第14話 灰の底、智を喰う声

 第14章 灰の底、智を喰う声


 霧ヶ原北区は、いつになく静かだった。

 夜の空気に混じる金属臭と焦げた砂の匂い。

「感染ではない」と政府は繰り返すが、誰も信じちゃいない。

 街は噂と疑念で覆われ、灰のような不安が積もっていく。


「ちぃーっす、兄貴」

 護は相変わらず元気だな。包帯取れてないが。

「……どっから来たんだ?」

 急に現れて驚いたぞ。

「病院の方から来たっす」

「詐欺師かよ……詐欺師だったな」

 消防署だったら完全に詐欺師だろう。

「俺はそんな筋通らないことはしないっすよ」

「……護、病院は?」

「根性で退院っす」

「入院費は?」

「……ブッチっす」

「筋は通ってるのか?」

「後から菓子折り持って払ってくるっす」

「……本気で筋通してるな」

 光さんもため息をついた。

 ラグナは地図を広げ、街の北側を指差す。

「子供が消えたのはこの辺りです。だが、詳しいことは……」


 光さんが指さす。

「下。……地下ね」

 その声には確信があった。

「空気が揺れてる。理の残り香が沈んでる感じ」

「地下か。となると崩壊前の避難通路だな」

 ラグナが地図を読む。

「一応、立入禁止区域ですよ」

「緊急だ。それに立入禁止だと、探検したくなるだろ」

「兄貴、分かってるっすね」

「貴方たちは小学生ですか」


 風が止み、空が波打った。

 理の匂いが空気を焦がす。

 あの第六の夜を俺たちは知らない。

 だがこの夜と似ていたのかもしれない。

「……行くぜ」

 街の雑踏が遠のいていく。灰の下には、別の世界の呼吸があった。

 俺たちは地下への階段を降りた。

 コンクリートの壁に亀裂が走り、薄暗い照明が点滅している。

 焦げた鉄と薬品の匂い。


 そして、その中央に――“彼”がいた。

 白衣をまとい、灰白の肌に琥珀の瞳。

 生でも死でもない。

 それは灰が血管のように肌の下で流れ、目の奥が光の粒で構成されていた。

 ただ、理の形をした人間。


「ようこそ。理を宿す者たち」

 声はやけに穏やかで、聴く者を拒まない。

「俺たちを呼んだのはお前か?」

「呼んだ? 違う。あなたたちは来るように決まっていた」

 男は微笑む。

「私は主任。この実験区画の管理者です」

「子供を攫ったのもお前か」

「攫った? いや、実験だよ。世界が壊れる前に、知識だけでも残しておきたくてね」

「人は物じゃない」

「犠牲なき知識は、幻想だ」


 護が前へ出た。

「テメェ、筋通ってねぇな」

「筋? 君たちは感情で世界を測る。理はただ、結果を記録するだけだ」

「何を言ってやがる。子供を殺すなって言ってんだよ」

「それは違うぞ」

 男の雰囲気が変わる。まるで教職者のように。

「老若男女。死んで構わない存在などいない……すべてのものは平等に生きなければならない」

「てめぇ、なに言ってるんだ。人を殺してるだろうがよ!」

「だからだ。誰かが死ななければならない……だから感謝して知識を得なければならない」

「護……無理だ。こいつは違う」


「残念だよ。私の使命を理解するのは難しい」

 男が手を掲げる。

 影の奥から四つの人影が歩み出た。

 皮膚と鉄が継ぎ接ぎになった、異形。

 胸に奈落の欠片が埋め込まれ、仄かに脈打っている。


「プロトタイプ群。君たち理保持者との接触実験だ……さて実験開始」


 その瞬間、空気が軋む。

 四体が同時に襲いかかる。

ラグナが銃を構え、光の胸もとで灯火が瞬く。空気のざわめきが一段、鎮まった。

 俺は右へ、護は左へ走った。


 俺に一体。護に三体。

 歪んだ肢体を持つのに速い。

 殴り掛かる異形にカウンター気味に鉄パイプを振るう。

 異形は重い音とともに吹き飛ぶが、鉄パイプが折れる。

「硬いな。護、気をつけろ」

 声を掛けると

「了解っす」

 避けるのは得意なんだろう。護は三体相手に上手く立ち回っていた。

「援護します」

 ラグナが言うと同時に銃を乱射する。

 狙いを付けているようには見えないのに異形の目元付近に着弾した。

「ア゛ァァァ……ガァアア……」

 異形は短時間だが視力を失ったようだ。

「私も使います」

 光さんは灯火を操ると、異形の動きが遅くなる。

「兄貴、一気に行くっすよ」

「護。力を制御しろよ」

「了解っす。こぉんじょぉーブースト!」

「それは強化だろうが!」

 護の脚が火を吹いた。

 地面が裂け、残像が四つ。

 風を切る音が連続し、鉄の胴体がすべて砕ける。蒸気のように、黒が散った。


 俺は近くにあったコンクリ塊を持ち上げる。500kgくらいか。手に馴染む重みだな。

 どんなものだって叩き潰せばいい。

「おい、ずいぶん立派な使命じゃねぇか。だったらてめぇが先に死にやがれぇ」

 コンクリ塊を主任の頭に叩きつける。肉が潰れる音もコンクリ塊のたてる轟音にかき消された。

 主任の体が崩れ、灰へ還る。

「ちっ、ヒョロい奴が前に出てくるんじゃねぇよ」


「……完璧だ」

 潰れた白衣の男がゆっくり拍手をした。

「理の安定度、観測終了。やはり“仁”――あなたの理は興味深い」

 傷ひとつない。白衣も汚れひとつない。

「お前……なんだ?」

「智の理だよ」

「っう……」

 ラグナが声を洩らす。

「……今回は観測だ。彼が知りたがっていたからな……」

「彼?」

 答えはなく男の体が消える。

 後には灰が宙に舞い上がるだけだった。


「……ラグナ、さっきはどうしたんだ?」

 声を出したのは驚いた訳では無いだろう。

 ラグナは考えながら

「……なにか。言葉にするのは難しいですが……あれと、波が共鳴してる。理そのものが……同じだ」

 ラグナは深い思考に入ったようだ。


 床に残ったのは、ひとつの端末だけ。

 光さんが拾い、画面を映した。


《観測対象:仁/第一相完了》


 護が唇を噛む。

「ちくしょう……」

 筋を通したいが相手が異常すぎたからな。悔しいだろう。

「筋が通ってねぇ……潰してやるっす」

「筋だけじゃあいつは潰せない……あいつ理って言ってたな?」

 理か……不死身? いや殺せない

「……人間とゾンビに似ている?」

 種はありそうだが、分からないなら不死身のままだ。


 俺は灰を踏みしめた。

 空気がわずかに揺れる。

 誰かが遠くで、笑った気がした。


 光が小さく呟いた。

「……この波、剛焉の時と同じ」

 思考から戻ってきたラグナが答える。

「第六の再現です」


 俺は短く息を吐いた。

「行こう。子供はまだ、どこかにいる」

 灰が舞い、風が途切れた。

 理が微かに脈打っている――世界がまだ生きている証のように。


 ――灰の街の地下で、智の理は静かに息をしている。その呼吸が、次の崩壊を招こうとしていた。



 

 

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