“わかりやすさ”に殺された読書の話
すけろくこぞう
カクヨムは(まだかろうじて)終わってない
終わったのは我々読者である。
そう思ったのは、ある日カップヌードルをすすっていた夜のこと。
すけろく小僧と申します。筆者はお絵描きが大好きで、本も大好きな生命体です。
何故、一行目にあることを思ったのか、説明しますね。
最近というかだいぶ前から題名で説明してる本多すぎじゃね?
これってなんだか読書っていうより、インスタントカップラーメンをその日の気分で選んでる感覚に近いです。共感してもらえますか?
してもらえなくてもいいや。
いち読者として話しますと、読む前から内容がわかるのはいいが、本と出会う楽しみは減ったなと思っております。
そして思ったのがそれを求めてきたのは我々読者であるという事実です。
ちょっと前にカクヨムは終わっているという記事や、カクヨムは終わりへ向かっているという創作論を読みました。
私は最近カクヨムに来たばかりなのでそれが事実かどうかはわかりません。
でも言えることはあります。
終わってるのは我々読者の方であると。
何度だって言います。
わかりやすさを求めてテンプレートばかり囃し立てたのは読者です。内容を読む前から理解できることに価値を見出したのは読者です。
いつの間にか本を通して世界を知るような深い繋がりを捨ててしまったのは私たちです。
昔は無名でも面白い作品であれば最後まで読み続けました。でも最近は評価されているものが評価の対象になった。
横を見てレビューを書くのです。自分で考えて感じて鑑賞する。そんな気概が減っています。
絵だってそうです。鑑賞をしようというより、バズ構文で流れてきた一瞬の快楽を求めてハートをクリックします。
どれだけ心の奥底に響いたか、その余韻ではありません。
私もいつの間にかそうなっていました。
面白いものを探そうとする読者、鑑賞者の気概を捨てていました。
カクヨムが変わったんじゃない。
読者が変わったのです。
書き殴りなので色々粗はあると思いますが、私の結論はこうです。そしてこれがエッセイなのか創作論なのかはわかりませんが、創作について語ったので創作論に入れさせていただきます。
あなたはどう思いますか?
よければ感想を聞かせてください。
ちなみに私はカップヌードル大好きです。
トムヤムクン味が好き。
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