日常

◇ アイフォン


「え、え、まって、新しいアイフォン出てる!」


 突然、美虎みこが足を止め、ガラス張りの店内を指差した。


「あれ、お前アイフォン派だっけ」

「わあ……」


「……おい、ナチュラルに無視すんな」


 美虎はうっとりとした顔で、ぺたりとガラスに触れる。


 磨かれた爪が、太陽光を反射してきらりと光った。この前のトリミングで研いでもらったのだろう。

 髪もさらさらになって、飼い主──と言っちゃアレだが、世話してる側としては、連れ歩く相手が小綺麗だとけっこう嬉しいものである。


 今日は講義の関係で、大学は半休だった。


 午後から美虎を連れてショッピング街に来ている。

 ケータイショップの他にも、服屋やスーパー、ファミレスなど、大きな駐車場を囲むように複数の店舗が並んでいる。


「買って」

「買わないよ」


「むり」

「『無理』の使い方おかしくないか? てか、もう買ってやっただろ──これ」


 俺は左手の紙袋を掲げて見せた。

 中にはユニクロのスウェットと、アンダーウェアが数着入っている。美虎の“部屋着”だ。


「あと、それもな」


 美虎はセーラー服の上に、暖かそうなダッフルコートを羽織っている。

 三千円にしては可愛いと思ったら、まさかの47%オフ。そのお得感についカゴに入れてしまった。


 ただ、買ってみたらXLだった。

 チビな美虎が着ると、指先まで隠れてしまう。裾なんかスカートより長いし。

 ま、そのことについて文句を言い出さないので、これはこれでアリだったのかもしれん。


「もうお金ないんだよ」

「ウソ。あるくせに」


「ねえよ」


 ──と言いつつ、本当はある。


 再来年の卒業旅行に向けて、バイトでこつこつ貯めている最中だ。

 だがそんなことを知られたら、この先どんどんワガママを言われそうで怖い。貯金のことは内緒にしておこう。


「だってあたし、自分のスマホないのよ」

「いいんじゃないか? 緊急性もないし。家猫なんだから」


 美虎はふくれっ面をした。


「あるわよ」

「どんな?」


「いいでしょ、何でも。とにかく買って。買ってよ、お願い」


 珍しく、美虎のほうから擦り寄って来る。


「あーもう、引っ張んな。そんなに欲しいんなら、チャンスをやる」

「え!? やる! なに、チャンスって?」


「ふむ」

 俺は顔を上げ、勿体ぶった口調で答える。


「そうだな……。アイフォンが必要な具体的な理由を、レポート用紙3枚くらいにまとめて来週までに提出してくれ。表紙もつけろよ」


「は? なんでそんな面倒なことさせるの?」


 俺は思わず笑ってしまった。


「本当だよな」


 まさに今日、英語の授業でライティングのレポートを課されたのだ。

 俺の場合は「ホテルの幽霊に正式な苦情文を書きなさい」というテーマだが、今のこいつと同じ感想を抱いた。

 冒頭に『Dear Sir or Madam』とだけ書いて、あほらしくなってやめた。


「俺の代わりに先生にそう言ってみてくれ」


 まだゴネようとする美虎を適当にいなし、俺は先へ歩き出した。





「わあ!? かわいい!!」


 大通り沿いの歩道に差し掛かったときだった。

 向こうから歩いてきた若い女性が、俺と美虎の前で足を止め、ぱっと目を輝かせた。


「猫ちゃん用のこんな可愛いコート、売ってるんですね……! 写真撮っていいですか!?」


 えっ、と俺の脳が一瞬フリーズした。


 ──その人はかなりの美形で。

 しかも、もろに俺のタイプだった。


 優しく細めた目。

 笑顔が可愛らしく、外気に触れた鼻先はうっすらと赤い。

 明るい色合いのミディアムボブが、光を受けて柔らかく揺れている。


 癒しだ……。

 一生眺めていられる、と思った。こんな恋人がいたら幸せだろうな。


(もしかして、ナースさんかな?)


