No.14467

BOA-ヴォア

昭和四十七年度 民俗文化財記録調査報告

件名:福井県鯖田市江町における地域信仰・民俗構造調査

記録者:福井県文化財保護委員会 臨時調査員 まだらざ 良次

提出日:昭和四十七年十二月一日


第1項 調査の目的


本調査は、福井県鯖田市江町地区における伝統的信仰形態および産業文化(特に漆工芸との関連)について、保存状況を確認し、文化的変容を記録することを目的とする。

同地区は近年、急速な経済的発展を遂げ、所得水準および進学率が県内平均を著しく上回っている。

この特異な社会的上昇が、戦後復興期以降に形成された新たな共同体信仰や、地域産業における儀礼的慣習と関連している可能性が指摘されている。


第2項 調査方法


(1)現地踏査:昭和四十七年八月一日〜八日

(2)聞き取り調査:旧家十六軒、工房主五名、寺院住職一名、神社宮司一名

(3)資料収集:郷土誌『江町史料』(昭和三十二年版)、地域寺院所蔵過去帳、漆工房帳簿類

(4)補助調査員:文化財課職員二名(匿名)


なお、江町地区は地理的に外界との往来が少なく、記録の散逸が顕著であった。住民の語りには相互の矛盾が多く、口承資料の信憑性には留意を要する。


第3項 概要


江町は古来より漆器の塗り工程で知られる山間の村である。

だが、調査の過程で複数の住民から「肉羅(にくら)」と呼ばれる行事についての言及があった。

この語の由来は不明であり、漆工芸の一工程、あるいは供物儀礼の俗称と考えられるが、

いずれの資料にも公式な記述は見られない。


特筆すべきは、村内において同一の家紋が異常に多く確認された点である。

その文様は円形の中央を縦に裂いた形で、「裂け目」あるいは「束ね肉」に類する意匠とされる。

古参の住民はこれを「肉羅印」と呼び、由来を問うと多くが沈黙した。


第4項 聞き取り内容(抜粋)


「昔ぁ“肉羅”っちゅうもんがあった。人の肉をまぜるんやない。

けど、人の“形見”をこめて作るもんやった。――今は誰も作らん。」

 ――江町旧家・岡野三郎(当時八十四歳)


「肉羅は見たらあかんて婆ちゃんが言ってた。

でも、見た人は出世した。あれは神様やのうて、人の手ぇやった。」

 ――工房見習い・匿名(二十歳)


「供物はもう終わった。あとは祀るばっかりや。」

 ――寺院住職・梶浦賢乗(六十七歳)


以上の証言から、肉羅は「供物」「祀る」「人の手」という三つの概念と強く結びついている。

また、儀式的行為としての供物制作が、個人の繁栄や家の出世と関連づけられて語られる点が注目される。


第5項 現地観察


調査期間中、供物行為そのものを確認することはできなかったが、夜間に山裾の旧工房から焦げた臭気が漂い、翌朝その周辺地面に薄い油膜状の跡を確認した。

現地撮影を行ったが、当該箇所の写真は後日現像時に感光し、判別不能となった。


また、旧村の複数の工房跡において、漆塗りの道具に混じり、明らかに人体の骨格形状を模した木型が発見された。

これらは職人によって「守り木」と呼ばれ、災厄除けとして漆を重ね塗りしたものと説明されたが、

一部には「供養木」と墨書されたものもあった。


第6項 社会的特異性


江町の人口構成・職業分布の分析によれば、成人男性の県庁・役場就職率は県平均の三倍、

女性の高等教育進学率は二倍である。

この上昇は単なる経済成長では説明が難しく、

村人たちが“肉羅を見た家は栄える”と語る言い伝えと照応している。

調査中も「○○家は肉羅の家」「見た者の子は賢い」といった言い回しが複数確認された。


民俗学的には、これは信仰的象徴を媒介とした“社会的選抜”の形式と考えられる。

「肉羅」は共同体の繁栄願望を具現化した象徴的装置であり、

実体の有無よりも、語りの継続そのものが文化的効力を持つ可能性がある。


第7項 考察


「肉羅」は物理的存在というより、“再生”と“供養”を媒介する概念であると考えられる。

人の労働・奉納・祈願の総体が象徴的に「肉」として表現されたとすれば、

その語が戦後十年以内に形成されたことは、

戦争によって断絶した「身体」の記憶を再構築するための文化的反射とも読み取れる。


なお、同時期、県内では如月工務店による戦災復興事業が複数展開されており、

同社の一部施設において「人体再生」「生体補修」などの記述が残る。

両者の関連を示す明確な資料はないが、

住民の語る“人の形見を混ぜる”という表現が、技術的事象と宗教的象徴の混合である可能性は否定できない。


第8項 結語(暫定)


本調査では「主部肉良(しゅぶにくら)」と称される実体の確認には至らなかった。

しかし、同名の語が昭和三十年代後半以降に江町周辺で出現し、

“見た者が出世する”という口承を伴って流布している点は、

地域文化の構造を理解する上で重要である。


以上の事実から、「肉羅」および「主部肉良」に関する信仰は、

具体的な物質を必要としない“文化的記憶体”として、

今なお江町の社会機能の一端を担っていると結論づける。


(印)

福井県文化財保護委員会 臨時調査員 まだらざ 良次


付記(個人手記抜粋)


八月六日夜。村の女たちが山に入った。灯りを消して見ていたが、何も見えなかった。

ただ、風の中で土が鳴るような音がした。翌朝、工房の裏に赤い布が干されていた。

手拭いのようでいて、血に似た色だった。


「肉羅を見たら出世する」と彼らは言う。

出世とは何を指すのか。金か、命か、それとも別の形か。

私はまだ、その理由を知らない。

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