第7話 一瞬の攻防

 帰宅してすぐに夕食を作り、少ししたら久々に日本の柔道場へと向かう。アメリカでも道場には通っていた。


 小さな道場だったから人数も少なくわたしに勝てる人はいなかったので、日本ではどこまで通用するようになっているか楽しみ。


 道場に到着してまずは師範に帰国の挨拶。


「お久しぶりです、師範。今日からまたこちらでよろしくお願いします」


「ゆきちゃん、おかえり。アメリカでも道場に通って敵知らずだったそうだね。みんな君がどこまで強くなっているか楽しみにしているよ」


 受講費を支払いに来たお母さんから聞いたのだろう。周囲を見ると先輩たちが笑顔ながらも挑戦的な目でわたしの方を見ていた。


「この4年間で腕を上げたつもりではありますけど、今日は皆さんの胸を借りるつもりで自分の力を試したいと思います」


 暴力が嫌いとはいえ、試合は別。こう見えてもわたしはけっこう負けず嫌いだ。ここまで挑戦的な視線を向けられたらいやがおうにも燃えてくる。やるからには絶対に勝ちたい。


 まずは準備運動をしっかり行って体を温めておく。今日は約束稽古の後に乱取り。約束稽古は技の反復練習なので基本動作の出来や技の習熟度などを図ることができる。


 乱取りはだいたいレベルが同程度の人同士で稽古を行うのだけど、今日はわたしがひさびさに帰ってきたから今の力量を図るという意図もある。


 約束稽古の出来から見て初段相手で問題ないだろうということで高校2年生の兄弟子と組み合うことになった。


 向かい合い一礼をして構える。組み合った瞬間に兄弟子の体のバランスが偏っていることに気が付いたので、そこを狙い崩して投げた。あっさりと一本。驚いた。


 兄弟子も簡単に負けたことに驚いたようで再戦。結果5戦やったけど全戦瞬殺。


 結果を見ていた2段の兄弟子とも同じく5戦試合をしたけど、その人ですら1分と持たずわたしに投げられてしまった。


 道場がざわつく。そりゃそうだ。まだ昇段資格の年齢にすら達していない少年が有段者をいともたやすく投げ飛ばしているのだから。


 自分でも己の運動神経の異常さは理解しているけど、武道の有段者相手にも通用するとは驚きだ。


 最終的にちょうど非番で顔を出していたうちの道場の最高段位3段保持者の現役警察官、松田さんが手合わせをしたいと名乗り出たことで捨て稽古みたいになってしまった。捨て稽古は勝敗にこだわらず自分より実力のある相手に胸を借りて技のキレを磨く稽古のこと。


 形式は捨て稽古だけど、わたしにはそんな気は毛頭ない。やるからには勝ちに行く。


 さすがに3段ともなると実力がまるで違う。普通なら勝てない。だけどわたしは諦めるつもりなんて欠片もなかった。わたしは普通じゃない。


 どれくらい時間がたったのか、一進一退の攻防の中わずかなスキをついてわたしが技ありを1回とったが、その後なかなか勝負はつかない。お互いの気迫で肌がチリチリする。


 わたしもそこまで体力がある方ではないのでこれ以上長引くと不利になってしまうが、松田さんはスキがないうえに果敢に技を仕掛けてくるのでいなすだけでも大変だ。


 だけどこのまま体力切れで負けるなんてまっぴら。


 格上相手とはいえ一切ひるむことなく、それまで以上の闘気を全身に張り巡らせ相手の動きに意識を集中させる。周囲は静まり返り、この勝負の行く末を息をのんで見守っている。


 しばらくにらみ合いのような状況が続いていたが、一瞬のチャンスが巡ってきた。


 並の人間なら見落としてしまうようなわずかな重心移動。ほんのわずかだけ松田さんの重心が上がった。その瞬間を逃さず今の自分が発揮できる最大の速さで技を仕掛ける。


 さすがは現役警察官と言うべきか、簡単に投げさせてはくれなかったがなんとか技ありをもぎとることができた。さきほどの技ありとあわせて合わせ一本。どうにか勝った。


 肩で息をしながら一礼。あぁこれ明日絶対筋肉痛になるやつだ。そんなことを考えていると松田さんが握手を求めてきた。


「本当に強いな。驚いたよ。オリンピックに出れば史上最年少メダリストも狙えるんじゃないか」


 握手に応えながらわたしは疲れた顔で笑う。


「いや、ほんとギリギリですよ。もう体が限界です。それに大会にも出たことありませんし、メダルにもあんまり興味がないです」


「それだけの実力があるのにもったいないな。こんなに可愛い子が強いともなれば話題性も十分だろうに。人気者になれるぞ」


 悪戯っぽい笑顔でそんなことを言ってくるが興味がないものは仕方がないというもの。


「武道はわたしの本業じゃないので。どうせならわたしのやりたいことで人気者になりたいです」


「やりたいこと?」


「歌とダンスが好きで。聞くだけで幸せになれる、元気をもらえる、そんな歌を世間に届けたいんです」


「そうか。それじゃ仕方がないな。それだけの身体能力があればダンスもキレがありそうだ。デビューしたら是非俺にも教えてくれないか、応援するよ」


 笑顔の優しい人だ。きっと地域の人にも慕われているんだろうなと思う。


「ありがとうございます。がんばります」


 長時間にわたる攻防で体力は使い果たしてしまったので、今日の稽古はこれでおしまいということにしてもらう。


 出入り口で中に向かって一礼を行い、他の道場生からの盛大な拍手に見送られながら道場を後にした。

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