模倣報告 ― 記録者の影
編纂:京都民俗学研究会 記録管理室
整理日:令和六年九月二十三日
1. 国立国会図書館デジタルアーカイブ・登録異常報告(抄)
件名:個人著者「三度哲夫」名義の新規論文の無承認登録について
作成:アーカイブ運用課 技術係
日付:令和六年九月八日
概要:
九月七日 23:41、当館の電子蔵書管理システムに、著者「三度 哲夫」名義で論文ファイル(PDF)が自動登録された。
タイトルは『文化の内臓に関する覚書 ― 江町観察報告補遺』。
誌名・巻号・発行所は空欄。ファイル署名は「bio-sig:SD-59-6hz」。
技術的所見:
・登録経路は外部APIではなく、館内端末の権限で行われたログが残存。
・該当時間帯、館内職員の入退室ログに該当なし。
・ファイルのメタデータに“脈動”を模した時系列埋め込みがある(周波数 5.9〜6.0Hz)。
・本文は学術論文形式(要旨・序・方法・結果・考察・参考文献)だが、参考文献のうち3件が当館蔵書に存在しない。
付記:
ファイル本文の第一行は、当館所蔵の三度哲夫『民俗の輪郭』(平成十年刊)冒頭文の文体に酷似。
ただし語彙配置・句読点間のリズムが不自然に均一。
“模倣の可能性あり”。
ファイルは後に研究会へ写しが送られ、三度教授の助手・森下ゆかりが筆致鑑定を行った。
2. 筆致・文体比較報告(研究会・森下ゆかり)
対象:
(A) 『民俗の輪郭』(三度哲夫、平成十年)
(B) 『文化の内臓に関する覚書 ― 江町観察報告補遺』(無承認登録PDF)
比較指標:
・句読点間隔の平均(mora単位)
・語頭に現れる「しかし」「ただし」の出現位置
・段落末尾での言い切り傾向(体言止め率)
・“呼吸”に関する語の分布
結果:
(B)の句読点間隔はほぼ一定(平均 17.8字、σ=0.3)。
自然言語としては異常に揃いすぎている。
また“呼吸”関連語が各段落の第三文に必ず一回現れる規則性。
体言止め率は(A)が17%、(B)が48%。
判定:文体の“音”は三度に酷似するが、“揺らぎ”がない。
これは作者が呼吸していない文章、すなわち呼吸を模倣した文章である。
森下は報告末尾で短く付記した。
「私の下書きも、最近は句読点の間が揃い始めた。
眠る前に、見えない誰かの息が、文の長さを決める。」
3. 地方新聞・SNSの噂(抜粋整理)
3-1 鯖田日報(令和六年九月十二日)
《“教授が帰った” 広がる噂 江町で夜の見回り》
江町の夜間に、年配男性がノートと懐中電灯を手に神社裏を歩く姿が目撃された。
一部住民は「三度先生や」と証言するが、顔を確認した者はいない。
市は安全上の理由から夜間巡回を強化。
記者が現場で撮影した写真には、動く紙片のような白い影が写った。
だが現像後、影は消えていた。
3-2 地域掲示板「さばたBBS」ログ
09/12 01:04 ID:z33h
神社裏に“黒いメモ”落ちてた。拾ったらあったかい。
文章は「記録を続けろ」。だれの字かはわからん。
09/12 01:06 ID:h1eM
それ多分“呼吸紙”。触ると自分の文体になるぞ。
09/12 01:10 ID:z33h
いや、もうなってた。俺、句読点こんなに使わんのに。
3-3 X(旧Twitter)断片
9/14
「江町の空気、文章みたい。吸うと、文になる。」
「夜の神社、土がページめくる音する(ガチ)」
「三度教授の声、たぶん風。」
4. 文化庁通達(機密扱い)
件名:江町関連記録物の公的配信一時停止について
発信:文化庁文化資源情報室
宛先:国立国会図書館・県教育委員会・市文化振興課・研究会
日付:令和六年九月十五日
背景:
無承認の自己生成文書(いわゆる“自動筆記文書”)が公的アーカイブに混入。
著作権者不明・責任主体不在・内容不確定のため、
当面、江町関連の新規デジタル資料の配信を停止する。
付記:
“三度哲夫”名義資料の真正性審査が終了するまで、
著者名を含む検索結果の一般公開は見合わせる。
なお、当該地域の資料群には**低周波ノイズ(約6Hz)**が一様に混入。
職員の健康被害(耳鳴り・吐き気)が数件報告された。
作業時は休憩を十分に取ること。
この通達により、江町に関する資料は“沈黙”の段階に入る。
だが沈黙の間隙を縫って、記録は別の経路から増殖した。
5. 研究会・内部メールログ(抜粋)
送信:記録管理室・林 → 全研究員
件名:夜間のノート運用について
ノートの“自動筆記”が継続。
23:00〜02:00の間、ページが自動的に開き、
「――書け」という走り書きが現れる。
