第40話 レオン外伝 第三の影の胎動

風は静かだった。

決戦の翌日、レオン=グラディウスは一人、海沿いの街の外れに立っていた。


海鳥の声が響き、潮の匂いが心地よい。

昨日まで世界を覆い尽くしていた“沈黙”が嘘のように、音は完全に戻っている。


なのに――レオンの胸の奥には、奇妙なざわつきが残っていた。


(……昨日のあれは、夢じゃない)


ユウトに救われた瞬間のことを、はっきり覚えている。

自分の意識に、まるで“誰かが入り込んでいるような気配”。

白銀の糸が、心臓に深く刺さっていたこと。


あれは幻覚ではない。


(俺は……影に“触れられた”んだ)


風は吹き、光はある。

だが、レオンの影だけが、ほんの少しだけ“遅れて揺れる”ように見えた。


気のせいかもしれない。

疲れているだけかもしれない。


だが、戦う者の直感が、別の答えを示していた。


(……あいつが戻ってきている)


沈語の影でもない。沈黙の影でもない。

もっと古く、もっと冷たく、もっと“無意味な空白”。


昨日、レオンを飲み込もうとした“あれ”は――

まだ消えていない。


「……くそ」


レオンは胸を押さえた。


海の風は暖かいのに、胸の奥だけが冷たかった。

そこに、微かな“声にならない声”が残っている。


(……た……す……け……)


それは自分の声ではない。

影の声でもない。


もっと弱く、かすれていて、

まるで“これから生まれる”何かの胎動のようだった。


(誰だ……?)


レオンはゆっくりと海辺を歩いていく。

波打ち際まで来たとき、ふいに砂がわずかに沈んだ。


地面に触れると、そこには――

輪郭だけしかない“白銀の揺らぎ” があった。


まるで影が海に映ったようだが、そこに本体はない。


風が吹いても揺れない。

波が来ても消えない。


その白銀の揺らぎは、レオンだけを見ていた。


「……お前か」


レオンは剣に手を添えた。

が、抜かなかった。


(これは……昨日の影と違う)


沈黙でも沈語でもない。

リュミエルの影とも違う。


もっと淡く、もっと弱く、

だが確かに“意志”を持とうとしている存在。


(……生まれようとしている“影”だ)


一歩踏み出すと、白銀の揺らぎが震えた。


その瞬間、レオンの頭に“言葉にならない声”が流れ込んだ。


(……な……い……

 ……し……ず……か……

 ……ひ……つ……よう……)


「静かさが必要……?」


いや、違う。


これは“願い”ではなく――

まだ形を持たない“本能”だ。


影には“理由”も“怨念”もない。

ただ、存在するために、何かを喰らうだけだ。


昨日の影とは別物だ。


(これが……“第三の影”)


レオンは息を呑んだ。

影はまだ弱い。

ユウトの風にも気づかれないほど“曖昧”な存在。


だが――。


(こいつ……俺を“選ぼう”としてる)


かすれた声がささやく。


(……き……み……は……

 ……か……た……ち……を……

 ……あ……た……え……て……く……れ……る……)


「……俺に? 影がか……」


影はただ揺れるだけ。

言葉にならない“意志の泡”のような存在。

だがその中に、ひとつだけ強い感情があった。


(……さ……が……し……て……

 ……し……る……し……に……

 ……な……る……ひ……か……り……)


「“光の印”……?」


レオンの胸の奥が大きく脈動した。


そこだ。

昨日、ユウトに引き戻されたとき――

レオンの中に“光”が差し込んだ。


それは影の目から見れば、

“器を完成させるための最後のパーツ”にも見える。


(まさか……昨日の戦いで――

 俺は“影の器候補”になっちまったのか)


影はレオンの影に寄り添うように揺れた。


その輪郭は、剣の形にも見えた。

翼の形にも、顔の形にも見えた。

だがどれも違う。


影はまだ“自分自身の姿”を知らない。

だからレオンの影に似ようとしている。


(影は“宿主”を探してる……

 不完全な俺の心が、呼んじまったのか……?)


レオンは剣の柄に力を込める。


「……俺はお前に喰われない。

 もう二度と……誰の影にもならない」


影は揺れた。

拒絶の意味を理解していない。

ただ、もっと“混ざろう”としている。


(……これは、ユウトには言えない)


あの“風の勇者”に余計な負担をかけたくなかった。

世界を背負わせすぎている。

あれ以上、重いものを任せられない。


(俺は俺の戦いをする。

 影なんか……俺ひとりで十分だ)


その時、影が突然震えた。


まるで喜んでいるかのように。


(……ひ……と……り……で……

 ……た……た……か……う……)


レオンの心臓が握りつぶされたように痛んだ。


「……っ!!」


影が“心の声”を読んだのだ。

モンスターの心しか読めないはずの世界で――

影だけは例外だ。


影はレオンの痛みを糧に、さらに濃くなった。


(……ひ……か……り……

 ……あ……た……え……て……

 ……ほ……し……い……)


「……来るな」


レオンは剣を抜いた。

だが影は一切動じない。


風が吹いた。


世界は白銀に震えた。


影はゆっくりと“海の底”へと沈んでいく。

まるで、レオンを呼ぶように。


(……第三の影が……生まれようとしている)


レオンは拳を握った。


「ユウト……すまない」


あの風の勇者に、また戦わせるつもりはない。


(この影……俺が止める)


風が震えた。

白銀の影が消えていく。


レオンは剣を背に戻し、

静かに海を見つめた。


この世界には、まだ“影”が残っている。


ユウトはこのことを知らない。


そして――

第三の影は、ユウトの“風を喰う影”として生まれようとしていた。


レオンは静かに歩き出した。


風が吹いても、彼の影だけが揺れなかった。

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