第5話 血の繋がり


 10月22日、朝。

 八度目のループ。

 詩織は鏡の前に立ち、自分の顔を見つめていた。

 誰に似ているのだろう。

 父?母?

 いや──

 詩織は思い出した。前のループで見た、母の日記。

「この子は私の子じゃない」

 ならば、私は誰の子?

 詩織は屋敷の書庫に向かった。


 書庫は静かだった。

 古い本、書類、写真が整然と並んでいる。

 詩織は棚を探した。

 そして──見つけた。

 古いアルバム。

 20年以上前の写真。

 父が若い頃の写真。

 そして──知らない女性。

 美しい女性。詩織に似ている。

 写真の裏に、小さく文字が書かれていた。

「由香里」

 詩織は息を呑んだ。

 この人が──私の本当の母?

 詩織はアルバムをめくり続けた。

 父と由香里の写真が何枚もある。

 二人は笑顔で寄り添っている。

 そして──最後のページに、赤ん坊を抱く由香里の写真。

 その赤ん坊は──私。

 詩織は写真を手に取った。

 裏に書かれていた。

「詩織、生まれました。1999年10月25日」

 詩織は全てを理解した。

 私は、父の愛人の娘。

 母・雪乃は、私を育てた。

 だが、私を愛したことは一度もなかった。

 なぜなら──私は、彼女にとって屈辱の象徴だから。


 詩織は書庫を出て、母の部屋に向かった。

 ノックする。

「お母様、入ってもいい?」

「どうぞ」

 雪乃は化粧台の前に座っていた。

 鏡に映る自分の顔を見つめている。

 詩織は部屋に入った。

「お母様、聞きたいことがあるの」

 雪乃は振り返った。

「何?」

 詩織は真っ直ぐに母を見た。

「私の本当の母親は、由香里さんなの?」

 雪乃の顔が凍りついた。

 沈黙。

 やがて、雪乃は小さく笑った。

「いつ、気づいたの?」

「今朝」

 詩織は冷静に言った。

「書庫で、写真を見つけたわ」

 雪乃は立ち上がった。

 窓辺に立ち、外を見る。

「そう。あなたは、あの女の娘よ」

 彼女の声は、冷たかった。

「由香里。あなたの父が愛した女。私じゃなく、あの女を」

 詩織は何も言わなかった。

 雪乃は続けた。

「あの女は、あなたを産んですぐに死んだ。病気でね。そして、私が──」

 彼女は振り返った。

 その目には、憎しみ。

「私が、あなたを育てることになった。夫の裏切りの証を、毎日見ながら」

 詩織は静かに尋ねた。

「それで、私を憎んだの?」

「当然でしょう」

 雪乃は冷たく言った。

「あなたを見るたびに、思い出すのよ。夫が私じゃなく、あの女を選んだことを」

 詩織は何も感じなかった。

 悲しみも、怒りも。

 ただ、理解した。

「だから、私を殺そうとしたのね」

 雪乃は何も言わなかった。

 だが、その沈黙が──答えだった。


 詩織は部屋を出た。

 廊下を歩きながら、考えた。

 母は私を憎んでいる。

 それは変えられない。

 ならば──

 母を、排除するしかない。

 詩織は父の書斎に向かった。


 書斎で、父・厳一郎は仕事をしていた。

「パパ、ちょっといい?」

「何だ、詩織」

 詩織は深刻な顔をした。

「お母様のことなんだけど──」

 厳一郎は顔を上げた。

「雪乃が、どうした?」

 詩織は囁いた。

「最近、おかしいの。夜中に一人で笑ってたり、私の部屋を勝手に調べてたり」

「それは──」

「それに」

 詩織は続けた。

