第28話 優菜の隣
「奏汰くーん、元気ー?」
控え室で待っていると、明るい麻耶さんの声が聞こえた。
スマホに向けていた視線を上げると、彼女はにっこりと微笑んでいた。
「元気ですよ」
「その返事からはそんな感じに見えないっすけど? もしかして、緊張で苦しい苦しいなってる感じっすか?」
「まあ、緊張はありますけど……ってか、いつもよりテンション高いですね。何かいいことでもあったんですか?」
言い方は悪いかもしれないが、麻耶さんは普段から能天気で明るい。
それが今日は──というより、ここに来た彼女はいつも以上に眩しかった。
「ん、まあね。これから奏汰くんをイジイジできるのが楽しみで楽しみで」
「イジイジって……俺、おもちゃじゃないですよ?」
「わかってるよ。あっ、もしかして、イジイジでエッチなこと考えたっすか?」
「なっ!」
「変なこと想像したら、優菜さんに告げ口するっすよー。はい、ここ座って」
鏡の前に案内される。
待っていると、麻耶さんは俺のメイクを始める。
「やっぱテンション高いですね」
「だって、メイクアップアーティストの一番楽しい時間はこの時っすから」
「メイクアップアーティスト?」
「こうやって、モデルの化粧をする人のこと。自分の将来の夢っすね」
「へえ、そうだったんですね」
確かに優菜さんのメイクを直すのはいつも麻耶さんだ。
優菜さんは『自分でするより麻耶に任せた方がいい感じなの』と言うし、健吾さんも『まやちゃんに任せておけば大丈夫』といつも言うぐらい、実力は凄いらしい。
ただいつも適当な感じだから。
こんな風に自分の夢だとはっきり言うとは思ってなかった。
「だから健吾さんのとこで働いてるんですか?」
「そんな感じっすね。給料も少ないけど貰えて、そこそこ経験もできる。大学生のバイトにしては優良っすよ」
「そうなんですね」
「それに、なんていったって優菜さんがいるっすから」
「優菜さん?」
鏡越しに見ると、俺のメイクをする麻耶さんは子供のような明るい笑顔を浮かべていた。
「あんな一流の素材を触らせてもらえるメイクアップアーティストなんてそういないっすから」
「そんなになんですね……。ずっと一緒にいたから、そう言われるのなんか不思議な感じです」
もちろん綺麗だとは思う。
ただそこまで言われると少しだけ不思議な気分になる。
「奏汰くんはこの奇跡に慣れすぎっす。あんな美人に子供の頃から世話され、しかも今なんか同棲までして。これ、めちゃくちゃ凄いことなんすからね?」
確かにそうだと思った。
「そんな美女の隣にこれから立つんすよ。どお、ドキドキしてるっすか?」
「まあ、はい」
「もう、冷めてるっすねー。まあ、今はそのぐらいでもいいの方がいいかもっすね。いざ舞台に立ったらこの意味を自覚するっすから。はい、次は衣装! 着替えてきてください!」
麻耶さんに背中を押されて更衣室へ。
普段なら絶対に着ないような衣服だったから最初は着るのに手間取ったけど、健吾さんの事務所で何度か似たような服を着たから一人でも着るのには問題なかった。
「うん、いいっすね。サイズも問題ないっすか?」
「はい、大丈夫です」
「よし、じゃあ行こっか」
服を変えるだけ。
メイクをするだけ。
それだけで世界が少しだけ変わる。
いつもの俺とは違う何かになったような、そんな感じだ。
ただ、他のオーディション参加者のように関係者の視線を奪うほどの輝きは俺にはない。
たったそれだけで、他の参加者よりも劣っている──優菜さんの隣には相応しくないと言われているような気がした。
「そういえば奏汰くん、言ってたっすよね。自分のテンションがずっと高いって」
「え? ああ、はい」
「実はね、これから一度も見たことのない優菜さんが見れるのが楽しみでテンション高かったんすよ」
「それはどういう……」
スタジオ前。
隣を歩く麻耶さんが言う。
「ここまでの優菜さん、いつもの優菜さんじゃなくって正直なところ微妙な感じだったんすよ」
「そう、なんですか……? 体調が悪いとか?」
「体調は万全っす。ただまあ、表情も硬くって、普段の良さである自然体の表情が一切ない感じ。どんなにメイクをしても直せなかったっす」
「初めての企業での撮影だったから緊張してとかですかね?」
「それもあるし、男性と一緒に撮影するのも初めてっすからね。初めて尽くし、あの優菜さんも緊張するみたいっす」
だけど、と麻耶さんは俺を見る。
「奏汰くんが隣に立ったら元に──いや、もっと輝くと思うんすよ」
その言葉を聞いて、自分を必要としてくれていることに嬉しいという気持ちと悲しい気持ちが混ざり合う。
──引き立て役、心の安定剤。
その役目がいい意味ではないと思っているからだ。
確かに、ここでの主役は優菜さんだ。
そして俺は、誰も期待していないオーディション参加者だ。
「これから行くところではきっと、奏汰くんのことをちゃんと見てくれない人ばっかりかもしれないっす」
「……はい」
「だけど、優菜さんは誰よりも奏汰くんのことを見てくれてると思うっすよ」
「優菜さんが?」
「そうっす。これまでのオーディション参加者は優菜さんの輝きに脅えて控えめになるか、自分も自分もって前に出て無意識に邪魔をするかしかだけだったっす。だけど奏汰くんは、この二つのどっちでもない……優菜さんみたいなモデルを引き立てるタイプ、奏汰くんにしかできない役目だと思うんすよ」
同じ引き立て役という言葉だが、そういう言い方をされるとポジティブな意味に変わった気がした。
「優菜さんの魅力を引き立てれば、きっと、誰もが目を向けようとしなかった隣に立つ奏汰くんにもスポットライトが当たると思うんすよ」
そして、スタジオ前で背中を押された。
「優菜さんの隣に立つ男には誰が相応しいか見せつけてこい、少年!」
本番前になぜ気分を落とすのか、こっちは初めてのオーディションに初めてのモデルの仕事なんだ、もう少し気分良く送り出してほしい。
そんなことを思ったが、振り返って目にした麻耶さんの表情は、俺に期待しているのが伝わるほどの明るい表情だったので、軽口を叩く気も失せた。
誰も期待していないことをはっきり自覚させられたのも、結果として振り切って挑めるから良かったのかもしれない。
もう少し気を使ってとは思うけど。
「はい、いってきます!」
俺のことなんて誰も見ていない。
だって俺は素人で、少し前まで普通の中学生だったんだ。
優菜さんみたいに生まれ持った才能なんてものはない。
だけど、優菜さんを笑顔にさせるなら俺が他の誰よりも一番相応しいと思っている。
だから胸を張って歩く。
それに優菜さんだけでなく麻耶さんも、きっと健吾さんも応援してくれているとわかった。
俺がこの場に挑んだ目的を再認識して、優菜さんの待つスタジオへ足を踏み入れた。
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