4年ぶりに帰省したらばあちゃんの駄菓子屋が2つほど代変わりしていた話
餅辺
帰省初日
正直言って気乗りはしなかった。仕事にかまけてとか日が悪いからとか何かと言い訳を並べては先延ばしし、それ自体を次の言い訳として、はや4年。連絡自体は取っていたものの、それでも直接顔を合わせるのはなんとなく気まずいものがある。
そして8月11日。勤め先のだいぶ年上の先輩に勧められ、俺はついに実家の最寄り駅へと降り立った。閑散とした駅前には元からろくに店もなかったが、もう1つ、2つほど何かが減っているような気がした。
そこからは徒歩だ。帰省ラッシュにどっぷり巻き込まれてヘトヘトだったが、夏の日差しは容赦なく照りつけてきた。こんな片田舎でも歩道はしっかり舗装されており、高熱のアスファルトからは湯気が上がってて、蝉の声はどこにいるんだと問いたくなるほど騒がしい。
無論、途中にコンビニなんてものもない。家までの25分間はほとんど蒸し焼きの拷問だ。
(タクシーでも呼べばよかったかな)
一瞬思うが、捨てる。タクシーを呼ばなかったのは理由がある。寄り道だ。駅舎を西口から出て、ロータリーから銀行の隣を抜けて、4番目の曲がり角で右。その先を確か、左。道なりに真っ直ぐ。閉店済みのスーパーの看板が見える。そう、このまま進んでいけば、そこに。
そこに。
「……」
俺はなかば無意識に首筋の汗を拭う。家屋の土台はむき出しになっていて、その合間合間に小さな草がパラパラと生えていた。簡素な柵に張られたロープには地元の不動産屋の番号。見慣れたものだ。
仕方ない。ずっとデザインが変わってないんだな。潰れてしまったのか。もう何年になる? おばあちゃんは。炎天下でクラクラする頭がそんな滅茶苦茶な思考を巡らせる。
早めに帰った方がいい。それだけ決めて、俺は足早にその場を離れた。振り返ることはなかった。じっとりと滲んだ汗のしずくがアスファルトに落ちて、あっという間に蒸発して消えた。
――
「よう帰ってきよったね。もう来んと思っとったけん、嬉しかよ」
縁側で汗を拭っていると、お袋が冷えた麦茶を持ってきた。
「ん、まあね」
「忙しかったと?」
お袋は立ったまま尋ねる。俺は振り返らずに答えた。
「まあね。今回はたまたま休めたんだ。運がよかったんだよ」
すらすらと嘘を述べつつ、麦茶を口に運ぶ。慣れた匂いに、濃さ。それに冷たさ。じんと腹の底に染み渡り、気持ちが落ち着いてくる。
「――近所の駄菓子屋さ、あそこ潰れちゃったんだ?」
俺はなるべく感情を込めずに尋ねた。お袋もそれに倣ったのか、あっさりと答えた。
「うん。ばあちゃんが亡くなりよったけん」
「あー」
「建物も壊しよったと。もう更地よ」
「そっか。何か新しく建つのかな」
「どうじゃろね。住みたい人も、何かやりたい人ももうおらんけん」
「……そっか」
中学の頃だったろうか。お調子者の友達がいつか起業するなんて言い出して、みんなで凝った計画書を作った事がある。その時でさえ、この辺りで会社を起こそうなんて話にはならなかった。
グラスを無意味に揺らすと、溶け残った氷が半端な音を立てた。その時、背後から野太い声が聞こえた。
「落ち着いたらシャワー浴びてこい。風邪引くぞ」
「親父」
振り向く。……少々シワが増えたろうか。よく日焼けしているから不健康そうには見えないが、それでも記憶の中よりは少しだけ老けて見える。
「着替えもしまいよるけんね。あんたの部屋。クーラーもあるよ」
お袋が続ける。
「着れるの?」
「年一は洗濯しよっとったけん、問題なかよ」
「……うん」
ちくりと胸が痛む。若干の居心地の悪さを覚えつつも、俺は立ち上がり、風呂場に向かおうとした。すれ違いざまに親父は言った。
「ああ、それと」
「……何?」
「上がったら話がある」
久方ぶりに聞く、真剣なトーンの声だった。
「……分かった」
俺は頷いた。胸の底に何か、重いものがつかえるような感じがしていた。
――