 ロングコートの下は、白衣のようなワンピースだ。

 透け感のある白ストッキングに、足元はピンクのサンダル。


 そういえば、近くに医療モールがあったはずだ。

『お昼休みに買い出しに来てまーす』──そんなイメージがぴったりだった。


 たぶん、俺と同じくらいの年か、少し上。

 二十代前半くらいだろう。


「あ、ごめんなさい急に……。迷惑でしたよね」

「あっ、いえ、そんな、迷惑だなんて……」


 ようやく頭が働き始める。


 どうもユニクロで三千円だったこのダッフルコートが、お姉さんの目には『猫ちゃん用のコート』として映ったようだ。

 それが『可愛い』から『写真を撮りたい』と、そういうことらしい。


「こ、こんな奴で良ければ、どうぞ、何枚でもっ!」

「はああ!? なんで鷹平ようへいが勝手に決め──ンぐっ!?」


 俺は咄嗟に美虎の口を押さえた。

 そして、頭に乗せたほうの耳に口を近づける。


「……どうせ猫にしか写らねえんだから、いいだろこれくらい……! たまにはお兄ちゃん孝行してくれよ……!」

「んんっ、く、く、くるヒぃ……っ!」


 って……あ、そうか。

 美虎の声は、このお姉さんには『鳴き声』に聞こえるのか。


 ギブ、ギブ、と手を叩いてくる美虎の口から手を離す。


「ほんとうですかあ! やったあ、後でみんなに見せよう!」

 お姉さんは、まるで美虎の声など耳に入っていないかのように、目の前のJCにスマホを向けた。


「だから、勝手に撮る──んああ……っ!」

 美虎がお姉さんのスマホに手を伸ばそうとするので、俺は慌ててその手首をつかんだ。


 もおお、と美虎は腹の底から呻き声をあげる。


「なんっ、なのよっ、アンタはさっきから〜〜〜!!?」


「……アイフォン17……」

 俺はぼそりと耳打ちする。


 すると美虎のとんがった耳が、ピクリと動いた。


 お姉さんはそんなことお構いなしに、パシャパシャと二度シャッターを切る。画面の中の美虎を見ながら、言った。


「私、ずっと女の子の猫ちゃんを飼いたくって。この子はけっこう声が太いけど、男の子なのかなあ」

「お、女の子です! なあ美虎?」


 俺は手首を握ったまま、美虎を見つめる。


「は、はあ!?」

「……協力しろ……!」


「なにを……よっ!?」

「……この可愛いお姉さんと、何としても仲良くなりたいんだ……っ!」


「うそでしょっ!? 鏡を見てから言いなさいよっ!?」

「……そうか、いいんだな……アイフォン……」


「そ、それは……」

 美虎まで釣られて小声になる。


「でも……協力って言っても私、何したらいいの?」

「……わっかんねえけどお前が頼りだ……!」


 とにかくこのお姉さんに好かれること。

 俺じゃなくてもいい。美虎のことを気に入ってくれさえすれば、またどこかで会った時に声を掛けてくれるかもしれない。


「……何でもいいから気を引いてくれっ、頼む……! 例えばほら……そうだ、カワボっ……! 可愛い声で甘えてみろ……!」


「……ほ、ほんきで言ってるの……?」

「……最高品質のカメラ……暗闇でも鮮明……一日中頼れるバッテリー、途切れないパワー……ああ、アイフォン17……」


「わ、わかったわよ……絶対買ってくれるのね?」

「……ああ……」


「ウソだったら承知しないから」

「……ああ……」


 しつけえな、と思いながらも頷いた。


「でも声なんてどうやって変えるのよ……?」

「……鼻だ、鼻をつまめ……! 声を高く、吐息まじりで声を出せ……息を少し抜く感じで……! あと、語尾にハートをつけるつもりで甘く……! 毎朝俺に牛乳をねだるだろ……あれより百倍甘く……『おねだりする猫』の気持ちになれ……っ!」


