《テール=エクリプス》君が物語を描くことをやめた、その瞬間――世界は崩れはじめた。
たまごもんじろう
第1章 『天魔双極~幻影幻想曲第14番 <Phantom Fable>』
第1話 灰色の世界
ぼくのしょうらいのゆめは、まんがかです。
――寒気がする。
なぜかとゆうと、えをかくのとおはなしをかんがえるのが、だいすきだからです。
――でも熱意と評価は相容れないものだったらしい。
みんなのこころをしあわせにできるようなまんがをかきたいです。
――……。
かつての俺は、そんな夢を掲げてはそんな未来を渇望していたっけか。
でも結局その果てに産み出されたのは、
「いつまでも幼稚な絵」、「どこまでも続く稚拙な文章」、「痛々しい設定の数々」……。
――そうそれは、黒歴史。
過去の自分が残した、恥ずかしくて消し去りたい痕跡のことだ。
たとえば、中学の頃。誰にでも一度はある、あの中二病の時期。
流行りのアニメの主人公に憧れて、「俺は他とは違う」って空気を出すために、あえて一人でいたようなことは、ないだろうか。
窓際で物思いに耽っているふりをして、放課後の教室に差す夕陽を見ながら、周囲にかっこよさをアピールする。
ただ、無言で、格好をつけて。
思い返すたび、笑えるほど青臭くて、どうしようもなく恥ずかしい。
でも、不思議とあの頃の自分を、少しだけ愛おしくも思うんだ。
あるいは、高校の頃。
片思いの相手に、夜更けの勢いで、ポエミーな文章を送っていたことはないだろうか。
「君の笑顔は、僕の世界を照らす太陽です」
とか、
「君が泣いたら、世界が泣く気がする」
だなんて。
今それを見ると、穴があったら入りたくなる。でも当時の自分は、それを真剣に書いていた。
送信ボタンを押す指先は震えて、心臓は壊れそうなほど鳴っていた。
その一文で何かが変わると、本気で信じていたんだ。
きっと相手は、もうそんなメッセージのことなんて覚えてもいない。
けれど、自分の中では今でも鮮明だ。
あの送信音のあとに訪れた沈黙。既読がつかないままの夜。
あの頃の俺が書いた一行一行は、今でも記憶のどこかで微かに光っている。
恥ずかしくて、眩しくて、もう二度と触れたくないのに。
いつまで経っても、記憶の奥底にへばりついている数々。
それらの小さな恥ずかしさは、後になって笑い話にできることもあるが、時に胸を締めつける重さを持ち続ける。
――そんな存在に俺は、向き合わなきゃならない日が来たみたいだ。
◇ ◇ ◇
灰色の街。灰色の空。灰色のスーツ。
そんな灰色の世界で、俺こと田島修一は、その中を俯いたまま歩いていた。
30代半ばの年齢を感じさせる落ち着いた顔立ちに、細めの黒縁眼鏡がかかっている。
その眼鏡の奥には、長年のデスクワークで疲れた目の影がわずかに残り、目尻には小さな皺が刻まれていた。
スーツは無難な灰色で肩や背中の線は少し伸びきり、シャツの袖は軽く皺が寄っている。
ネクタイはきちんと締められているものの、やや窮屈そうに首に食い込み、長時間の通勤と仕事の疲労がにじみ出ていた。
革靴は磨かれているが歩くたびに微かな擦れる音がし、手には革のビジネスバッグを握る指先は少し乾燥して荒れている。
髪型は短髪で整えてはいるが、微かに寝癖が残り、日々の慌ただしさを感じさせた。
表情は淡々として口角は上がらず、眉は軽く寄せられ、電車の窓に映る自分の顔に目を留めることもなく、ただ前を見て歩く。
30代の現実感と、灰色の街に馴染みすぎた日常の諦めが、その目つきや姿勢に滲んでいた。
――それが、俺だ。
毎日、何をしているのか、自分でもよく分からない。
会議、メール、書類、また会議。
昼と夜の境目も分からず、何時間も何時間も、同じ景色の中を往復するだけだった。
街のざわめきも、雑踏の足音も、俺には遠くの雑音のように聞こえた。
ビルの影に沈む夕日さえ、いつもより鈍く、何も照らさない。
胸の奥に、いつの間にかできていた空虚が、静かに、しかし着実に膨らんでいく。
某日、昼休憩。オフィスの片隅。後輩の佐藤くんが笑いながら言った。
「……いや、だから僕、漫画家目指そうかなって」
俺は瞬間、耳を疑った。
