誤解

◇ 喧嘩


「すげえな……」


 猫カフェにいった写真にいいねが1kか──。

 花耶かやさんのタイムラインを眺めながら、俺は舌を巻いた。

 これが社交性の違いか。

 俺なんて、アイコン設定すらしていない。

 インスタなんてほぼ使ってなかったからな。今やほとんど花耶さんとの連絡手段と化している。

 大学2年生。

 流行のSNSも使いこなせてないようじゃ今の時代通用せんのかもな。


「せめてアイコンくらい設定しとくか……」


 写真フォルダを漁っていると、ふいに懐かしいものが目に飛び込んできた。

 美虎みこの写真だ。

 昨日撮った「足だけ」の写真ではなく、全身が写っている。

 ベッドで横になり、アイフォンをいじる美虎。片足を上げて、機嫌が良さそうだ。

 確か──アイフォンを買ってやった日に撮った写真だっけ。


「この頃は、上手に『兄妹』をやれてたんだよなぁ……」


 ぼんやりとそんなことを思いながら、


「……えい」


 俺はそいつをアイコンに設定させてもらった。

 どうせ他人には猫にしか見えない写真だ。せいぜい俺の社会力を上げる助けになってくれよ。

 美虎の姿が、俺のプロフィールに小さく飾られる。

 何やらくすぐったいような気持ちになり、俺は無理やり仏頂面をつくってスマホをポケットに戻した。



 大学からの帰り道。

 年内最後の授業が終わって、まだ日の高いうちに解放された。つまり今日から冬休みである。

 スノボー、クリスマス、年末年始──何の予定もねぇ。

 美虎とゲームでもして年を越そうかな、と、


「ん? ……っかしいな」


 家の玄関が開かない。鍵がかかっていたのだ。

 しかし、誰かが在宅している気配はある。宅配員(期間限定)として、そういうのを見抜くのはプロ級だと自負している。

 数歩下がる。

 車庫には母の車があった。やはり家にいるのだ。いつも開けてくれてんだけど……。

 不思議に思いながらリュックの鍵を探っていると、


「──っくしゅんっ」


 裏手のほうから声が聞こえた。続けて、鼻をすする音。


「母さん? ……美虎か?」


 呼びかけながら裏手へ回ると、勝手口に美虎が座っていた。


「げっ……!?」


 それも、防寒具をひとつも着けずにパーカー一枚。裸足で、スカートすら履いてない。


「何してんだお前?!」


 一体いつからここにいたのか、太ももから足先まで真っ赤だった。

 俺は慌ててコートを脱ぎ、彼女を包んだ。がちがちと歯を鳴らす美虎。


「べ、べつに……」


 鼻の頭は酔っ払いのように赤く、ぐしゅぐしゅ言いながら目も潤んでいる。その顔に慌ててマフラーを巻きつける。


「いい、いいって」

「良くねえだろっ、お前これ──髪びしょびしょじゃねぇか!?」

「しゃ……シャワー、あび、浴びてたから……」


 唇も真っ青で、俺の方がパニックになった。


「あ、汗……起きたら、あせ、掻いてた、たから……」

「とりあえず入るぞ」

「や、やだ、もう」


 抵抗する美虎を無理やり引っ張っていき、鍵を開ける。


「ま、ママがいな、いなかったから……ちょ、ちょっとだけって、思って……」

「……うん」


 何となく事情を察した。


「よ、よよ、よーへー……あの、」

「いいって。お前は悪くねえよ」







 玄関に入るなり、荒々しいスリッパの音が近づいてくる。

 居間のドアが勢いよく開き、


鷹平ようへいっ! 何度言ったら──ひっ」


 俺の横を見て、母はぎょっと目を剥いた。


「──捨ててきなさいっ!」

「なっ……っ!?」


 なんてこと言うんだよ。

 あまりの言い草に、言葉が喉の奥で凍りついた。

 無視して上がろうとする俺の前に、母が及び腰で立ち塞がる。


「ダメっ、金輪際それは家に上げさせないからっ」

「なんでそんないじわるいうんだっ!?」

「いじわる!? 私はソレを家に置いてあげてたわよね!? それで約束した、下は歩かせないでって! なのにその猫、お風呂場をひっくり返してたのよ!?」

「ひっくり返すかよ馬鹿っ! あんたには見えないだけで、こいつは……っ! こいつはただ、シャワー浴びてたんだよ! 自分の家だぞ!? 汗掻いてシャワー浴びて……なにが悪いんだよっ!?」

