沖田世界館 FILM No.01『武良キネマ』

赤土(ハンネ変えた。)

此の幸福は無害です?(秀二視点)

 悪いことなんて何一つない、怖くなるほど、なかった。

明治十一年の酒造りを再現したという四合瓶の日本酒を一気飲みした玉緒ちゃん。

歴史ある花紋褒章を下賜された清酒に舞い上がったのか、それとも生前酒には弱い体質だった名残なのか、妖怪になって酒が効かない肉体のはずのなのに、ぐにゃんと全身の骨が抜けたみたいになっていた。

 胡座をかいていた僕の膝の上に頭を乗せて、玉緒ちゃんはアルコールを摂取した途端くるくる回る口を機関銃のように動かす。

「だからさ、伴侶のごはんはせかいいちってコト」

「はい。理解しました。嬉しいです」

「おれの国のなかでせかいいち!だからひろいよ。まけんなよ」

「はい。精進します」


 朝になっても記憶飛ばさないでくださいね、なんてわざわざ言わない。

首の座っていない赤ん坊のようにぐにゃんぐにゃんになった玉緒ちゃんは可愛いかった。

こうやってへにゃへにゃの笑顔でどうともない僕のことを褒めたりする。

 正気でも狂気でもなくて、ただひたすら散漫としている状態の言葉を鵜呑みにするべきではない。

理屈では分かってはいるが、感情は理性の柵を飛び越えて嬉しくなってしまう。

玉緒ちゃんと一緒にいることは、僕にとって恐ろしいくらいの幸福を意味した。

「おれ、伴侶なしでは生きていけないかもー」

「はい」

 本当に、そうなるといいんですけどね。


 ガチャン、と何かが割れる音がした。

しんとした早朝の空気を掻き乱すようなその音に自然と眉間に皺が寄る。

発信源はキッチンの方角からだ。

 帯刀する人間が一人残らず消えて、平和な世になった現代において、泥棒や犯罪者という存在は夜中の活動を控えて早朝や夕方を狙うという噂がある。

人間の女学生の一人暮らしならまだしも、妖怪しか住まわない映画館を狙うなど珍しい泥棒もいるものだ。

僕は足音を忍ばせて、しかしいつもより早歩きでキッチンへ向かう。

 薄暗い廊下の先で、少し開いたドアから白い光が差し込んでいた。

堂々と電気をつけるなんて随分と図々しい泥棒もいたものである。


 ひっそりと音を立てずにドアを開けて、リビングを通り抜けると、見慣れた姿が居た。

キッチンにいたのは玉緒ちゃんだった。

足元には茶色の液体が広がり、硝子のコップが砕けて散っていて、どうやら先程の何かかが割れた音の正体のようだ。

天板には電気鍋と紙コップとココアパウダーの袋と先日買い与えたプラッチック粘土が置かれていた。

 途方に暮れたように立ち尽くす玉緒ちゃんに声をかける。

「理解しました。キミはその場から動かないでください。火傷とかしてないですか」

 小鳩のようなあどけない顔をした彼女は、きょとりと左右色違いの眼球を動かした。

相変わらず、ワイシャツを一枚羽織っただけの無防備さである。

サイズの合ってないシャツの袖からは、傷一つない桜貝のように小さな爪がはみ出していた。


「伴侶。伴侶だ。どうしよう。何か知らんが割れたんだけど。え?おれってココアもマトモに作れねえってコト?」

「はい。そうですね。怪我はしていませんか。まずは掃除するので少し待機してください」

「あー……無事無事。新聞ならリビングにあるよ」

「はい」

 リビングに向かい、テーブルに置きっぱなしにされた昨日の新聞紙から、番組表や玉緒ちゃんが興味ないだろう記事を抜き取る。

スリッパを履いてキッチンに戻って、冷蔵庫横のマグネットフックから雑巾を取り、床に新聞紙を広げて膝をつく。

大きな塊を一通り拾い集め、新聞紙で包み込む。  

 さて、次の不燃ごみの収集日はいつだったか、と思考しながら雑巾がけをする。

雑巾を絞って干している間も、仕上げとして掃除機をかけている間も、玉緒ちゃんは床にペタンと膝をつけて座り込んでいた。

身体を冷やさないか心配になる。


 彼女はキッチンのキャビネットに後頭部をグリグリ押し付けながら、あーだのうーだの呻き声を漏らしていた。

「はー……あー、まじかー、まじかー。うー」

 茶色に変色した雑巾を絞り、手を洗う。

僕は食器棚から玉緒ちゃん愛用のネイビーのマグカップを用意して、ココアパウダーを大きなスプーン一杯に掬い、袋を閉じた。

冷蔵庫の牛乳を注ぎ、玉緒ちゃんに差し出すと、躊躇いも無く両手で受け取って口をつける。

「大丈夫ですよ。キミのこと、もうずっと面倒見る気しかないので」

 ココアを啜る玉緒ちゃんは、ぎゅっと眉を寄せて僕の顔を見た。

「なーにがっ、大丈夫なんだよ……ココアもマトモに作れねえ男だよおれはよー。今は美少女だけどさ、こんなん死んだ方がマシだろ。もうおれ死んでるけど!」


「なるほど。牛乳を使えば、お湯が沸かせないキミでも可能です」

「おい、今お湯も沸かせないって言ったか?」

「はい。キミは可愛いです」

「まてまてまて、お湯くらい沸かせるわい!おゆまるの準備は出来たんだよ!こちとら!ココアに方向転換したのが間違いだっただけで!」

「なるほど。はい」

 優位性を確信するとあざとく迫る癖に、相手から来られると照れて逃げ腰になるところも、コロッと機嫌を直すところも見ていて飽きない。

僕の他にも喜んで世話をしてくれる相手はいるのだろうが、実のところ、彼女はこの世話をされているという事実を認めたがらないのだから仕方がないだろう。

 彼女が僕の妻であることは変わりない事実なので、不満はあまりなかった。


「まじでまじで!コップが予想外に熱くて落としただけなんだって!」

「はい」

「うー……お湯も沸かせないほど生活力が無いなんてそんなことは……」

 真面目に落ち込んだトーンで言うのが、可愛くて堪らなかった。

 僕からしたら悪いことは何一つない。

そんなことはあり得なくて恐ろしいことだけど彼女の前では実現してしまっている。

駄目なことは分かっていて、駄目になってて駄目になれとか呪いながら、どろどろのぐずぐずの生活の中で幸福に沈んで二度と浮き上がれなくなればいい。

彼女の前にしゃがみこんで、下から覗き込むようにしながら目を合わせる。


 左右の色の違う瞳が何を語りたいのか、想像して、そうであって欲しいという妄想と、本当にそうだったらこう答えようという予定は、どちらも最低極まりなかった。

 少しくらい気が触れてしまっても構わない。

ただ、自ら選択してくれなければ意味が無いのだ。

だから覚としての能力を使わない代わりに、免罪符を与えることにした。

「大丈夫ですよ。キミは何も出来なくても」

 僕の言葉に彼女は気まずそうに視線を逸らした。

「……おれは好きだからって何でも引き受けようとするの、どうかと思うよ」

「なるほど、はい」

「……無能なヤツの癇癪だと思った?」

「いえ、改善点として受け止めています」


▼ E N D

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