赤子が生えた

 テレジアは森を広げることを急にやめたヤエを心配そうに見る。


「ヤエさん、まだふんぎりがつきませんか?」


「うん」


 森を広げない理由。


 それは目の前に見えている人間の世界。

 ヤエが侵食し、緑化した砂漠の果て、その先には人間の世界が広がっていた。

 このまま森を広げれば人間の世界に接触してしまうということになる。


 ヤエは人間を知っている。


 人間の荒ぶった行動を、身勝手な思考を、その果てしない欲を、知っている。

 彼らが関われば、確実にこの美しい森の中にある、完璧な円の循環は破壊されるだろう。


「何が心配なんです? ヤエさんと私なら不遜な現生人類程度、瞬殺なんですけどねえ」

 物騒なことを言う狸テレジア。


「テレジアさんって狸のくせに武闘派よね」


「なんせ森の王ですからねえ。私には守るものがあるんですよう」

 テレジアはフーンと鼻を鳴らした。かわいい。


「そうね、私も、私とみんなを守りたい。だからリスクは避けたい。人間は明らかなリスクなの。同時に人間に関わりたい。そういう気持ちもある。だから迷っているのよ」


「んー、ならヤエさんがやりたいようにやってから考えればいいんですよう」


「やってから考える?」

 それはヤエの思考の中にはあまりないものだった。

 小さい頃からずっと。

 何かをする時には事前準備を万全に整えてからする。


 ヤエは前世からそうやってきた。


「そうですよう。ヤエさんはチート転生者なんですから、やりたいようにやったらいいじゃないですか」

 ヤエの目から鱗が落ちた瞬間だった。


 確かにチート転生者はやりたい放題で。ヤエはそんなチート転生者だ。


「……確かに前世の小説の中ではみんなやりたい放題だったわね」

「でしょう? 私が女神時代に世話した人間たちもみんなそんなもんでしたよう。ヤエさんはやらなさすぎです」

「やりたい放題、やっていいの?」

「いいに決まってるじゃないですか」


 ヤエは思った。


 そうか。私はやりたい放題にしていいのか。

 そうか。私はやりたい放題にやりたかったのか。


 だから、私は前世で異世界転生ばかり読んでいたのだ。

 憧れていた。

 だから、私はスローライフを願ったのだ。

 やりたかった。


 誰にも邪魔されず。

 誰にも何も言われず。


 何も考えず。

 自分の好きなように自分を生きる。

 それがスローライフで。

 願ったのはそういう自由だったのだ。


 ヤエは異世界転生して一年経ったこのタイミングで。

 初めて自分の本質を理解した。


「うん。私、人間界にも広がるわ。人間にも関わってみる」


 ◇ ◇ ◇


 そう決意したヤエは、善は急げとばかりに、人間世界へとその手を伸ばした。


 まずは人間の住んでいなさそうな場所から侵食を進めていった。

 結果は森が森に変わるだけ。

 それなら人間にも怪しまれないだろうと思ったのだ。やりたい放題すると言ったばかりなのに、準備を進めようとするのがまた自分らしいなとヤエは思った。


 そうやって順調に人間世界の森をヤエの森に変換しているうちに。

 たまに人間の狩人がヤエの中に紛れ込んでくるようになった。


 人間は鹿や猪なんかを狩って帰っていった。

 ヤエはそれを容認した。

 取りすぎない限りはそれも自然のサイクルだろうと考えたからだ。


 狩人は自然に感謝し食べる分だけを狩る者が大半だった。

 だけれどやはり人間。ヤエが予想していたように狩人の中にも欲深い者はいて。


 そんな人間に対しては、森の王、テレジアが出てくる。

 驚いて逃げ出せば良し。

 向かってくるならば決して容赦はしなかった。


 そんなある日。

 テレジアが森の中でヤエを呼んだ。


「ヤエさん! ヤエさんヤエさん!」

「どうしたのテレジアさん? また欲深狩人を、メッしたの?」


「違いますよう! そんなことでいちいち呼んだりしませんよ。いいから早くこっちに出て来てください! 急いで急いで! 赤ちゃん! 人間の赤ちゃんが落ちてるんですよう!」


「は? 赤ちゃん?」


「そうですよう! 捨てられたのか、動物たちみたいに勝手に生えたのかわかりませんけど! 赤ちゃんが森で泣いてるんですよう!」

「ええ!? よくわかんないけどすぐ行くわ!」


 テレジアが呼ぶ場所に、すぐさまヤエの幻体を出現させてみれば。

 そこには確かに人間の赤子が落ちていた。


 それはとてもちいさくて。薄汚れた一枚布にくるまれた。いかにも生まれたての、どこから見ても普通の人間の赤ん坊だった。


 しかしその赤ん坊には一つだけ違うところがあった。


「ねえ、ヤエさん。私、元女神の狸だから知らないんですけど」

「うん」


「人間の赤ちゃんって光ります?」

「うーん? この世界だと、光るの、かな? わからないわ」


 その赤子は二人の戸惑いをよそめに、深い森の中で煌々と光り輝いていた。

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