「はあ……?」

 美虎は眉をひそめながらも、唇をきゅっと閉じる。それから小さな鼻を摘んだ。


「ん、ん、ん」

 小さく咳払いするように喉を鳴らす。


 そして、これまで聞いたことのない、まろやかで甘い声──まるで子猫がじゃれつくような高音を作り出す。




『ン〜……お兄ミルク欲しいにゃあっ♡』




 頭の上のとんがり耳がぴょこぴょこと動く。


 目は潤み、頬に柔らかい赤みが差す。


 小さな手は自然に顔の横で動き、まるで秋葉原の猫耳メイドカフェのような仕草を──



「……………………んゔぉえっ!」



 俺は思わずしゃがみ込み、地面に手をついた。

 物心ついたときから一緒だった妹の猫撫ねこなで声──おぞましく甘ったるいカワボを聞き、全身に悪寒が走る。


 幸い、ゲロは不発だった。


「だ、大丈夫ですか!? うわ、お兄さん、すごい鳥肌立ってますけど!」

「おか、お構いなく……自分、ときどき猫アレルギーなんで」


 背後から、ゆらりと邪気が漂う。


「──鷹平……後で覚えときなさいよ……」


 何だっていいさ。

 このお姉さんと仲良くなれたら、それで。





「うーん……なんか気になるわね」

「ズボンの上からスカートを穿いてるからじゃないか?」


「だって、こうしないと下着が見えちゃうんだもの」

「……なるほど」


 ぶらりと揺れ動く尻尾を見ながら、俺は納得する。

 そりゃ、ユニクロのスウェットには尻尾を出す穴なんてないからな。


 ……ということは、あのスカートの下はハンケツか。


 余計な想像をしてしまいかけ、俺は小さくかぶりを振る。


「これ、すごいサクサク動く」

 美虎は俺のベッドに寝そべり、買ったばかりのアイフォンをいじりはじめた。


「良かったな」

「うん」


 よほど嬉しいのか、足を交互にパタパタやりながら、尻尾も宙を踊っている。



(さて、そろそろ見てみるか)


 ──実はあのあと、俺にも嬉しいことがあった。


『あの……ミコちゃん、SNSにアップしちゃダメですか……?』

 そんな話の流れで、昼間に出会ったあのお姉さんとインスタを交換したのだ。


 お姉さんは、花耶かやという名前でインスタをしている。

 本名ですよ、と言っていた。


 花耶のストーリーが更新されていた。

 そこに、見慣れたJCの姿があった。


「ははあ、あくまで俺には『この姿』で見えるわけか」


 デジタルの世界でならワンチャン猫の姿が見れるかもしれない──淡い期待をかけてみたが、そういう問題でもないらしい。

 写真の中の美虎も、やはり猫耳と尻尾をつけていた。

 何件かコメントも付いてるが、いずれも美虎を”猫”として扱ったコメントだ。


 俺は試しに、美虎にスマホのカメラを向けてみた。


 ──パシャリ


 スウェット姿の美虎が映る。


「……まぁそうだよな」


 とその時、顔に目がけて何かが飛んできた。咄嗟に避けると、それは箱だった。


「なぁに勝手に撮ってんのよっ」


 かこんかこん、と箱が転がる。


「投げんなよ箱を。危ねえだろ」

「ぶつける気で投げたんだもの。危なくて当然よね」


 ふっ、と口の端を持ち上げると、幼い八重歯がちらりと覗いた。


「大事にしろよ。保証書も入ってんだから」


 やれやれとそれを拾って、引き出しにしまう。


 ぎっ、と椅子にもたれかかり、俺は美虎に尋ねた。


「なぁ。なんでお前、いきなり猫になったんだ?」

「さあ知らない」


 自分のことなのに微塵も興味がなさそうだった。


「なんか落ち着いちゃってるみたいだけどさ、なんとかしようとか思わないのか?」

「何とかって?」


 アイフォンに顔を向けたまま、美虎は横目でこちらを見る。


「前の生活に戻りたい、とか。フツーに戻る方法を探そう、とかだよ」

「べつに。せーせーした。受験ないし、干渉されないし。それに──」


 美虎はそこで言葉を止め、再びアイフォンの画面に視線を戻す。


「『それに』、なんだよ?」


「……ふふ♡ いいの、ほっといて」


 寝返りを打ち、美虎はそっぽを向いた。


 お前の面倒を見つづけんのもけっこうダルいんだけどな──

 落ち着きのない尻尾を眺めながら、そんなことを考えた。



(それにしても……)



 ──だってあたし、自分のスマホないのよ

 ──いいんじゃないか? 緊急性もないし

 ──あるわよ

 ──どんな?

 ──いいでしょ、何でも。とにかく買って。買ってよ、お願い



(緊急性……なぁ)


 俺の考えは、美虎がアイフォンを欲しがった理由に移って行った。


 やっぱレポートに書かせたらよかったな──

 俺の都合でアイフォンを買い与えたことを、少しだけ後悔した。

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