第4話 荒波①

「本城、今日も頼んでいいか?」

「ああ、えっと」


 放課後のチャイムが鳴り響く中、以前のように巧に頼まれた潮は言葉を濁す。


 早く部室に行きたかったのだが、断ることに慣れていない潮は咄嗟に言葉が浮かばない。


「どうしたの?」

「あ、いや。ちょっと頼まれてて」


 どうしようか悩んでいる潮を庇うように、つかさが二人の間に割って入る。


「悪いけど、部活で忙しいから他の人にして」

「本城って部活入ってたっけ?」

「はい。先週から映像研究部に入りました」


 巧の疑問に、つかさの背中から顔を出した潮が答える。


「それなら仕方ないか」


 巧は困ったように頭をかく。


「こっちこそ、ごめんね」

「別にいいって。こっちこそ悪かった」


 巧が教室の入り口に固まる男子グループに声をかける。多分、先に言っといて欲しいと話しているのだろう。


 別に自分のせいではないのだが、毎回頼み事を引き受けていたため、少し申し訳なく感じる。


「ちゃんと断ったほうがいいよ。ああいうの」

「分かってはいるんだけど」


 困った子を見るように、つかさがため息を吐く。


「ちょっと寄るところがあるから、先に部室に行ってて」

「あ、はい。分かりました」


 潮の言葉を最後まで聞かずに、つかさが廊下を走っていく。

 相変わらず早いなと思いながら、潮もカバンを担いで教室を出る。


 見慣れてきた道順をたどって部室に着くと、つかさからもらった合鍵で扉を開ける。


 定位置になりつつある長机の真ん中に座り、カバンの中からノートパソコンを取り出す。いつもは家でしか使わないが、最近は毎日のように持ってきていた。


 開いた画面に映るのは『企画書03』と表示されたテキストデータ。


 真っ白な背景に記されたタイトルやコンセプト、あらすじなどの項目に目を通して、内容に誤りがないか確認する。


 本当は印刷したかったのだが、家のプリンターは未だに修理中なので出来ていない。情報処理室の印刷機は、あれ以来使うのが怖くて、使っていないのだ。


 潮が『企画書03』を確認し終えたのと同時に、つかさが部室に入ってくる。


「今日も逃げられた〜」


 潮の対面に座ったつかさが、疲れたように長机に突っ伏す。


「部員候補の人なんだっけ?」

「うん。MAが得意だから、捕まえたいんだけどね〜」


 ため息が漏れそうなつかさの言葉に、潮は驚く。


 『MA(マルチオーディオ)』とは、編集した映像にBGMや効果音を付け加える役割のことで、商業映画では必須の役割だ。


「渡辺さんがMAをやるんだと思ってました」

「あたしでもできないことはないんだけど、やっぱり音楽の得意な人がやった方がいいからね」


 ノートパソコンからホワイトボードに、潮の視線が移る。

 以前はロケハンについて書かれていたが、今は映研での役割について書かれていた。


『本條潮 PM、企画、脚本』

『渡辺つかさ 編集、監督、カメラマン』


「潮君がPMをしてくれてマジで助かる。私はスケジュール管理は苦手だから」

「本当は違う人にやって欲しいんですけど、今は僕たちしかいないので」


 スケジュールを管理する『PM』を映像制作をする人が担当すると、クオリティを重視してスケジュールが遅れることが多い。そのため、制作とは切り離された人間が担当するのが基本だ。