「お母様が、家の財産を勝手に動かしてるみたい。口座から、大きなお金が消えてるの」

 厳一郎は険しい顔をした。

「本当か?」

「ええ。銀行の明細を見たわ」

 詩織は嘘をついていた。

 だが、父は信じた。

「分かった。調べてみる」

 詩織は微笑んだ。

「ありがとう、パパ」


 その日の午後、厳一郎は雪乃を呼び出した。

 書斎での尋問。

 詩織は扉の外で、耳を澄ませていた。

「雪乃、お前は財産を勝手に動かしていたのか?」

「何を言ってるの?私は何も──」

「銀行に確認した。お前の口座から、大きな金額が何度も引き出されている」

「それは──」

 雪乃の声が震えていた。

「詩織が、何か言ったの?」

「詩織は関係ない。お前が何を企んでいるのか、答えろ」

「私は何も──」

 雪乃は泣き出した。

「信じて!私は何も悪いことしてない!」

 だが、厳一郎は聞かなかった。

「お前は最近、おかしい。精神科に診てもらったほうがいい」

「精神科?」

 雪乃の声が上ずった。

「私は、正常よ!」

「それを医者に判断してもらう」

 厳一郎の声は冷たかった。

「明日、病院に行け」


 10月23日。

 雪乃は病院に連れて行かれた。

 精神科。

 詩織は父と一緒に、診察室の外で待っていた。

「パパ、お母様、大丈夫かな」

 詩織は心配そうに言った。

 厳一郎は頷いた。

「医者に診てもらえば、分かる」

 やがて、医者が出てきた。

「氷室さん、奥様は──」

 医者は深刻な顔をした。

「精神的に不安定な状態です。妄想、幻覚の症状が見られます。しばらく入院して、治療したほうがいいでしょう」

 厳一郎は頷いた。

「分かりました。お願いします」

 診察室の中から、雪乃の叫び声が聞こえた。

「違う!私は正常よ!詩織が嘘をついてるの!」

 だが、誰も信じなかった。


 雪乃は病院に入院した。

 詩織は彼女を見舞いに行った。

 病室で、雪乃はベッドに座っていた。

 憔悴した顔。

 詩織を見ると、彼女は叫んだ。

「あなたが!あなたがこうしたのね!」

 詩織は何も言わず、椅子に座った。

 雪乃は続けた。

「あなたは私を陥れた!私を狂人に仕立て上げた!」

 詩織は冷静に言った。

「お母様が、私を殺そうとしたからよ」

 雪乃は言葉を失った。

 詩織は続けた。

「私は知ってるわ。お母様が私を憎んでいること。私が由香里さんの娘だから」

 雪乃は俯いた。

 詩織は立ち上がった。

「でも、もう終わりよ。お母様は、ここにいる。私を殺すことはできない」

 雪乃は顔を上げた。

 その目には──涙と、憎しみ。

「あなたは──」

 彼女は囁いた。

「あなたは、あの女そっくりね。冷たくて、計算高くて──」

 詩織は微笑んだ。

「ありがとう。それは褒め言葉として受け取るわ」

 詩織は病室を出た。

 後ろから、雪乃の泣き声が聞こえた。

 だが、詩織は振り返らなかった。


 10月24日。

 パーティの前日。

 詩織は一人、庭を散歩していた。

 秋の風が冷たい。

 母を排除した。

 梨花も、神崎も、柊も、瑠奈も。

 全員、私から離れた。

 詩織は立ち止まった。

 庭園の中央に、噴水がある。

 水が静かに流れている。

 詩織は噴水を見つめた。

 そして──気づいた。

 私は、何をしているんだろう。

 敵を排除して。

 家族を壊して。

 その先に、何がある?

