第20話

葵の圧倒的な「愛の業務命令」の攻勢に、一方的に胃を痛めつけられてきた俺だが、ついに反撃の機会が巡ってきた。


​ある日、マネージャーの葛城さんから偶然聞いた。


​2週間後の11月23日。その日は、葵の誕生日だという事を。


​……そういえば、ウィキペディアにも葵の誕生日が23日だって掲載されていたな……。


俺の頭からは、「トップ女優の誕生日」という、非日常的な情報はすっかり抜け落ちていた。


(いつも葵には、豪華すぎる手料理や、愛の漢方茶、そして公衆の面前での恥ずかしい膝枕など、一方的に世話になっている。ほぼ強制的な付き合いだが、このままでは、俺の平凡な自尊心が完全に崩壊してしまう)


​このままでは葵の「愛の支配」が完成してしまう。


そうなる前に、対等な一人の男として、彼女を驚かせ、喜ばせてやる必要がある。


​そして何より、ただ普通にお祝いするのでは、葵なら「あなたは私の誕生日を祝うという業務を遂行した。満点よ」と、また愛の業務評価を下すに違いない。それでは意味がない。


俺が求めるのは、葵の予測を完全に超える「真のサプライズ」だ。


よし、決めた。葵の誕生日にサプライズを仕掛ける!


​【雪之丞の極秘サプライズリサーチ作戦】


​先ずは葵の好みをリサーチしないと。そして絶対に葵に俺がサプライズを考えている事がバレない様にしないとな。


​俺の武器は、「動物と話せる能力」だ。


この能力は、普段の仕事では全く役に立たず、公園の猫の愚痴を聞かされる以外に使い道がない、極めて「余り使えない能力」だ。


だが、トップ女優の極秘情報を、彼女の一番身近な動物たちから聞き出すという点において、これほど強力なツールはない。


ただし、情報源の選定が極めて重要だった。


​「でも、決してマメには聞かない」


​俺は、リビングで玩具と格闘しているマメを一瞥した。


​あいつは、神憑った馬鹿だからだ。


​もしマメにリサーチしても、ロクな答えは返ってこないだろう。確実に「葵が一番好きなのはフォアグラのオムライスだ!」などと、小学生レベルの答えを返してくる。


​それに、マメは口が軽い。マメから葵にサプライズがバレたら本末転倒だ。


(まぁ、葵は動物の言葉は分からないから余り心配は要らないと思うが、念の為、マメは情報ルートから除外する)


​俺が頼れるのは、このアパートの真の主宰者、そして葵の心の機微を理解している唯一の存在、俺の大切なパートナー・ハルしかいない。


「ハル。ちょっと、大事な話がある」


​俺はハルを抱き上げ、マメから見えないようにベランダに連れ出した。


​『なによご主人? 緊急事態? 葵がまたデトックス鍋を三日連続で作ると言い出したのかしら?』


​ハルは相変わらず賢明で、少し疲れ切っている。


​「違う。もっと深刻な事態だ。葵の誕生日サプライズについて、力を貸してほしい」


​ハルの瞳が、真剣な光を帯びた。


​『…サプライズ。それは、葵の予測を裏切るという意味での、ご主人からの業務命令ね。分かったわ』


​「頼む! 葵は、一体何が好きだ? 高級品は自分で買えるから意味がない。本当に葵が欲しがっているもの、『神崎葵』ではなく、『葵』が喜ぶものは何なんだ?」


​ハルは、鋭い洞察力で答えた。


『葵は、『雪之丞さんの大切な人』という自分の立場を最も大切にしてる。高級品は興味が無いと思うの。もし喜ばせたいのなら、「雪之丞さんの平凡な日常」を、葵に「支配」ではなく「共有」させる事が、最大の喜びになるんじゃないかな?』


​「平凡な日常の共有……?」


『ええ。例えば、葵はいつもご主人のために料理をするけど、ご主人が葵のために、どこにでもあるような「平凡なもの」をプレゼントすること。そして、そのプレゼントを、「特別な日」ではなく「日常」で使う事だと思うの』


​ハルのアドバイスは、俺の想像の斜め上をいった。


​『葵は最近、「ご主人がくつろいでいる時のソファ」について、『あのソファは雪之丞さんの匂いがするから素晴らしいが、もう少し柔らかいと、私の膝枕のクオリティが向上するのに』と、アホみたいな事、をぼやいていたのよ。ソファが柔らかいだけで自分の膝枕のクオリティが向上する訳無いのにね』


​「ソファ……!」


俺のアパートのソファは、リサイクルショップで買った、硬くて座り心地の悪い、平凡な二人がけだった。


しかし、その上で葵は、トップ女優の膝枕業務を遂行し、俺は漢方茶を飲まされていた。


​(葵が、『膝枕のクオリティ向上』を望んでいる……。それは、俺との平凡な夜の時間を、もっと大切にしたいという証拠じゃないか?)