最近人気のウェブ漫画の話題の最中だった。
「毎日、何やってるのか分かんない仕事ばかりする生活じゃないですか? だから一発あてて億万長者に……って。
まあそんなにうまくいくなら、僕はこんなところにいるはずないですけどね、はははっ!」
俺は視線を落とし、苦笑いをするだけに留まり、返事をしなかった。
手元の書類に目を落とすふりをしていたけれど、右手の感覚が妙に鈍い。
ペンを握る力も、思ったより入らない。
その瞬間、かつての記憶が胸の奥を突いた。
夜遅くまで、机に向かって何時間もペンを握り、原稿を描き続けた日々。
ページを何度も破き、描き直し、眠気と疲労の中で線を引き続けたあの頃。
友人や家族に馬鹿にされながらも、夢を信じて描き続けた自分の右手――。
あの頃の力強さは、もうどこにもない。
佐藤くんの声が響く。
「田島さん……その右手、動き鈍いですけど、どうかしたんですか?」
俺は顔を上げ、無意識に右手を見た。
指先はわずかに震え、思うように動かない。
まるで灰色の時間に蝕まれ、存在感を失ってしまったかのようだ。
「……ああ、いや、別に……何でもないさ」
胸の奥に小さな痛みが走る。
無意識に握りしめた右手が、昔描き続けた世界と、叶わなかった夢のことを思い出させる。
「でもまあ、佐藤くんぐらいガッツのある好青年なら
「そうっすかね!!田島さんがそこまで言うなら、いっちょなってみますか!!漫画家にッ!!」
――
そんな無責任な言葉を口にして、俺はトイレの個室へと向かう。
自分はいつから、こんなにも灰色になってしまったのだろう、と。
無意味な数字、無意味な書類、無意味な時間――
すべてが、心の奥にじわりと重くのしかかる。
夜。会社を出て、電車に揺られ、うなだれながら帰る。
窓の外に映るネオンの光が、まるで水面に揺れる幻想のように見えた。
揺れる列車の中で、俺は息を詰める。
知らず知らず、右手の手のひらが握り締められていた。
遠くに聞こえる駅アナウンスも、乗客の話し声も、もはや現実のものではない。
ぼんやりと車窓の街の灯りを眺めていると、あの頃の夢が、ふと胸の奥をかすめた。
“ぼくのしょうらいのゆめは、まんがかです。――”
子どもだった自分は、毎日のように漫画を描き、きっとこの作品が笑いと涙を生むと信じていた。
今の自分は、その夢をどこかに置き忘れてしまった。
そんなこんなでいつも通り、都心から少し離れた閑静な住宅街にある自宅に帰宅。
自分が疲れているのかどうかも分からない、そんな霧のような思考回路のまま、ベッドに突っ伏す。
――あぁ、今日もまた終わる。
いや、これがはじまりだった。
そんな考えに思い耽っていたのも束の間、暗がりの中で押し入れが、突如として微かに膨らむような気配を見せた。
気づいたときにはもう遅く、雪崩のような音がゴゴゴゴゴゴゴと響く。心底めんどくさがるようにして、押し入れに布団を戻す。
そんな中、床に散らしたあるものを見つける。
黄ばんだ紙の束――
『天魔双極~幻影幻想曲第14番 <Phantom Fable>』
そんなタイトルとともに、勇者と魔王が表紙を飾る中二病全開の黒歴史漫画が、そこにはあった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
この世界には二つの月が浮かんでいた。
白銀に輝く「ルミナ」は人間たちに恵みを与え、作物を育み、魔術の力を与えてきた。
暗黒に染まる「ノクス」は魔族の力の源であり、荒廃の大地に魔力を注ぎ込み、秩序とは異なる進化と繁栄をもたらしてきた。
長い間、人間はルミナの力を頼りに文明を築き、魔族はノクスの加護のもとで独自の繁栄を遂げてきた。
お互いの月の影響は干渉せず、種族ごとの領域で均衡が保たれていた。
しかし、時が経つにつれ、月から注がれるエネルギーは徐々に枯渇しつつあった。
大地に生きるものたちの魔力が減退し、作物は痩せ、魔術の効果も薄れ、世界全体に不安定な気配が漂い始める。
その結果、両種族の間に不穏な空気が生まれた。
限られた月のエネルギーを奪い合い、残された力を自らのものにしようと争う者が現れたのだ。
