生が終わった今でも忘れられないひと時だった。


 いま、ここに出てきたとんこつラーメンは正にあの時の味と一緒。なんとなく、脳内でもう少し頑張ればチャーハンセットも出せる気がするが、それをすると自分がぶっ倒れるという予感もする。今はこれ以上は出来ないが、今じゃなければ妹に他のラーメンを食べさせることも出来る。


 だが、しかし。



「ラーメンはおいしい。システィには、他のラーメンもたべさせてやるからな」


「ほんと?」


「ああ、もちろん。ただしジローはダメだぞ」



 レンゲの中にスープと潰した麵を入れなおし、妹に食べさせる。その過程で俺は、何度も何度も繰り返し妹に語り聞かせた。


 ラーメンに貴賎なし。どんなラーメンにもそれぞれの良さがある。ただしジローはダメだ。体を壊す。前世ではジローに通いつめ、内臓をやられて大好きなラーメンを食べることが出来なくなった苦い記憶を思い返す。あの頃の俺の体系を思い浮かべ、その悲劇がもし妹にも降りかかったら俺は死んでも死にきれない。


 妹の食育の為、俺は繰り返しジローはダメ。ジローはダメだと繰り返した。


――――――――――――――――――――――――――――――

男主人公のリハビリ作。作者はラーメンに貴賎はないと思います。


@b0008さん、@winter2022さん、@doko2さん、@Debu-Debuさん、山城黄河さんコメントありがとうございます。


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