「な……──」

「家族だろ!? おかしいよあんたら……どんだけ盲目なんだよっ馬鹿野郎どもが!!」

「な、何なの、その口の利き方……親に向かって……!?」


 そのときだ。

 美虎の背中をさすり続けていた俺の手が、そっと払われた。


「鷹平……だから、もういいって、あたしもう出てくから」

「よくねえよっ! お前先に上いってろっ」


 そんなやり取りを、母が見咎めた。


「あんた……気でも狂ったの……?」

「だからおかしいのはアンタらの……あぁ──もうっ!」


 確かに、気は狂いそうだ。

 歯痒さと。

 腹立たしさで。


「あんたがおかしくなったのは、その黒猫を拾ってきてからよ。穢らわしい……よりによって、なんでこんな汚い猫なんか──」


 そのセリフのどれかが地雷だったのだろう。


「……っ!」


 俺の横で、美虎が激しく嗚咽を漏らした。


「っ……なんにもっ……! あたしたちのことなんて何にも知らないくせに……っ!」


 キッと母を睨むその目から、ぼろりと涙がこぼれ落ちる。


「そうやってっ……っうぐ……みえ、見えてるフリばっかりっ! いつもいつもいっつも上から目線で! あたしのことなんか、これっぽっちも見てないくせにっ!」

「あっ──みこっ!」


 美虎は土足のまま俺の脇を駆け抜けて、母に飛び掛かった。


「500円がなに!? 1000円がなに!? あんな酷いことする必要ないじゃないっ!?」


 俺が靴を脱ぐより早く、母の悲鳴が上がる。


「ぎゃっ!? いたっ……なん……なんでっ、いたっ……! ようへいっ……どうにかして、鷹平っ! この猫をなんとかしてよっ!?」

「みこ、落ちつけ……っ!」


 喚き散らす美虎を後ろから抱きすくめ、母から引きはがす。


「あんたがあたしの人生をむちゃくちゃにしたんだっ! 全部っ! なにもかも、奪われた、ずっと、ひとりで──っ」

「わぁったから……! 聞くから……っ! あとでゆっくり聞くから……いってええっ!」


 美虎の爪がシャツ越しに肩へ食い込んだ。


「あたしにはあれしかもう残ってなかったのに……っ! あんたが壊したんだよっ! 何もかも……っ!」

「なんで……っ、なんで私のほうが……っ! 生活範囲を狭められなきゃいけないのよっ!?」


 美虎が、そして母が──同時に深く息を吸い込む。



「「あたしの居場所を、返してよっ!」」



 噛み合うはずのない二人の叫びがそのとき、奇しくも同じ言葉で重なった。







 苦労して、美虎をなんとか自室に引き摺り込んだ。


「……話を聞かせてくれ」


 さっきの親子喧嘩で、俺が理解できたのはほんの一部だけだ。腰を据えて話を聞くつもりだった、のだが──。


「……」

「せめて髪だけでも乾かさねぇか。ドライヤーしてやるからさ」


 美虎は、俺とも口を利くつもりはないらしい。

 目を離すといなくなってしまうんじゃないかと不安で、その日は風呂に入ることすらできなかった。

 ひしひしと、我が家に限界が近づいているのを感じる。


 ──このままじゃダメだ。


 眉間にできた皺を揉みほぐしながら迷いを断ち切り、俺はスマホを取り出した。

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