直後、空白に論述の骨子が転写されるが、
それは三度教授の論文構造に酷似。
問題点:
書式は学術様式だが、引用文献が“出典不在”。
参照番号を辿ると、まだ存在しない文献に接続される。
例:「森下ゆかり『文化の体温』来春刊」など。
以上、注意喚起。
6. 森下ゆかり・追跡記録ノート(抄)
九月十六日。
私のメモの句読点の間隔が、また揃った。
文章を閉じようとするたび、「しかし」で続けさせられる。
私は三度先生の文体を、模倣され、同時に模倣している。
九月十八日。
国会図書館の“無承認論文”を読み直す。
「方法」節は江町での温度・湿度・周波数の測定記録。
数値の揺らぎがほとんどない。
研究は現場に依存するのに、現場が文法になっている。
九月十九日。
夜、資料室の扉の向こうからページをめくる音。
扉を開けると、ノートの表紙に私の署名。
日付は明日。
九月二十一日。
“明日”になった。
私は署名していないのに、署名はあった。
筆跡は、昨日の私。
九月二十二日。
机の上に手紙が置かれていた。
差出人は「三度哲夫」。
7. 匿名書簡(差出人表記:三度 哲夫)
宛:森下ゆかり
消印なし/紙質異常
ゆかりへ。
わたしはまだ観察している。
記録は呼吸を続けている。
呼吸は行を整え、行は拍動を刻む。
拍動は文を生み、文は肉に似る。
ゆかり、きみの文はもう温かい。
それでいい。
いまは、書いてはいけないことを、書け。
いまは、読んではいけないことを、読め。
いまは、残してはいけないものを、残せ。
それが、文化の仕事だ。
(署名)三度 哲夫
手紙は封筒に入っておらず、直接机上に置かれていた。
紙はわずかに弾力があり、指で押すと戻る。
温度計で表面温度を測ると36.9℃。
繊維断面の顕微鏡観察で、角質層に似た層構造が確認された。
研究会は生体由来の可能性を否定しきれず、文化庁へ写しを提出。
森下は短く記した。
「紙が、脈を打つときにだけ、行が揃う。」
8. 国立国会図書館・再調査メモ(技術係)
無承認論文(B)のPDFは、その後二度、内容が“更新”された。
アーカイブ上では同一ファイルのまま、本文の語順が微細に変動。
変化は夜間(23時〜2時)に限定。
ハッシュ値の再計算では、心拍波形に近似した揺らぎが検出される。
これは従来の改ざん検出アルゴリズムで説明不能。
技術係の個人的所感:
「文章が、生きているように感じた。
不気味だが、美しかった。」
9. 鯖田市文化振興課・周知文(内部)
件名:江町関連の噂について
住民から「教授が戻った」「神社裏で書いている」との通報多数。
現場では白い紙片の飛散を確認。
紙片は湿っており、触れると文に変わる。
市としては「観光向けの装飾ではない」と説明。
なお、紙片の一部に「主部」の二字が滲み出る事例あり。
住民への聞き取りでは、誰もその二字を声に出さない。
口に出そうとすると、言い直して「肉羅」と言う。
職員への注意:
紙片は素手で触れないこと。
触れた文体が固定する恐れがある。
10. 研究会・最終覚書(暫定)
いま起こっているのは、模倣である。
だが、一般的な意味での模倣(誰かが誰かを真似る)ではない。
文化が人を模倣している。
その媒体は紙・土・声・データ――すべてだ。
三度の名義で現れる論文、森下の文体の均一化、アーカイブの自発変更。
これらは一連の現象であり、すべては6Hzという拍動で同期している。
結論は出せない。
結論を出す言葉は、ここでは食われるからだ。
ただ、私たちは確認する。
――“記録の側”が、こちらを見ている。
11. 結語に代えて(編纂者注)
この章を編んでいる最中、編集端末の画面に次の文が出現した。
入力履歴には私のキー操作の記録がある。
だが、私は打っていない。
「書き手はつねに遅れて到着する。
到着したとき、そこはもう書かれている。」
私はその文を削除しなかった。
それが最も安全で、最も正確だと判断したからである。
削除された文は、往々にして、音になって戻ってくる。
江町の土がそうであるように。
アーカイブのページがそうであるように。
紙の体温がそうであるように。
この覚書を閉じる直前、資料室の扉の向こうから微かな音がした。
ページをめくる音に似ていたが、より柔らかかった。
呼吸と、紙擦れのあいだ。
耳を澄ますと、そこに名前が混じっていた。
「――まだ、らざ」
私は扉を開けなかった。
開けてしまえば、書くことになる。
開けないまま、残すことに決めた。
この一行を、ここに。
(了)
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