 手伝わされた映像制作の現場で、伊吹とPMの人が何度も言い合っているのを見ていた潮は、そのことがよく分かっていた。


「とりあえず、企画会議始めよっか」


 つかさが背筋を伸ばして座り直す。餌を前にした動物のように、黒い目を輝かせていた。


 一つ深呼吸をした後、潮がつかさの前にパソコンを移動させる。


 つかさが画面を覗き込んでいるのを見て、手持ち無沙汰になった潮は凝り固まった体をほぐす。


 この企画会議(仮)も、二週間で既に十を超えている。

 企画書があった方がお互いイメージを共有しやすいと思い、脚本を担当する潮が作っていた。


 きちんとしたフォーマットで作りたかったが、脚本を書いていることを伊吹に知られたくないので、仕方なくインターネットで調べて試行錯誤をしている。


 潮が作った企画書をつかさに見せて、了承をもらえたら脚本を書き始める。そういうスケジュールだが、今までつかさが頷いてくれたことは一度もない。


 今までの企画書は貯めていたアイデアを組み合わせて作っていたのだが、『企画書03』は潮が応募する予定だったコンクールの脚本を元にしている。


 今回は特に気合を入れているので、少しだけ自信があった。


「今度はどうですか?」


 それでも長い沈黙に耐えきれず、潮が思わず尋ねる。

 集中している時は反応がないと思っていたが、どうやら読み終えたらしい。

 画面から顔を上げたつかさが、うーんと唸りながら腕を組む。


「なんか、あんまりイメージできないんだよね。面白い脚本とかなら、自然と頭の中に浮かぶんだけど」


 今回は企画書だが、つかさの独特な感覚では脚本と同じらしい。


「じゃあ、今回も」

「ボツ、かな」


 戻ってきたパソコンを閉じて、潮が両手で顔を覆う。

 コンクールに落選した時でも落ち込むのに、目の前で企画書を三回も没にされると、余計に心が沈む。


「やっぱり、僕じゃない方が……」

「そんなことないよ。潮くんの脚本しかないって」


 つかさに優しく励まされるが、正直自信がない。


 この二週間。企画も進まなければ、制作メンバーも集まってはいない。

 つかさが作ってくれた部活勧誘のチラシも掲示板に貼り付けてはいるが、部室には誰も訪れていなかった。


「やっぱり、あと三ヶ月で映像を作るなんて無理だよ」


 潮が力なく項垂れる。


 本来、映像制作には––––映像の長さにもよるのだが––––半年以上は必要なのだ。それを、制作メンバーを集めつつ、三ヶ月で行わなければならない。

 普通なら、あり得ないスケジュールの短さだ。


「夏休みまでに撮影を始めないと間に合わないから、六月には絵コンテを作らないといけないし……」


 これからやることの多さに、潮は頭を抱えてしまう。


「潮くんって、映像作りに詳しいんだね」

「兄さんが学生の時に映像制作をしてて、よく手伝ってたので」


 強制的ではあるが。


「そうなんだ。どんな作品なの?」

「ビターエンドっていうのかな。後味が悪い終わり方の作品が多いかな」

「『黒井伊吹』監督の作品みたいだね」

「……たしかに、似てるかもね」


 その黒井伊吹が自分の兄だとは言えず、潮が相槌を打つ。

 別に話してもいいのだが、兄との関係を聞かれても説明しづらいので、話せないまま結果的に隠してしまっていた。


「まあ、嘆いててもしょうがないし、一緒に頑張ろう」


 つかさの天使のような笑顔に目を奪われつつも、潮の心は全く救われなかった。




 自室でパソコンと睨み合いながら、潮の手は完全に止まっていた。


 画面に表示された『企画書04』は真っ白で、一時間以上もこの状態だ。

 『企画書03』をつかさに見せてから数日。潮は次の企画書に取り組んでいるが、全く進んでいない。


 企画書を初めて書くことの難しさもあるが、それ以上に面白いと思えるアイデアが湧かなくなっている。

 今までは、自分だけが分かるプロットを元に脚本を書いていたが、つかさという監督がいる以上、自分だけでは進まないもどかしさがある。


 つかさには面白いと言われていたので、自分の脚本の面白さは伝わるものだと思い込んでいたが、やはりそう簡単にはいかない。

 伊吹の映像制作を何度か手伝わされて理解していたつもりだったが、企画の段階でここまで苦戦するとは思わなかった。改めて、映像制作の難しさを実感する。


 企画が行き詰まっているせいか、集中力が途切れて思考が脱線している気がする。


 このまま座り続けても思い浮かばないので、潮はパソコンを閉じると、部屋を出て一階に降りる。


 誰もいないリビングを通りすぎ、キッチンの冷蔵庫からお茶を取り出す。

 いつもなら両親とご飯を食べている時間だが、今日は二人とも仕事で遅くなるらしく、家には潮一人だけだ。


 伊吹はどこかに外出しているので、少しでも企画書を進めなければならないのに。


 コップに入れたお茶で、喉を潤す。熱がこもっていた頭がすっと冷えてくる。アイデアが湧かない時は、パソコンに向かうだけでは出てこないと経験則で分かっていた。


 潮は鍵を閉めて家を出ると、コンビニに向かう。


 散歩をしていると脳が活性化してアイデアが浮かびやすいと、漫画家のインタビュー記事で読んでから、脚本に行き詰まった時にはよく外出している。


 街灯に導かれるように、夜空の道を歩いていく。

 見慣れているはずの道でも、昼間とは違い、辺りは静まり返っている。遠くから、車が走る音が聞こえてきた。


 脚本に活かせるかもしれない発見をスマホにメモしつつ、しばらくするとコンビニが見えてくる。


 自動ドアをくぐって店内に入ると、お菓子コーナーで立ち止まった。


(そういえば、チョコレートがなかったかも)


