1.アイデンティティの喪失と新しい世界

高校入学間もない頃、私を支えていたアイデンティティはあっけなく崩れた。


中学までは当たり前だった「頭の良い子」という肩書きの1つは、名門校と呼ばれるA高に入学した途端、周囲の優秀さに埋もれてしまった。


 両親は私の成績不振に焦り、家の中は気が付けば父と母が口論している状況になっていた。


 母のキンキンと頭に響く声を父が他人事なもの言いで黙らせる。


 口論が始まった当初は両親は私の事を本気で心配してくれているんだと思っていたけれど、そうで無い事を二人の口論を聞かされているうちに気が付いてしまった。


 両親は無条件で私を愛してくれていると信じて疑わなかったけれど、その愛は私に向けられていたものではなかった。

 理想の娘として私を育て上げる為に必要な成績という「結果」に向けられていたのだと理解した。


「それなら、はじめから優秀に産んでよ」


ポロリと落ちた言葉はそのまま床に吸い込まれていった。



そんな居心地の悪い家の空気が突然晴れた。


 両親は従来通りの穏やかな様子に戻り、母が私にこう言った「とても評判良い家庭教師の先生が来てくれることになったから! もう大丈夫よ」と。


 家庭教師はすぐに現れて週に何度もやって来た。

 ファッションに無頓着な、まるで中学生のような服を着た女子大生。


 彼女は一生懸命に授業をしてくれたけれど、その必死さとダサい風貌が私の神経を逆撫でしてイライラが募った。



「先生、今度の定期テストは大丈夫そうでしょうか?」


「しっかりサポートするので安心してください」


「ありがとうございます! 先生にお願い出来て本当に良かったです」


 私の居ないリビングでこんな話を毎回してから家庭教師は帰っていき、父が帰宅すると「次の定期試験は大丈夫そうですって!」と嬉しそうに母は父に報告する。


 上機嫌な両親の会話にうんざりして家では部屋に篭るようになった。



 家庭教師が来る日も来ない日も、私は帰宅時間をどんどん遅くしていった。


 最初は「委員会の仕事で遅くなる」「ボランティア活動の説明会に参加する」など、最もらしい嘘をついていたけれど、理由を考えるのも面倒になり無断で帰宅時間を遅らせていった。


 私は一人で街をさまよい歩くようになった。


「あの子、A高の制服だよね」通りすがりにそう言われた気がした。


 名門校と呼ばれるA高の制服で街をフラフラしているのは目立ってしまう様な気がして、夜まで帰らない様になる頃には私服を持って通学するようになっていた。



 毎日同じ様な場所を歩いていると、街に顔見知りが出来てくる。

 

 私は、気が付けば何となくジュースとお菓子を持って座り込んで話している女の子達と一緒に座り込んで過ごすようになっていた。


 家庭に不満のある子が多く、似た様な感情を言葉にしなくても分かり合えている感覚に居心地の良さを感じた。


 その中には不登校中の子もいた。



 ある日、同じ輪にいても殆ど喋った事のない不登校の子と偶然2人きりになった。


 するとその子が唐突に「友達がライブするから今から一緒にライブハウスに行かない?」と誘ってきた。

 

 学校にも通えていない子の友人なんてろくな人間じゃないだろうという先入観と、ライブハウスという未知の場所への不安が同時に湧いて来た。

 けれど、微かな好奇心が背中を押し、私は初めてライブハウスへ足を踏み入れた。



 薄暗く、埃っぽい空間。


 今まで行っていた事のある、アイドルのアリーナ公演のようなイベント感も無い。

 誘われた時に感じた不安が大きくなり始めた時、ライブが始まった。


 耳を劈くような爆音と、始まる前では想像も出来なかった熱気に満ちた観客。


 その混沌とした空間で今までに感じたことのない高揚感。

 私はあっという間にライブハウスに夢中になった。

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