人間の王国はノクスの光を独占しようと魔族領に進軍し、魔族もまた同様にルミナ独占のため都市を襲撃する。
かつては互いの月に依存しながら共存していた世界は、二つの月の力を巡る争いの舞台と化していた。
人間と魔族、双方の指導者たちは同じようにこう叫んだ。
「ルミナもノクスも、我ら種族のものとする!」
そしてその争いの狭間に、勇者ルナテミスは立つ。
白銀の月ルミナの加護を受けつつ、光と闇、秩序と混沌の均衡を取り戻す使命を帯びた存在として。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「……たしか、そんな世界観のストーリーだったっけか」
ページの端には、消し跡と書き直しの跡。
無意味に長い必殺技名、一向に成長しないデッサン力、結局何を伝えたいのか理解できないストーリーライン……。
過去の自分が、必死に描き残したものたちが、まるで生きているかのように部屋を埋め尽くす。
「懐かしいな……昔、夢中で描いてた漫画だ」
手に取ると、紙の感触は古く、埃っぽく、でも温度を帯びている。
「こんな黒歴史、見たくもねぇ……」
そんなことを口ずさんだ瞬間であった。
紙の間で、微かに光る何かがある。
光の粒が、ゆっくりと集まり、空気を振動させる。
瞬間……
いや、この場合この言葉は適切ではない。突如として手にしていたこの黒歴史漫画から、白が溢れ出す。
そしてその白は意思を持った触手のように爪先、指、掌、手首、腕の順で俺を呑み込んでいく。
そこ―で――俺のいっ―しき―――は、ーと、―とだえ―――た。
◇ ◇ ◇
まず感じたのは湿った空気と鉄の匂い。
足元にはべたつく感触があり、触れるたびに粘り気のある床が指先に絡みつく。
複雑な魔術陣――円形のルーンと紋様が刻まれ、微かに光を放っていた。
石の壁は冷たく、湿気で黒ずみ、薄暗い光に照らされて不気味に輝いている。
膝に力が入らないまま、俺は床のべたつく感触を踏みしめて立ち上がった。
「……ここは……?」
声は乾き、耳に馴染まない。
壁の隙間から湿った風が吹き込み、床のべたつきと混ざって鼻を突く。
理性は必死に否定した。
「夢だ、これは夢だ……現実じゃない……現実であってたまるものか」
だが、床の魔術陣から微かな振動が伝わり、胸の奥がざわつく。
こつ、こつ、こつ。足音がする。
どくっ、どくっ、どききっっ。心臓という名のポンプの活動が活性化するばかり。
何者かが、俺の前に現れた。
――現れたのは、肩までの金色の髪を、微かな風に揺れす女。
瞳は深い紅。燃えるように鮮烈でありながら、どこか血の底を覗き込むような静かな冷たさがあった。
顔立ちは端正で、柔らかさと鋭さを兼ね備えている。
肩にかかる黒い半透明のマント、細身の革鎧には銀の装飾。
手にした長剣は青白く光を帯び、刃には小さな文字や紋章が刻まれている。
その瞳は、どこか自分自身の目に似ていた。
低く響く声が、部屋の空気を震わせる。
「ふう、ひとまず召喚魔術は成功か。
我でも簡単に扱える、術式の編纂に時間を費やした、などと言っておったが上出来だ。
あの魔女にも、いつか礼を言わんとだな」
その瞬間、俺の心臓が跳ね、全身の感覚が研ぎ澄まされる。
――あぁ、いつになったら息ができるのだろう。
そんなことを静かにぼやきながら、こんな突飛な状況に相応しい言葉を口にする。
「だ、誰だっ……! 一体全体、何が起こっているというんだ!」
俺は、ただその場に立ちすくむ。視界の奥で、勇者の瞳がじっと自分を見据えていた。
霧が晴れる――。
「我は月影白夜騎士団が筆頭……」
「勇者、ルナテミスッっ!!」
「初めましてと行こうか、創造主様。そして、穢土にようこそ、くそったれ」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
*現在、約30万字書き溜めております。初日に1章分すべてを時間を空けて投稿したのち、それ以降は書き溜めが許す限り、同じ時間帯にに毎日投稿を心がけていきたいと思います。何卒宜しくお願い致します。
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