暑さが残る夜道をゆっくりと歩きながら、俺は親父の言葉を、先ほどの光景を反芻していた。
(俺たちの事もいいがな)
夕食の時間。親父は料理にはまるで手を付けずに言った。
(お前ももう30手前だ。自分の事も考えんといけん。どうじゃ、向こうにええ人はおらんかったんか)
食卓には俺の好物ばかりが並ぶが、食欲はまるで湧いてこない。誰も箸を伸ばさない重苦しい時間の後、俺はようやく苦し紛れの言葉を出した。
(都会は人の繋がりが薄いんだよ)
そうかと父は頷いて、それきり話は終わった。俺はそれから味のしない好物を美味そうに口に運んで、腹ごなしにと出てきた散歩もまるで気分は晴れてこない。意味もなく立ち止まって、胸につかえたモヤモヤを押し出すような深く大きな息を吐く。
「はぁ……」
当然、モヤモヤは消えない。意識を逸らそうと辺りを見回すと、見慣れた電信柱があった。こんなところにまで来ていたか。懐かしいな、と俺は思った。こんな気分の日はいつもあそこに行っていた。優しいおばあちゃんが店主をやっている、あの駄菓子屋に。無意識に足が動く。
だけど、あそこはもう。温かい思い出が掻き消え、足が止まる。一拍置いて、また動かす。見間違いかもしれない、なんて淡い期待を寄せながら。馬鹿みたいだ、と俺は自嘲した。嫌と言うほど通いなれた道。突き当りの角を曲がれば、その向こうには――
「え?」
思わず2度見した。そこにあったのは記憶のままの木造の平屋だ。特徴的な大きな引き戸も、店内を残らずさらけ出すような大きな窓も、何も変わってはいない。昼間見た時は確かに何一つなかったはずなのに。それにお袋も、建物は残っていないと。
(見間違いに、勘違い……だったのか?)
ドクン、ドクンと心臓が早く脈を打つ。何度まばたきをしても景色は変わらない。おばあちゃんは存命だろうか。20年は前から『おばあちゃん』だったのだから、他界していてもおかしくはない。でも90越えの店主なんてたまには聞く話ではある。
店内を覗き込む。こんな時間に照明は点いていないが、駄菓子が変わらず陳列されているのがかろうじて見える。店の奥、のれんで遮られた生活スペースから小さな明かりが漏れている。誰かいる。
無意識に引き戸に手を掛けると、がたんと軽い音が鳴って戸が動いた。開いている。不用心な。伝えないと。伝えないといけないから、俺は店の奥へと声を掛けた。
「ごめんくださーい」
返答はない。しん、とした静寂だけがあった。俺が中に入りたい衝動に駆られていると、やがて小さな声が返ってきた。
「はーい……」
おばあちゃんではない。女の子の声だ。それもだいぶ若い。しばらく待っていると、LEDらしきランタンを持った女の子が姿を表した。
「どうかされました?」
彼女は怪訝そうな顔をしていた。お孫さんだろうか? 小学校の高学年かその辺りに見える。黒髪をツインテールに束ねていて、肩の出たブラウスにショートパンツ。いかにも最近の子供といった印象だった。
「あ、えっと」
呆気にとられた俺は、建前も忘れて尋ねていた。
「その、昔店頭に立たれていた方は……」
「祖母ですか? 祖母は1年前に亡くなりました」
「あ」
それは何の逡巡もなく、ただ現実を伝えるだけの言葉だった。だから俺は、答えに詰まった。
「……そうですか」
辛うじて、それだけ言えた。……そうだよな。そりゃ、そうだ。わかっていたことだ。変に落ち込む方がおかしい。頭では簡単に結論付けられた。それでもやはり顔には出ていたらしく、お孫さんは不思議そうに俺を見ていた。
俺はまず建前を伝えて、それから事情を説明した。しばらくここを離れていたこと。少年時代によくしてもらっていたこと。だから心配になり、思わずお節介にも声を掛けてしまったこと。
「夜分に失礼しました。それじゃ、俺は」
「あ、ちょっと」
踵を返そうとした俺を、女の子が引き止めた。
「……何か?」
やはり怪しかっただろうか。そう訝る俺に、彼女はにこりと笑いかけた。