 冷蔵庫の中身をぼんやりと思い出しながら、潮はチョコレートの大容量パックを手に取る。


「あれ、潮じゃん」


 レジの最後列に並んだ潮が振り返る。

 黒いジャージ姿の修が、サラダチキンを手に立っていた。


「ジムの帰り?」

「おう。タンパク質を取りに」


 後ろに並んだ修に、潮が苦笑いする。

 激しい筋トレをしているはずなのに、疲れているようには全く見えない。潮なら、筋肉痛で確実に倒れている。


 先に買った潮がコンビニの外で待っていると、修が合流する。お互いに特に決めたわけではないが、自然と並んで来た道を戻っていく。


「そういえば、最近どうなんだよ?」

「どうって?」

「部活だよ。部活」


 買ったばかりのサラダチキンを食べながら、修の鋭い目線が潮に向けられる。


「最近、付き合い悪いだろ? 昼休みもほとんど教室にいないし」

「ごめんね。色々と忙しくて」

「別にいいって。それだけ、お前が楽しんでるってことだろ」

「……楽しんでるって、僕が?」


 予想外の言葉に、潮が目を見開く。


「最近のお前、めっちゃイキイキしてるぜ」


 食べ終えた修が、不意に夜空を見上げる。春先なのに、夜空に散った星々の輝きがくっきりと見えた。


(僕は、楽しいんだろうか?)


 修の言葉に、潮は疑問が浮かぶ。


 一刻も早く企画書を書かなればならないと焦っているのに、その状況を楽しめる余裕なんてあるわけがない。

 実際、今もどんな物語にすればいいか分からず、頭の中はそれでいっぱいだ。

 正直、修に言われても、全く実感が湧いていない。


「他の部員って、どんな奴なんだ?」


 修の質問で、沈んでいた潮の意識が浮上する。


 自分以外の部員は一人しかいないので、必然的にサイドポニーの彼女が思い浮かぶ。


「すごく強引な人かな」

「また無茶な頼み事とか、されてんじゃねえだろうな?」

「そんなことないよ。一応は」


 修の眼力に気圧されつつ、潮は苦笑する。


 人によっては、つかさに無茶な頼み事をされてると思われても仕方がない。三ヶ月で映像を作らなければならないと知った時は、絶対に無理だと思っていた。


 それでも、潮自身は決めたのだ。つかさと共に映像制作をすることに。


「よく分からないところもあるけど、すごくいい人なんだと思う」


 巧からの頼み事を断ってくれたことを思い出し、潮が小さく笑う。

 その様子を見ていた修が、怪しそうに目を細める。


「まさか、女子なのか?」

「え、うん。そうだけど」

「……もしかして好きなんじゃねえの? その子」


 修の言葉に、潮は首が取れそうなほど全力で横に振る。


「そ、そんなわけないでしょ! ただの部員同士だよ‼︎」

「絶対そうだって。ちなみに、写真とかねえの?」

「ないよ。友達じゃないんだから」

「じゃあ、芸能人だと誰に似てる?」

「……」


 野次馬根性丸出しの質問に、潮はうんざりして押し黙る。


「そんな怒るなよ。冗談だって」


 黙々と歩く潮を怒っていると勘違いした修が、媚びるように声を出す。

 それでも無視し続ける潮に、修が困ったように頭をかく。

 会話がなくなり、二人の間に気まずい空気が流れ始めたタイミングで、潮の家の前にたどりつく。


「それじゃあ、またな」

「……そういえば、言い忘れてた」

「なんだよ?」

「やっぱり、よく考えてから行動したほうがいいと思うよ。僕は」


 言葉の意味がわからず首を傾げる修を置いて、潮が玄関の扉を閉める。


 ––––瞬間、酒臭い匂いが漂ってきた。


 リビングを覗くと、誰の姿もない。匂いの元は二階のようだ。


 嫌な予感がしながらも、潮は自分の部屋へと上がる。

 階段を上がるたびに香ってくる強烈なお酒の匂いに、思わず鼻を抑える。


 意を決して自分の部屋の扉を開けると、顔を真っ赤に染めた伊吹がベッドに座り込んでいた。


「おう、兄貴が帰ってきたぞ」


 だいぶ酔っ払っているようで、伊吹の焦点は合っていない。

 隣の部屋に移動して欲しいと言いたかったが、この状態では立つのも難しそうだ。


「お前さ、しばらく暇か?」


 急いで窓を開けて換気した潮が振り返る。


「なんで?」

「映像を作り始めたからよ、お前にも手伝わせてやろうと思ってよ」


 冗談か本気かわからず、潮は答えるのを躊躇う。


 もちろんそんな余裕はないのだが、正直に言ったところで、諦めてくれるかは分からない。


 潮が断るための言い訳を考えている間に、伊吹がベットで横になる。すぐに目を閉じたと思えば、寝息を立て始める。


 ベッドから伊吹を移動させることを諦めてパソコンを持つと、潮は逃げるように部屋を出た。

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