1.配属の日

朝の光が東京の街をまぶしく照らしていた。

 篠原結城は、鏡の前でネクタイを締め直す。

 黒いスーツ、磨かれた革靴。どこを取っても新任刑事としての理想像そのものだった。

 その眼差しには、静かな自信と、どこか人を寄せつけない冷たさがあった。

篠原結城――警察学校を歴代首席で卒業。

 大学では犯罪心理学と法科学を専攻し、論文が国内外で評価された。

 柔道は全国大会で入賞、語学にも長け、誰に対しても礼儀正しく冷静。

 欠点という言葉が、彼の辞書には存在しなかった。


 卒業後、異例の特例人事で警視庁捜査一課へ。

 所轄を経ずに本庁に配属された新人は、彼が初めてだった。

 

今日から警視庁捜査一課。

 学生時代からの夢が叶った。

 正義を掲げ、人を救い、秩序を守る――

 そう言えば誰もが褒めてくれる。

 だが結城にとって、それは“正義という名の権限”を得たという意味にすぎなかった。


 庁舎のロビーは朝からざわついている。

 スーツの群れ、無線の音、靴底の硬い足音。

 結城は淡々と手続きを済ませ、指定された部署へ向かった。

 周囲の視線が僅かに彼に集まる。新任の中でもひときわ整った姿、物腰の落ち着き、

 その全てが「出来る男」という印象を与えていた。


 「君が篠原くんか。評判は聞いているよ」

 迎えた上司が笑みを浮かべる。

 「頭が切れて、冷静で、感情に流されない。いい刑事になる」


 結城は軽く頭を下げる。

 「ありがとうございます。現場で学ばせていただきます」

 穏やかな声の奥に、誰にも見えない炎が宿っていた。


 それは“熱意”ではない。

 秩序を支配する快感への予感だった。


 デスクに座り、結城は資料を整える。

 被疑者、被害者、証言、供述。

 文字と数字の羅列の中に、無数の「物語」が埋もれている。

 彼にとって事件とは、感情ではなく構造だ。

 誰が、どんな理由で、どこまで壊れたのか。

 それを解くことが、結城にとって何よりの悦びだった。


 課内の笑い声、紙をめくる音、コーヒーの香り。

 そのどれもが、倉庫の夜の記憶を遠ざけていく。

 だが、完全に消えることはない。

 胸の奥で、あの白い残響が静かに鳴り続けていた。

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