「よかったら、何か買っていかれませんか?」
「え?」
予想外の提案に面食らう。彼女はそれを意に介さず、陳列された駄菓子に目線をやりながら続けた。
「祖母が亡くなって、来る人も少なくなっちゃって」
「……まだ開いてるの? この店」
「ええ」
俺は目を丸くした。この過疎地で? この子が? 駄菓子屋なんてことを? それに子供が店なんて。……と、そこまで考えて思い至る。流石にこの子が店長のわけはない。この子の親か、雇われの店員が普段はいるのだろう。それにしても不思議な業態ではあるが。
「……じゃあ、お言葉に甘えて」
夜分に押しかけた弱みもある。俺が承諾すると、女の子は嬉しそうに笑った。そんなに客が来ないのだろうか? 陳列を見渡そうとしたが、月明かりだけでは光量が足りず、ろくに見えてこない。
「ところでさ、電気は点かないの?」
店内は蒸し暑かった。外とほとんど変わらない、いや、締め切られているから余計に蒸し蒸しとしている。手で扇ぐジェスチャーとともに尋ねると、女の子は残念そうに首を振る。
「今壊れてしまっていて。業者さんも混んでますし」
「そうなんだ」
暗くなる頃には閉まりますしね、と彼女は付け加えた。確かに子供ばかりという客層上、そうなるか。だからといって見づらいものは見づらい。俺は断りを入れ、スマホのライトを陳列へと向けた。照らせる範囲は小さいが、シルエットが見えるだけでも自然と判別はつくものだ。
しゃがみ込み、目線を棚の高さに合わせ、俺は商品を見渡していく。……正直なところ、適当に取って終わりにするつもりだったが、この場所で、この空気で懐かしいパッケージを見ていると、都度都度記憶が溢れてしまい、ついつい足が止まってしまった。
「懐かしいな……」
そんな感嘆が何度か口をつくも、女の子は一切口を挟まなかった。だがやがて、体にじっとりと汗が滲んで来ると、俺はようやく我に返った。
「あ! ……ご、ごめん」
「いいですよ」
苦笑する女の子。よくできた子だ。だからこそ余計に申し訳なくて、適当な駄菓子を手づかみにし、慌ててレジへと運ぶ。古びたレジだが、少なくとも10年前には動いていた。とはいえ今は電気は通っていないから、手計算だ。
「これが15円、こっちが……」
種類別に分けながら、ぶつぶつと計算していく女の子。それを尻目に俺は、値段も上がったなぁ、と呑気に思っていた。
今15円のうまい棒は、昔は確か10円だった。つまり今、100円玉を握りしめても、買えるのはせいぜい6本くらい。それとも今の子はもっと貰えるのだろうか? ……家庭に縁が無い身としては想像するしかない。無駄な想像を膨らませていると、女の子が合計金額を告げる。
「526円です。あ、それと袋。いりますよね?」
「うん」
「1枚5円です」
「……うん」
店を出る。昔ならば豪遊。今はほんの、些細な無駄遣い。テンションなんて上がるべくもない。それでも少しは楽しみたくて、歩きながらキョロキョロ周りを見て、1つの駄菓子を取り出す。ヨーグルだ。これなら地面にカスが落ちることもない。
(いただきます)
内心で手を合わせ、棒でヨーグルを掬う。美味くはない。記憶の中よりも酸っぱく、夏の暑さで温まっていて、しかも味気ない。だけどもその美味くなさが、ひどく懐かしかった。
――
正直なところ、全くの想定外だった。彼がここに来なくなってもう10年近くにもなる。それがこうも唐突に、しかも向こうから現れるとは。あれの捜索がまったくの障害なしに進むとは思ってもいなかったけど、これは流石に想像の範囲を越えていた。
邪魔になるだろうか。目下の関心事はそれだけ。
だけど、彼にまったくの興味がないかと言われればそれも嘘になる。10年もの間、彼が何をしていたのか。どうしてここに現れなかったのか。それを知りたいという気持ちにも、偽りはない。
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