第九話「王国農業顧問と友の誓い」
俺が王国農業顧問に就任しアルフォンス王太子との協力体制が固まった矢先、王国を揺るがす未曾有の事態が発生した。
隣国であるカルヴァニア王国で大規模な飢饉が起こったのだ。
カルヴァニアは山がちで土地が痩せており、元々食糧自給率が低い国だった。そこへ数十年ぶりという異常気象が襲いかかった。長く続いた日照りとそれに続く長雨。主要な穀物は壊滅的な被害を受け、国中が深刻な食糧不足に陥ったという。
その影響は俺たちの国にも及んだ。
国境には飢えから逃れてきたカルヴァニアの難民たちが、黒い波のように押し寄せてきたのだ。彼らは着の身着のままで痩せこけ、その目には絶望の色だけが浮かんでいた。
「なんということだ……」
国境地帯を視察した俺は、その悲惨な光景に言葉を失った。幼い子供が力なく母親の胸で泣いている。老人たちは道端に座り込みただ空を仰いでいる。これはもはや他人事ではなかった。
俺はすぐに王都に戻りアルフォンス王太子に謁見した。
「殿下、グランディス領に備蓄してある食料を難民の援助に回すべきです! このままでは彼らは飢え死にしてしまいます!」
グランディス領は俺の指導のもと豊作が続いていた。有事に備え巨大な倉庫には大量の穀物や保存食が備蓄されている。それを放出すべきだと俺は強く進言した。
しかし俺の提案に保守派の貴族たちが猛反対した。
「馬鹿を申すな! なぜ我らが敵国になるやもしれぬカルヴァニアの民を助けねばならんのだ!」
「我が国の備蓄を減らすなど愚の骨頂! もし我が国で何かあった時、どう責任を取るつもりだ!」
彼らの言い分にも一理ないわけではなかった。国家の安全保障を考えれば他国への大規模な食料援助は大きなリスクを伴う。だが目の前で飢えて死んでいく人々を見捨てることなど俺にはできなかった。
「彼らは敵国の民である前に同じ人間です! 飢えに苦しむ人々を見捨てるのは人の道に反します!」
俺は会議の席で声を張り上げたが、議論は平行線を辿るばかりだった。
会議の後、アルフォンス殿下は沈痛な面持ちで俺に語った。
「君の言う通りだ、ダイチ殿。私も彼らを救いたい。しかし貴族たちの反対を押し切って援助を強行すれば、国内に深刻な亀裂を生むことになる。彼らはこれを機に私を失脚させようとすら考えているだろう」
政治とはなんと厄介なものか。人道的見地と国益や政局が複雑に絡み合い、正しい判断を阻む。
だがアルフォンス殿下はただ手をこまねいているだけの男ではなかった。
「……表立って動けないのなら裏で動くまでだ」
彼は決意を秘めた目で俺に言った。
その夜、俺たちは極秘に計画を練った。
マルクスが彼の持つ商人ネットワークを駆使し目立たない輸送ルートを確保する。俺はグランディス領に戻り、表向きは「備蓄倉庫の整理」という名目で大量の食料を馬車に積み込んだ。リリアも事情を察し、保存性の高い乾パンやスープの素の準備を領民たちと共にてきぱきと進めてくれた。
「師匠、気をつけてくださいね。人助けは良いことですから」
彼女の言葉が俺の心を温かくした。
数日後、俺たちの食料を積んだ輸送部隊は夜陰に紛れてグランディス領を出発した。アルフォンス殿下が手配してくれた信頼できる兵士たちが護衛についている。俺もその一団に加わっていた。
国境近くの森で俺たちは難民の代表者たちと接触した。
大量の食料を前に彼らは涙を流して感謝した。
「あ、ありがとうございます……! 神よ……!」
俺たちは彼らに食料を分け与えるだけでなく、ジャガイモの種芋や簡単な栽培方法を記した手引書も渡した。
「この芋はあなたたちの土地でも育つはずです。一時の食料だけでなく、自分たちの手で未来を作るための種も受け取ってください」
魚を与えるだけでなく魚の釣り方を教える。それが俺なりの支援の形だった。
秘密裏の食料輸送はその後も数回にわたって行われた。俺たちの活動によって多くのカルヴァニアの難民が命を救われた。それは危険な賭けだったが、俺とアルフォンス殿下の間には「正しいことをした」という確かな手応えと、より一層強い信頼関係が生まれていた。
しかしこの人道支援が新たな、そしてより大きな危機を呼び寄せることになる。
飢えを満たしたカルヴァニアの王侯貴族たちは次に、より強欲な野心を剥き出しにしたのだ。彼らは我々の善意を逆手に取り、その矛先を『王国のパンかご』――グランディス領そのものへと向けてきたのだった。
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