第17話 風を継ぐ者たち

夜明けの風が、山を越えて吹き抜けていった。

 “記憶の風の遺跡”をあとにしたユウトたちは、東の高原へと続く街道を歩いていた。


 風は柔らかく、空は透きとおるように青い。

 けれど、ユウトの胸の中にはまだ重いものが残っていた。

 ――リュミエルが、自分の恐れから“言葉を奪う者”を生んだという真実。

 そして、彼女自身がそのことを知らないという現実。


『ぷる……ユウト、また難しい顔してますぅ。ぷるぷるってしてごらんなさいぃ。癒しですよぅ。』

『ピリィ、それはお前が癒されたいだけだろ。』

「……いや、癒されるかもしれないな。」


 ユウトが笑って見せると、ピリィは全身をぷるぷると震わせて喜んだ。


『ほらぁ、風が笑いましたぁ!』

『いやそれ、ただの気流だろ。』


 だが、そんな軽口にも、どこか救われるような温かさがあった。

 “読めない心”があるからこそ、言葉を交わせる――

 ユウトは今、初めてその意味を実感していた。




 昼を過ぎ、風が急に止んだ。

 遠くの地平線で、空が黒く渦を巻いている。


『ぷるっ……いやな感じですぅ。風が、逆流してますぅ。』

『逆流? 風が? おい、それって……。』

「ああ。“言葉を奪う者”の本体が動いてるのかもしれない。」


 ユウトは風の流れに耳をすませた。

 かすかに、何かの“心”が混ざっている。

 ――モンスターの思考だ。


『……風を……返せ……風は……我らのものだ……。』


「……誰だ?」

 ユウトのスキルが共鳴し、思考が形を持つ。


 空の彼方から、黒い翼が二枚、影のように広がった。

 巨大な鳥――“風喰らいのガルダ”が、空を裂いて現れた。




 ガルダは山ほどの巨体を誇る古代種だった。

 翼を一度はためかせるたびに、空気が震え、地上の草木がなぎ倒される。


『風は我らの糧……人が言葉を風に変えたせいで、風は穢れた……。

だから我は、風を喰らい、純化するのだ……。』


『ぷるぷる!? 喰べないでぇぇぇぇ!!』

『おいユウト! こいつ、ガチで怒ってるぞ!』

「わかってる! でも落ち着け、こいつ……“喋ってる”!」


 ガルダの心が、ユウトに流れ込む。

 そこにあったのは怒りでも狂気でもなく、悲しみだった。


『……風は歌だった。だが今は叫びだ。

我は風を喰らい、沈める……静寂の空を取り戻すために……。』


「……それ、間違ってるよ。」


『……何?』

「沈黙は“救い”じゃない。リュミエルも、そうやって自分を責めた。

 でも、風は歌うためにある。誰かを想う声を運ぶために。」


『……人の声など、憎いだけだ……。』


「なら……もう一度聞いてみろ!」

 ユウトは風の剣を構えた。




 ユウトのスキルが全開になる。

 ガルダの翼の隙間から、かすかな思考の残響が溢れた。

 その中に――かつての“風の精たち”の声が混じっていた。


『ガルダ……風はお前の敵じゃない……。

一緒に歌ったじゃないか……。』


『……我は……覚えている……あの歌を……。』


 ガルダの目が揺らぐ。

 ピリィがその瞬間を逃さず、光の球を放った。


『ぷるっ! 風の共鳴弾ぁぁぁぁぁ!!』

『おい、名前つけたな!?』


 爆風とともに、ガルダの身体を包む黒い瘴気が晴れていく。

 やがて巨体はゆっくりと地に降り立ち、風が穏やかに戻った。


『……風は……戻るべき場所へ……。

勇者よ……我は……お前たちの旅路を見届けよう……。』


 そう言い残し、ガルダは羽ばたき、空の彼方へと消えた。




 風が再び優しく吹く。

 ピリィは嬉しそうに跳ね、ゴルドは筋肉を鳴らした。


『ぷる♡ また風が歌ってますぅ! すごいですぅユウト!』

『筋肉も歌ってるぞ!!』

「それはやめてくれ。」


 ユウトは笑いながら、風の流れを見上げた。

 遺跡で感じた“沈黙の風”が、今は確かに“言葉の風”へと変わっている。


 彼はそっと呟く。

「……リュミエル。お前の風はまだ死んでない。

 風を継ぐ者が、ここにもいる。」




 焚き火の夜。

 ユウトは星を見上げながら、静かに風の音を聞いていた。


『ぷる? 眠れないんですか?』

「うん……少しな。……風の音が、何か言ってる気がして。」

『風が? なんて?』

「“ありがとう”……ってさ。」


 ピリィはにこっと笑い、隣で寝転がった。

『ぷる♡ 風って、優しいですねぇ。』

『ああ、世界でいちばん優しい声だ。』


 その夜、ユウトは風に包まれながら、静かに眠りに落ちた。




 同じ頃。

 ユウトたちが“言葉の暴風域”へ向かおうとしていたその時、

 西方の山岳地帯では、もう一人の勇者が沈黙の風を切っていた。


 名はレオン。

 かつて“伝説級の全能勇者”と呼ばれた男。

 女神の紋章を宿すその胸は、まだ微かに光を放っている。


 だが、彼の喉は沈黙していた。

 “沈黙の呪い”によって、声を奪われたのだ。


 風が吹く。

 夜の帳の中で、金色の残光が遠くの空に瞬いた。

 それを見上げながら、レオンはゆっくりと剣の柄を握る。


――風の中に、幻のような記憶が揺れた。

召喚の瞬間――すでに世界は沈黙に包まれていた。

音のない闇の中、レオンは“竜王と人の姿をした異端の勇者”が交わる幻を見た。

それは言葉のない世界で、ただ風だけが震えていた。


(……竜王と通じる者よ。俺は、お前を必ず斬る……。)


その思念は声にはならない。

だが風がそれを拾い、遠い東の空へと運んでいった。


沈黙の勇者レオン。

その誓いは、まだ歪んだままの風に溶けていく。

そして、その風の先には――ユウトたちが進む空があった。

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