 詩織は自分の手を見た。

 震えていた。

 いつの間にか、震えていた。

「勝っても──」

 詩織は呟いた。

「何も、残らない」


 夜、詩織は眠れなかった。

 ベッドに横になり、天井を見つめる。

 何度もループを繰り返した。

 何人もの人間を排除した。

 それなのに──

 心は、空っぽだ。

 満足感も、安堵も、何もない。

 ただ、虚無だけ。

 詩織は目を閉じた。

 涙が流れた。

 いつの間にか、泣いていた。

「私は、何のために──」


 10月25日。

 誕生日。

 詩織は覚悟を決めていた。

 今日は、誰も私を殺さない。

 なぜなら──敵は、全員排除したから。

 パーティ会場に降りる。

 拍手が起こる。

 父だけが、そこにいた。

 他に、ゲストはいない。

 母も、梨花も、執事も、友人も──誰もいない。

 詩織と父、二人きりのパーティ。

「詩織、おめでとう」

 父が言った。

「ありがとう、パパ」

 詩織は微笑んだ。

 二人は乾杯をした。

 料理が運ばれてくる。

 詩織は一口食べた。

 普通の味。

 毒はない。

 時間が過ぎる。

 何も起こらない。

 詩織は安堵した。

 ついに──

 ついに、死なずに済む。

 パーティが終わった。

 詩織は自分の部屋に戻った。

 ベッドに座り、深呼吸をする。

「終わった」

 詩織は呟いた。

「もう、死なない」

 彼女は横になった。

 疲れていた。

 目を閉じる。

 そのとき──

 胸に、鋭い痛み。

 詩織は目を見開いた。

 心臓が──

 激しく、不規則に打っている。

 呼吸ができない。

 何?

 何が起きてる?

 詩織は胸を押さえた。

 痛い。

 息ができない。

 心臓発作──?

 なぜ?

 詩織は理解した。

 毒。

 遅効性の毒。

 三日前に盛られた毒が、今、効いている。

 でも、誰が──

 詩織はベッドから転がり落ちた。

 床が冷たい。

 視界がぼやける。

 意識が遠のく。

 最後に浮かんだのは──

 母の顔。

 三日前、朝食のときに飲んだ紅茶。

 母が、淹れてくれた紅茶。

 あれに──

 毒が入っていた。

 詩織は笑った。

 声を出さずに、笑った。

 完璧だった。

 母は、最初から計画していた。

 私が気づかないうちに、遅効性の毒を盛る。

 三日後、私は死ぬ。

 そして、誰も疑わない。

 心臓発作として処理される。

 詩織の意識は、途切れた。

 そして──暗転。


 目が覚めた。

 10月22日。

 詩織は動かなかった。

 ただ、天井を見つめていた。

 何も感じなかった。

 恐怖も、怒りも。

 ただ──虚無。

「なぜ」

 詩織は呟いた。

「なぜ、私は生き返る?」

 誰も答えない。

 詩織は起き上がった。

 窓の外を見る。

 美しい朝。

 だが、詩織には何の意味もない。

「これは、何のため?」

 詩織は自分に問いかけた。

「私を苦しめるため?罰を与えるため?」

 誰も答えない。

 詩織は鏡を見た。

 映っているのは──疲れ果てた女。

 目に、光はない。

 詩織は気づいた。

 私は、もう壊れている。

 何度も死を繰り返し、何人もの人間を排除し──

 心が、壊れてしまった。

「復讐しても、虚しい」

 詩織は呟いた。

「誰も排除しても、私は死ぬ」

 彼女は座り込んだ。

 床に座り、膝を抱えた。

「なら──どうすればいい?」

 誰も答えない。

 詩織は一人、部屋の中で座り続けた。

 外では、鳥が鳴いている。

 朝日が、部屋を照らしている。

 だが、詩織の心は──

 暗闇に沈んでいた。


 朝食の時間になった。

 詩織は食堂に降りた。

 家族が揃っている。

 父、母、梨花。

 母が、紅茶を淹れている。

 詩織はテーブルに着いた。

 母が紅茶を差し出した。

「どうぞ、詩織」

 詩織は紅茶を見た。

 この中に、毒が入っている。

 三日後、私は死ぬ。

 詩織は紅茶を手に取った。

 そして──

 一口、飲んだ。

 母が微笑んだ。

 詩織も、微笑み返した。

 冷たい、空虚な笑み。

「ありがとう、お母様」

 詩織は心の中で呟いた。

 もう、どうでもいい。

 何度やっても、私は死ぬ。

 なら──

 もう、戦わない。

 ただ──

 このループの意味を、知りたい。


第5話 終

次回、第6話「物語という牢獄」

詩織は気づく。何度も繰り返される三日間、必ず訪れる死──これは偶然ではない。誰かが、何かが、私を「殺される令嬢」として書いている。ならば──この物語そのものを、壊すしかない。

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