笑わぬ虎は、青瞳を愛する・外伝
ぽんつく地蔵
『笑わぬ虎は、青瞳を愛する。』 勝手に二次創作 『でかい猫は、田舎男子に愛される。』
硬骨の将は義憤に唸っていた。総身を震わせて唸っていた。声すらその喉から上がっていた。
けれど実際のところは。ごろごろ、ごろろ、と唸っていた――その大きな顎(あご)の下を撫でられて。大きな目を細め、撫でる手に身を寄せてごろごろごろと唸っていた。地につけるように頭(こうべ)さえ低めて。
将は今、虎へとその身を変じていた。何故かは知らぬ。なんとなればまだそこまで原作が進んでいないからである(筆者がこれを書いている現在)。なんかすごくすごい薬を一服盛られたらしいとは推定される。
ともかく、一軍の将は今や、一頭の猫科大型獣に過ぎなかった。
吾輩は虎である、などと名作文学を気取る余裕もなく。運命の女神と原作者の仕打ちを呪いながら、将は自分を撫でる手に不本意ながら身を委ねていた。
そして、今将を撫で回しているのは。かつて将の身をかすめて矢を放った、敵国たる田舎小国の戦士であった。
青い目を細めて、かの青年はつぶやく。
「ほんのこつ(本当に)むぞか(可愛い)猫じゃね、おまん(お前)は」
いや何言うとんねん自分。虎やぞわし――そう思いかけて、将は大きくかぶりを振る。
いや、ちゃう(違う)ちゃうちゃう。何が虎やねんわし、何でそっちに慣れてきとんねん。
――ところで。彼らの用いる言語について奇異に思われる読者もおられるであろう。
しかし、かの二国の発音構造が我が国のとある二つの地方の方言と驚くべき相似形を成していることについてはユンゲン・モホロビチッチ博士の著書『発音と言語・その科学と統計 ~方言フェチは国境を越える~』(民明書房 刊)に詳しく、決して筆者が原作者に何の断りもなく劣情に駆られて書いているといったものではないことをお断りしておかねばならない。
――閑話休題。
太くはないがごつごつと武骨な手が、何度も雑に虎の顎を撫でる。
その度に、ごろろ、ごろろ、と喉を鳴らさざるを得ない。鳴らしたくなどないのだが鳴らさざるを得ない。
並みの者ならば「悔しいっ……でも感じちゃう……!」などと軟弱な声を上げるところであろうが、硬骨の将は左様な不様な真似はしない。ただ、じっ、と耐えている。嫌ならよそへ行けばいいようなものだが、ごろごろごろごろごろごろ言って、じっ、と耐えている。
今や硬骨の将は、すっかり恍惚の大猫であった。
青年は虎を撫でながらつぶやく。
「しかし、何ぞ大国の奴らは。ぽかっと(急に)攻め寄せて来よったとともたら(思ったら)いっぺこっぺ(所構わず)好き勝手してくれよるばい……じゃっどん(だけど)、もう好きにはさせんたい」
傍らに置いた愛用の弓を一つ叩く。
「おい(俺)がこいつで奴らん将に、チェストかましちゃるけんね! ちゅうか、この前もいっぺんかましてやったが……射損じたばい! はがか(悔しい)~!」
言いながら、虎の頭を何度ももふもふとはたく。
いや、それわしや。お前が殺そうとしたんも、今めっちゃもふっとるんもわしやねん。どないなってんねんお前。
そう思いながらも離れられずにいる将に、青年は屈託ない笑みを向けた。
「そうじゃ! おまんも奴らとの戦、手伝ってくれんね? 奴らもたまがっじゃろうなあ(驚くだろうなあ)」
そらそやろ、虎やもんなわし。最前から虎やら鷲やら、何やめっちゃややこしいけど。逆に何で自分はびびっとらんねん。どないなってん。
青年は息をついてかぶりを振った。
「なに、冗談じゃ。おいら(俺ら)の国はおいらで守る。おまんは森に帰れ、そんで……おいが奴にチェスト喰らわすとこ、見といてくいやい(見ていてくれ)」
自分の目をじっ、と見つめてくる青年の青い目を。目をそらさず、将は見つめた。
せやな。見といたるわ、自分がわしを殺しにくるとこ。しゃあけどそん時は、わしもごろごろ言うてへんぞ。
身を震わせ、将は四つ足で立ち上がる。元の姿に戻るすべは定かならねど、いつまでもここにはいられない。いつか来るであろう戦いの時に備えておく必要があった。
そこで青年はやおら、懐からチューブ状のものを取り出した。
「そうじゃ、腹減っとりゃせんか? 食わんね、おっが国の名物、チャン・オ・チュープたい!」
ふたを開けると、中から魚肉をすり潰したジュレ状のものが溢れ出し、旨味をたっぷり含んだ魚の匂いが虎の嗅覚を刺激した。
「チャン(天然アスファルト)みたいにどろどろした、ちゅーちゅー吸うスープ……間の『オ』が何かは聞かんでたもっせ(ちょうだい)、おいも知らん」
ふんっ、そんな田舎料理がわしに……でもまあ一口、うまっお前こんな物でうままっ、このわしを懐柔してうまままっ、うまっ、うままままままっっ……
――博識なる読者諸君はここでお好きなペットフードCMのBGMを思い浮かべるとよろしい――。
ひとしきりなめ終わり、口元についたジュレをひたすら舐めまわしつつ将は思う。
ふんっ、馳走にはなったがこれまでや。次に会うときは戦場やぞ、こわっぱ――
青年は荷物から小さなビンを取り出し、栓を抜く。
「せっかくじゃ、これもやらんね。おっが国の名物! マタタビ酎たい!」
立ち去りかけていた虎であったが。その嗅覚へ、穀類原料ではないきつい蒸留酒の香りと、とろかすような果実の匂いが絡みつく。まるで絡め取られたかのように足が止まり、ひとりでに元来た方へと戻っていく。
小さな器に注がれた酒を、気づけば舌を伸ばし喉を鳴らして舐めていた。アルコールの酔いと。頭の奥を痺れさせる、甘い毒のような果実の滋味が、舌から体中に染み渡る。
「おまん、じゅじょな飲んごろ(相当な飲兵衛)じゃね? マタタビは疲れた旅人が食べたらまた旅ができる、ちゅうて滋養があるけんね。芋焼酎に漬け込んだ滋養酒たい。ささ、もう一献」
なおも酔いが回り。ふらふらと躍る大地の中、どう、と音を立てて虎は横たわる。
「よ~~しよしよしよしよしよし」
青年の両手が、無遠慮に虎の体中を撫で回す。
違っ、こんなはずじゃ、こんなつもりじゃ――思いながらも、虎の体は腹を天に向けて横たわり、ごろごろごろと喉を鳴らす。
――もう、ダメかも分からんね。離れられんかも分からんね。
それもいいか、と虎は、将は、酔った頭で思って目を閉じた。
(おしまい)
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