一章

妹 ≒ 猫

◇ ペットサロン

 テーブルの角に前脚をかけ、背筋を伸ばして耳をピンと立てる。

 銀灰色の毛並み──アメリカンショートヘアという猫種だ。


「かわいいなぁ……」

 込み上げた感情が、思わず口をついて出た。


 ショーケースの中では、二匹の子猫がじゃれ合っている。

 奥のキャットタワーの天辺で、マンチカンがぐにゃりと尻尾を揺らしていた。


「やっぱ、ああいう登れるやつも買った方がいいのかなぁ」


 猫は大好きだ。けれど、飼ったことはない。

 何もかも手探りだ。


「……いらないわよ」

 背後で、妹の美虎みこがかったるそうに呟いた。


「そうか? 面白そうじゃん」


 振り向くと、美虎は長い髪を指先でくるりと巻き、ふん、と鼻を鳴らした。

 日曜日なのに、自分が通う中学校の制服を着ている。


「ばっかじゃないの。ちっとも面白くない」

「分かんないだろ、物は試しだ」


「本気で言ってるの、それ」

「……ああ、まぁ半分は」


 すると美虎は小馬鹿にしたように笑って、展示コーナーから離れていった。


「待てよ。面倒だから、あんまり離れるな」


 当然のように無視して、美虎はつかつかと店の奥へ歩いていく。


 ──この、恩知らずの馬鹿ネコが。

 それでも、ほんの少し歩調を緩めたあたりは、奴なりに場の空気を読んでいるのかもしれない。


 美虎が向かったのは、ペットサロンの受付だった。

 今日の目的は、ここでトリミングをしてもらうこと。


 本来、猫は自分で毛づくろいをするものらしい。だから頻繁に世話になることなんてない。


 けれど、我が家の猫は特別だ。

 自分でグルーミングができないくせに、やたら綺麗好きで、毛がベタつくとイライラして部屋中で当たり散らす。


 だから定期的に通うことにした。近所のデパートに入っているペットショップ──「Petelierペットリエ」に。


 すでに受付を済ませ、呼ばれるのを待っているのだが──




「あっ、お客様ぁ」


 ちょうどそのタイミングで店員に声をかけられ、俺は背筋を伸ばした。雑貨コーナーを眺めていた美虎も同時に顔を上げる。


「もう順番ですか?」


 そう尋ねると、店員は恐縮そうに眉根を寄せた。


「いえ、そうではなくてぇ……。お連れの猫ちゃんは、キャリーケースに入れていただくか、リードをつけてお待ちいただきたいんですぅ」


 その言葉に、俺はハッと美虎の頭を見た。


 艶のある黒髪から、ぴょこんと三角のケモ耳が飛び出ている。

(……そうだった。こいつ、んだったな)


 まったく、世の中不思議なものだ。

 そんなことあって溜まるかとも思うのだが、実際にそう見えるのだから受け止めるしかない。


 美虎は、他人の目には「猫」に映る。

 ただし厄介なことに、なぜか俺にだけは“人間の姿”のまま見える。


 だから店員のこの要求も、傍から見ると何一つおかしな事ではない──


「キャリーをお持ちでないようでしたら、店内では”抱っこ”でお待ちくださいねぇ」

「いや」


 美虎が即答する。店員には『ニャァ』とでも聞こえているのかもしれない。俺には、そこまでは分からない。


「いや、だそうです」

「そう申されましてもぉ……でしたら外でお待ちいただくかぁ──」


「いやだってば」


 もともと吊り目な美虎の眦が、さらに吊り上がる。


 まあ、外で待つのは俺も反対だ。普通に寒い。自動ドアの向こうは雪がちらつき始めている。

 美虎が寒がりかどうかなんて俺は知らんが、猫は元来寒がりなもんだ。あの日──美虎が猫になったあのときに、ひょっとするとそんな性質まで備わっちまったのかもしれない。


「じゃぁ、キャリー買うか」

 雑貨コーナーに目を向ける。小動物用のケージも並んでいた。


「無理」

「……だよな」


 俺もあの中に妹を押し込むのはちょっと気が引ける。


 そんならもう、残された選択肢は一つだ。


「抱っこだな」

 頭二つ分ほど背の低い妹に合わせて少し前屈みになり、両手を広げる。


「ばかキモイんだけど」

「ばっ……!?」


 なんつう口の悪い妹だ……!


「ならもうシャンプー諦めろ。帰るぞ」

「やだって、無理!」


「ああもう! ならお前が折れろ。キャリーか抱っこかどっちか選べ!」

「〜〜〜〜〜っ!」


 美虎は髪をかきむしり、うんうん唸った末、


「…………//////」


 真っ赤な顔でそっぽを向き、ハグ・ミー……! 俺に向かって両手を開いた。


 横で店員がくすくすと笑う。一体彼女にはこの光景がどう見えてるんだか。


「ほら、来い……ゴフッ……!」


 なんだその“せめて一矢報いてやる”みたいな飛びつき方は。


 ぴたりと密着した妹の身体を抱え、お騒がせしましたと頭を下げる。


 肩に顔を埋めた美虎は、クサいだのキモいだのと小声で呟いているが、それでもシャンプーの誘惑には勝てなかったようだ。


「サラサラにしてもらって来いよ。頻繁に来ないでいいように」


 ふわり、と五つ年下の妹の身体を抱き直す。


「うるさいばか」


 肩に熱い息がかかる。



 ふと見ると、美虎のスカートの裾がぺろりとめくれていた。そこから伸びる黒い尻尾が、ぐねりと宙に踊った。


 こいつはやっぱり猫なのかも、と俺はぼんやり思った。

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