​「わかった、ハル! 俺、最高に平凡で、最高に座り心地のいい新しいソファをプレゼントする! 流石ハルだ! やっぱり頼りになるな!」


『そ、そう? えへへ♪ お役に立てて良かったわ♪』




「わかっている! この作戦は、マメ禁制の極秘任務だ!」


​ハルとの密約を結んだ俺は、その夜からすぐに「平凡サプライズ作戦」の実行に移った。


サプライズの内容は、「最高に平凡で、最高に座り心地のいい新しいソファ」のプレゼントだ。


​しかし、すぐに「一般的なサラリーマン」の予算という名の、分厚い壁にぶち当たった。


​週末、葵が仕事で家を空ける貴重な時間を利用して、俺は近隣の家具屋をハシゴした。


(葵の膝枕のクオリティを向上させるには、それなりにいいソファが必要だ。しかし、俺の使える予算は……ボーナスを崩しても十数万円が限界だ。葵さんが普段触れているもの、目にしているものは、すべて数百万、数千万の価値があるのに……)


​家具屋に並ぶソファは、ピンキリだった。


​「北欧デザイナーズモデル、価格:80万円」……だめだ。


「最高級本革ソファ、価格:120万円」……舐めてんのか? 普通のサラリーマンがそんな高級なソファ買えると思うのか? 絶対に無理だろ?


​俺が選ぶべきは、ブランド名や価格ではなく、「機能性」だ。


俺がこんな高級品を買ったら、葵は逆に「無理をして買ってくれた。プレッシャーに潰されてしまう」と、俺への心配で、新しい業務を増やしてしまうかもしれない。



​俺は再び立ち上がり、店員に尋ねた。


​「すみません。予算は15万円以内で、長時間座っても腰が痛くならず、なおかつ横になった時に背もたれの角度が絶妙にフィットする、最高のソファはありませんか?」


​店員は、一瞬顔を引きつらせたが、すぐに専門家としての顔に戻った。


​「それでしたら、デザインは極めて平凡ですが、座り心地と耐久性に特化した、あるメーカーのロングセラー商品があります。特に、お昼寝用に買われるお客様が多いですね」


案内されたのは、ベージュ色の、何の変哲もない、本当に平凡な二人がけソファだった。


しかし、その座面は妙に分厚く、低反発ウレタンがぎっしり詰まっているのがわかる。


​俺は、意を決してそのソファに横になった。


​「……これだ!」


​硬すぎず、柔らかすぎない絶妙な反発力。そして、低く設計された肘掛けは、頭を乗せるのに最適だった。


​(この肘掛けなら、葵が膝枕で疲れたとき、俺がここに頭を乗せて「次は俺が葵をデトックスしてやる」と、逆業務命令を仕掛けられる!)


そして、何より、このソファの価格は9万8千円。予算内に収まる。


​「これにします。ただし、2週間後の11月23日、日中に、必ず誰もいないアパートに、誰にも気づかれないように届けてください。そして、『絶対に誰にも口外しない』という誓約書を書いていただきたいのですが」


​店員は、目を丸くしたが、プロの顔で応じた。


​「かしこまりました。お客様の極秘のお祝い業務、責任を持って遂行させていただきます」


こうして、俺は葵への平凡な愛の証となるソファの購入を完了した。


​あとは、マメの監視を潜り抜け、アパートから古いソファを運び出し、新しいソファを設置するだけだ。


​(待ってろ、葵。今度は俺の番だ。平凡な愛の逆襲を受けてみろ!)


​俺の心は、久々に胃の痛みではない、高揚感に満たされていた。




読者の皆様、今回も読んでくださりありがとうございます!

​葵さんの圧倒的な愛に対し、雪之丞さんの「平凡サプライズ作戦」がようやく始動しました! 予算15万円以内で、トップ女優の膝枕クオリティを向上させるという、彼の苦悩と愛に、思わず応援したくなりませんでしたか?

​9万8千円の「平凡な愛の証」。これに葵さんがどんな反応を見せるのか、今から楽しみですね!

​さて、今回の作戦では、賢いハルが最高の協力をしましたが、「マメ禁制」のルールは無事に守られるでしょうか?


​【質問です!】

​Q. マメは、この極秘作戦に気づき、葵さんにバラしてしまうと思いますか? もしバラすとしたら、どんな「馬鹿な」言い方をするでしょう?

​Q. 雪之丞さんが、この「平凡なソファ」で葵さんに仕掛ける「逆業務命令」の最高のセリフは何だと思いますか?

​ぜひコメント欄で皆さんの予想を教えてください!

​♡やレビュー、星評価、それが私の執筆の大きな力となっています。














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