第33話 風と海のまかない日記

海の風は今日も穏やかだった。

波の音がゆるやかに続き、港町の子どもたちの笑い声が混じる。

沈語の影との戦いを乗り越えたユウトたちは、ようやく訪れた“本当の休息”を味わっていた。


「……ピリィ、なんで朝からそこにいるんだよ」


ユウトは市場の真ん中でため息をついた。

ピリィは巨大な魚の上に乗り、ぷるぷると震えながら誇らしげに叫んだ。


『ぷるー! 見てくださいですぅ、ピリィ、海の王様になったですぅ!』


「魚の王様に乗っても海の王様にはならねぇよ!」


その後ろでは、魚屋の店主が叫んでいる。


「そりゃあうちで一番高い魚だよぉ!! どけぇぇ!!」


『ぷる……ご、ごめんなさいですぅ!』


店主が近づくと、ピリィはじゅわっと溶けかけるように縮んだ。

ユウトが慌てて拾い上げる。


「すみません! このスライム、ちょっと好奇心が爆発しまして――」


「爆発にもほどがあるよ!!」


ゴルドが横で偉そうに腕を組んでいた。


『ふっ……ピリィよ、筋肉は魚には乗らんぞ。王たる資質というものがある』


「お前どの口で言ってんだよ! その筋肉こそ何の王なんだ!」


『筋肉の王だッ!!』


「答えなくていい!!」


漁師たちが魚を捌く音、港の叫び声、風の揺らぎ……

町が賑やかであるほど、ユウトたちの騒がしさも目立ってしまう。


だが、それでこそ平和だった。


ユウトは市場を歩きながら、ピリィに目を向けた。


「ピリィ、あの大魚、どうやって上に乗った?」


『ぷるっ……なんか、海の方から“あっち来いですぅ!”って聞こえたんですぅ』


「……いや、魚の思考読めないだろ俺たち」


『でも、なんか呼ばれた感じしたですぅ』


「お前の好奇心だよ絶対……」


歩いていると、港の広場でパン屋の兄ちゃんが慌てふためいているのが見えた。


「うわああああああっ!! またパンが飛んでったぁぁぁ!!」


「……いや、飛ぶか?」


兄ちゃんの頭上を見上げた瞬間、ユウトは理解した。


風が……パンを巻き上げていた。


『ぷるっ!? ぷるるー!? パンが空にっ!?』


「お、おいマジかよ!? なんでパンが飛ぶほどの風が……!?」


港に渦巻く海風が、何故か一点に集中してパンを引き寄せている。


ゴルドが叫んだ。


『これは……筋肉の風向きではない! 異常だっ!!』


「筋肉で風向き判定すんな!」


空中を飛ぶパンは、まるで“誰か”が集めているように見えた。


『ぷ、ぷる……あの先、倉庫の屋根の上ですぅ!』


倉庫の屋根に着地した無数のパン。

その真ん中には、見覚えのある影のようなウネリ。


――でも、影ではない。


ユウトは息をついた。


「……鳥だな」


屋根の上には、巨大な海鳥の“ウミドリキング”が鎮座していた。

その思考がユウトの頭に届く。


(パンうめぇパンうめぇパンうめぇ! パンしか勝たん!)


「バカなんだなコイツ!?」


『ぷるる! パン強奪犯ですぅ!』


ユウトは叫ぶ。


「やめろ! そのパンはこの町の平和の味なんだ!! 返せ!!」


(やだね!! パンは俺のもんだぞ!)


ゴルドが剣を抜いて叫んだ。


『パン戦争だ!!』


「やめろ!! パンのために戦争するな!!」


屋根の上のウミドリキングはパンを守るように翼を広げる。


(パンは俺の栄光……!)


『ぷるっ!? 思考がパンまみれですぅ!!』


ユウトは大きく息を吸った。


(仕方ない……最弱だけど……俺の風でやるしかない!!)


風が吹く。

ユウトの周りに、ふわりと優しい風が集まった。


「ウミドリキング……悪いけど、そのパンは返してもらうぞ!」


風がひと筋の流れとなって鳥の周りに渦を作る。

だが、ユウトは鳥を攻撃しない。

風はパンをふんわりと持ち上げ、屋根から運び出す。


(あっ……パンがぁぁぁぁあああああ!?!?)


『ぷるー!! ユウトの風仕事人ですぅ!!』


パンはひとつひとつ空を舞い、市場の人々の元へ戻っていった。


兄ちゃんが涙ぐむ。


「ユウトさん……あなたって……マジで勇者だ……!」


「いや、ただのパン回収係……」


『ぷるる~! パン勇者ユウト誕生ですぅ!』


「やめろ! そんな称号いらねぇよ!!」


町全体が笑いに包まれた。


風が吹き、パンの香りが広がる。

影も沈黙も忘れるような、のんびりとした一日だった。


ユウトは空を見上げた。

天界を思わせる金色の雲が、ゆるやかに漂っている。


(……平和って、やっぱいいな)


ピリィがユウトの肩でぷるんと跳ねる。


『ユウト、明日も遊びましょうねぇ!』


「いや、遊ぶって……お前の遊びは毎回事件になるんだよ……」


『ぷるー!(にっこり)』


「……なんで笑うんだよその顔で」


『ぷるるる~♪』


ゴルドが胸を張る。


『今日も筋肉は平和だ!』


「筋肉に休暇の概念あるのか?」


『ない!』


そりゃそうだ。


ユウトはふっと笑った。

海の風が吹き抜け、町の音が穏やかに響く。


――こんな日が、ずっと続けばいいのに。


そう思えるほど、やわらかな一日だった。

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