30 ちぐはぐ
ガラス張りのサンルームの向こうで、木々が揺れる。雲の切れ間に見える空は遠くて、風が強いせいか雲の流れも速い。
カチャリとソーサーに戻したティーカップが小さく音を立てた。宣言通りと言えばいいのか、時間ができたというエリックと今日もテーブルを挟んで向かい合っている。
あれから色々考えて、結局何も答えが出ないままこうしている。
自分とは正反対のタイプではあるが、クルミさん自身は悪い人ではない。むしろ善人だし私に対しても好意的ですらある。
正直クルミさんについてはそれ以上は知らない。知らないから怖いのだと思いもしたし、知ろうともした。でもエリックが彼女を褒める言葉を聞いて苦しくなった。それ以来はちゃんとクルミさんについて聞けていない。
自分でも理不尽だなとわかっている。一方的に苦手意識をもって、勝手に嫌な気持ちになって。今のところ関わりが少ないから助かっているわ。でも、もっとクルミさんと関わる機会が増えたら、本当にどうにかなってしまいそう。
以前オリビエ兄様に不満があるなら伝えるべきと言われたけど、こんな身勝手なこと、言えるわけがないわ。
「マリー、疲れたかい?」
「え、あ。ごめんなさい。少しぼーっとしていて」
ダメね、もっとちゃんとしないと。
上手く答えがまとまらない以上、いつまでも考えていたって解決しないわ。なら別のことを考えて気分を変えましょう。そうしたら、きっと時間が解決してくれるかもしれないし。
「ねえエリック。ロジェ兄様から舞台のチケットをいただいたのだけど、もしよかったら──」
「もちろん行くよ!」
「そう? ならよかった」
なんだかちょっと食い気味だったわね。エリックも観劇を楽しみにしてくれているってことかしら? ならよかった。兄様もきっと、エリックと行くようにって、チケットを二枚封筒に入れて渡してくれたのだろうし。
今回の公演の原作だとか、事前に調べた時代背景だとかを話していると、不意にエリックが難しい顔をした。
え、もしかして話過ぎたかしら? それとも、本当は観劇に興味はなかった? 恐る恐る声をかければ、ぱちりと瞬きをしてエリックが困った顔をした。
「エリック?」
「普段の観劇は、スタンリーと行っているのかい?」
なんでスタンリー? スタンリーはフットマンだし、そういった随伴はしない。どうしてスタンリーの名前が挙がったのかしら?
でも、そっか。エリックは我が家の使用人たちについても覚えてくれているのね。
よく給仕をしているメイドたちならいざ知らず、あまり前に出ていないフットマンまで。そう関わりもないはずなのに、家族同然に暮らしている者たちのことを覚えてくれているのは嬉しいわね。
「いえ、普段はメイドを伴っていますわ。兄様たちはお忙しいですし」
「そうなのか! いや、可笑しなことを聞いてすまない」
どうしたのかしら。やっぱり、最近のエリックってなんだか変よね? 慌てたように話したり、声色が明るくなったり。妙に距離が近くなるのにも関係があるのかしら?
今日はテーブルを挟んで向かい合っているせいか、一定の距離を保ってはいるのだけど、相変わらずなんだか様子がおかしいみたいだし。何かあるのかしら?
よく私のことを気にかけてくれているけど、もし何か心配事があるのならそちらを優先してほしい。とはいえ、エリックは優しいからそんなことを言われても困ってしまうかもしれない。
「ロジェさんは壮健で?」
「えぇ、しばらくお休みになったとかで、屋敷にも顔を見せてくれましたわ。式典では、警備として参列するとおっしゃっていましたわ」
「それは心強いな」
自分について全く話さないのに、相手のことはなんでも知りたいって思うのは、よくないかしら?
不意に距離が近くなるのも、触れられるのも。ずっと友人の様に思っていたから戸惑いはするけど、嫌な気持ちになったことはない。でもだからこそどう反応したらいいかも、何を求められているのかもわからない。
可能な限りこたえたいとは、思う。思うだけで、何も身を結んでいないのが現実だけど。
「あぁ、そうだ。式典といえば、当日のアクセサリーなんだが、もう少し時間がかかるらしくてね。届き次第渡しに行くよ」
「わかりましたわ」
アクセサリーの出来上がりは楽しみだけど、式典までまだ一ヶ月近くあるのだし、多少遅れたところで焦る必要もないわね。
当たり障りのない会話で場を繋ぎつつ、穏やかで起伏の無い昼下がりを過ごす。こういう時間を大切にしていたはずなのに。ついこの間も胸のドキドキに振り回されてぐったりしていたはずなのに。
手を伸ばして、エリックに触れてもらえないか、なんて期待している自分に愕然とする。
どうしてこう、考えに一貫性が無くなってしまっているのかしら。
浮いたり沈んだり。自分が自分じゃないみたいで苦しいのに、それでも求めているちぐはぐな自分を落ち着かせたくて。
まだほんのり温かい紅茶に口を付けることで、溢れ出しそうになる何かを呑み込んだ。
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